勇気とは
勇 親父の寝言 2 勇気について
前回
その人の境涯により、全く違う意味になる事をお話した
境涯の低い人は、コップに中の、足元の、昨日今日の事しか分からない
境涯の高い人は、大きな壁も、飛行機から見ているように、小さな凸凹だ
勇気、と言う言葉だって、ある人には無謀に見える
山で勇気ある撤退、なんて、憶病に見える
この場合、知識、経験、知恵があり、境涯の高い人のみ、正解がある
と言ったが、その続きで、勇気について考えて見ましょう
たしかに山では勇気など必要ないが 下界では必要だと思うよ
いや、絶対に必要だ。
しかし難しいしのは、いざと言う時に出ないのであります。
あの時、もう少し勇気があれば、人生が変っていたかも。
親父は後悔しきりです
親父のような後悔をしないように、お話しておきます。
スポーツでも 芸術でも 何でも、いざと言う時
力を出せる人 結果を出せる人とは、日ごろから 練習をしている人です
野球でも「ここで一本打てば、逆転さよならだ、おれはヒーローになれる」。
と、言っても、日ごろ、練習していなければ、打てるわけありません。
実は、勇気も同なのです 日頃から 軽く練習しておけばいいのです
小さな勇気を何回も繰り返していればいいのです 難しい事ではないのす
ファウストの冒頭に(はじめにに行為ありき)とあります
一歩前に踏み出す事を、心がけていればいいのです。
怖がらないのが勇気ではありません。
震えながらでも 一歩前に出る事が勇気です
その繰り返しが勇気の訓練になるのです、
使えば使う程、鍛えられていくのです
行動してしまえば、意外と考えていたより簡単なのです。
分からなかった事が 分かるようになるのです
それは勇気から知恵が涌くからです。
その訓練によって いざと言う時 思いもよらない
本当の大きな勇気を出す事ができるのです。
又 勇気とは 本来 外に向けられるものではありません
弱い自分
苦労を回避しようとする自分
新しい挑戦に 尻込みしてしまう自分
いやな事があると 他人のせいにして 人を恨んでしまう自分
等々 自分の殻を打ち破る心なのです
勇気とは、己に勝つことなのです
弱気、憶病な人は
立ちはだかる壁に逡巡する前に
己の陰にひるんでいるんです
己の幻影に怯えているんです
心中の賊に敗れているんです
強気の人、勇気の人は
常に胸中を制覇し行くゆえに
何ものをも恐れない
なにものにもくじけない
なにものにもひるまない
猛る怒涛に胸張り進むのです
ちょっよした違いなんだけどね
「勇気」と「臆病」の差は、微妙である。
紙一重の差といってもよい
そして、幸福の条件の大事な一つです
以下 余計な事ですが
車の教習所の教官をしていた親父が
(臆病と言われるくらいの運転をしろ) と 言ってた うるさかった
若いころ 勇気をはき違えて よく失敗した
よく言う 若気の足り とか言うやつです 明らかに勇気でなく無謀だったのです
又 他人に無謀とか臆病とか言われながら 成功した人を大勢見ています
セザンヌ(画家)は「救いようの無い落伍者」と言われていました
しかし彼は「目的に到達するまでには、勇気が必要なのです」
「私は毎日進歩しています」と言い、ついに大成しました
臆病 勇気 無謀
時に臆病に見られ 時に無謀にみられるのが 正しいのであれば
それは勇気であると言えるのではないでしょうか
ガンジーは言った。
「革命はカタツムリのスピードで進む」と
真の勇者は、臆病なくらい細かいことに気を配っていくのです
アリアス大統領は
「人間は夢を一生懸命見続けていると それが実現する時がやって来るのです」と
そして彼のように 必ず行動と一体なのです
勇気は数少ない絶対言葉で 反対語が無いのでは??
勇気の右側に臆病があり、左側に無謀があるのでは??
無謀 … 勇気 … 臆病
すなわち 臆病の反対は無謀と言えます
勇気とは、右でもない、左でもない、真ん中なのです
正しい事をするのは勇気です、それを正義と言うのです
暴力は、勇気に見えるが、無謀であり、臆病だからです
臆病な人、無謀な人は残酷です。勇気の人は優しいのです、忍耐強いからです。
忍耐を夜にたとえればで 必ず朝がくるのです
忍耐の別名を勇気と言うのです
愛情、慈愛の別名を勇気と言うのです
愛が慈愛があるか無いかは 勇気の行動でしか現れないのです
勇気の人には未来があるのです
勇気は日ごろ 見えないのです
勇気の人は楽観主義です
楽観主義はーーーこの状態が「いつまでも続くわけない 困難は一時的なもの」と思います
この世は常に変化しています 悪い事もめぐってきますが
必ず良い事が チャンスが訪れると思います
そして 悪い現状は行動によって変えられる と思うのです
何でも前向きです 楽しんで いい方向へ自分をとらえ
「そうなって見せる」と 決めています
喜劇王チャップリンの様に 何があっても笑い飛ばし
苦労を楽しみに変える事ができるのです
楽観主義は 何らかの行動に移ります これが「小さな勇気」です
行動は「分からなかった事が分かるように」なります
楽観主義者は回りが見えるのです ここが大事
「楽観主義とは ものごとを達成へと導く信念です。
希望なくしては何事も成就することはできません」
と ヘレンケラーは言っています
ダメな悲観主義はーーーこの状態がいつまでも続くと思ってしまい
行動を止めます
人の顔色を伺いすぎたり 悪い事を他人のせいにしたがります
行動を止めると 「簡単な事が分からなく」なります
チャンス等 つかめない 小さな奇跡すら つかめない
ここが困るんです
勇気とは 正しい見識と知識と知恵を持ち そして時に冷静さも
時に果敢な行動力も持ち合わせているのです。
すなわち 人間が目指すべき究極の道なのではないでしょうか
勇気は 大変な時、迷った時、負けそうになった時に姿を現すのです
大変な時、迷った時、
道を求めれば歓喜が沸く 希望を求めれば歓喜が沸く 行動を起せば歓喜が沸く
歓喜は 勇気を呼び覚ます力だからです
歓喜について 後日 改めて