タイトル コマクサ
まえがき
戦後、荒廃と混乱と窮乏の中、戦乱から解放された人々は、民主主義と言う新しい理想を
掲げ、周りの煩わしさに戸惑いながらも、ひたすら前だけを見て突き進んでいた。
その中には、置き去りにされた不運な人達もいた。
その厳しい環境の中で生き抜き、負けなかった子供達の、純白のキャンパスに描かれた虹
色の思い出の中に、現代の豊かさの中で求めても、決して得る事の出来ない、心の内なる豊
かさがあった。
それは経験で得た知識であり精神であるため、人間の言葉をいかに駆使しても伝え難い事
でもあるのだ。
見捨てられた高山のガレ場に根を下ろしたコマクサは、吹雪に向かい、雄々しく生き抜い
た。そして、小さな美しい花を咲かせた。
そして、すべての役目を果たし、笑みを浮かべながら、この世の舞台から静かに去った。
誰か称えん。
生々流転しゆく社会の中で、取り残された人々の心の叫びを、あますところなく写し取り
、それを伝える言葉などあるのだろうか。
この物語は、極限の中での家族愛を、そして友情を、幾筋もの光を当てて表し、伝え難い
思いを伝えようと書き記したものである。
コマクサ
rokusan
(1)
お雪婆は見た。
不気味な光が台地を這いずり回る様を。醜い雲が沸き上り、満天の星空を覆い隠す様を。
遥かな地平を赤く染める血の流れを。
お雪婆は聞いた。
絶え間なく響き渡る大地の震えを。寒風の中、狂ったサタンの雄叫びを。
お雪婆は祈った、
ひたすら天に届かんと、人々の悲鳴に答えんと。寒さを忘れ、時を忘れ、唇が渇き、倒れ
る程に。
一九四五年三月十日未明。
三百機のB二九の編隊は、東京の下町を中心に、大規模な無差別攻撃を開始した。二千ト
ンの焼夷弾を雨の様に降らし、大火災を発生させた。
この日だけで焼失家屋は約二七万戸に達し、死者は十万人以上、罹災者数は一〇〇万人以
上に達した。
お雪婆は見た。
冷たい北風に向かい、曇天の下、果てしなく続く行列を。
蟻のように、いや、くたびれた蟻のように
転々と、又、帯のように長く長く果てしなく。
誰も彼もが黒くにじんだ服に、ススけた顔に、腫れあがった赤い目をしている。
頭からボロ着れをかぶり、人とは思えぬ哀れな姿の人もいた。僅かな荷物を背負う人や、
首から肩から、汚い袋をぶら下げている人もいる。逃げていく哀れな敗残兵のように、皆ひ
たすら北へ北へ。
穴のあいた服を、恥ずかしげもなく着こな
す夫人もいた。誰の助けもなくヨロヨロと歩
く初老の人もいた。中には怪我をして、そのまま傷口を晒している人もいた。赤く滲んだ布
切れを巻き付けている人や、ひどい火傷で、顔をしかめながら苦しそうに歩く人もいた。
すべて失い 命一つで故郷に帰るのであろうか、誰も言葉を失い、ひたすら北へ北へ。
何処の農家も見て見ぬふりをしていた。中には雨戸まで閉めて、あえて家の中に引きこも
り外へ出ない人もいた。
戦時中である、人々の感覚は麻痺し狂わせていた。誰も信じられない殺伐とした世の中だ
、我身を守るだけである、仕方のない事かも知れない。
お雪婆は、桶に水を汲んできた。
「目を洗って行って下さ~い」
言葉を失った表情のない人達が、感情を思
い出したかのように、
「ありがとう、ありがとう」と、何度も何度も言うのである。
お雪婆の周りには、安堵した顔が並んだ。
お雪婆の行動に、周りの農家の人達は初め
は黙って横目で見ていたが、良心を思い出したのであろうか、見て見ぬ振りは出来ず、自然
にお雪婆の振る舞いに続こうとした。
火傷や怪我の治療が多く、ドロまみれの傷口を洗い流す事ぐらいしかできないが、農家の
長老が。
「それでいいんだ。殺菌が一番大事なんだ。布を直接巻くな。油を練ってやれ」と、色々と
指図していた。
肌が黒くなるほどのひどい火傷の人もいた
「さほど痛くない」と言っていた、この先の病院を紹介されていたが、治療を受けられただ
ろうか。
人の輪ができた。下町の悲惨な状況が何時までも語られた。奇跡的に助かった訳を皆が語
っていた。生きている事の喜びが語られた。遠い故郷までの道のりが、思いが語られた。
中には、疎開する人を『卑怯者』であるかのように言った軍部に、不満をぶつける人もい
たが、皆に静止させられていた。
一九一五年八月一五日
正午からラジオで放送された玉音放送により、ポツダム宣言の受諾により、日本の降伏が
国民に公表された。
(二)
終戦直後、焼け落ちた家の一角に座り込み、
いつまでも動かないお雪婆がいた。
一郎をおんぶした母が声をかけた。
「どうしました、お婆さん」
「・・ああ、何か形見の品でもねえかと思うて、土を掘ってみたがよ・・・何もありゃあ
しねえ・・・皿の欠片が出て来ただけじゃ・
・・それだけじゃ」
母は尋ねた。
「お身内の方のですか」
「そうじゃ、婆は疎開する前、息子とここに
住んでおったんじゃが、あの空襲以降、息子からは連絡が来んでのう、何処で死んだものや
ら、全く分からんでのう」
母はおおよその事情は分ったが心配して言った。
「それはお気の毒です、ですがお婆さん、ど
ちらからいらしたのか分かりませんが、もう
帰らないと日が暮れますよ」
「いや、ありがとう・・・そうだがね、もうしばらく息子とここにおるよ」
一朗の母は家に帰るや、その事を父に告げた。
十年近く母子で住んでいたが、八月十日の大空襲の前に、お雪婆だけが近郊の実家でもあ
る農家へ疎開していたそうだ。
母は父に聞いた。
「お父さん、その息子さん技術者ですよ、その人の事知りませんか。直ぐそこに住んでたん
ですって」
「うーん、それだけじゃ分らんな、その人はどんな仕事してたのかな、気になるな」
父は母にその場所を聞くと、すかさず家を
出て行き、そのお雪婆のいる焼け跡に向かっ
た。
しばらくして父が、お雪婆の手を引いて帰ってきた。
「母さん母さん、うちの会社に関係のあった人らしいぞ。多分、取引先かお得意さんか、だ
と思うよ。
母さん、今日一晩泊める事にした、いいだろう。お雪婆はこれから帰ると言うが、今から
だと大変だから『明日にした方がいいよ』
と言ったんだよ。それに、もっと詳しく聞きたいからな」
どうやら、空襲で破壊された父の会社に関係のある、業者の人らしい事が分かった。
いや、父にとっては、そんな事はどうでも
よかったのかも知れない。亡くなったお雪婆の息子さんとは会った事も無い、他人である。
父の勤めていた会社は、この地域ではかなり大きく、会社の周辺には、何らかの取引のあ
る、関係のある中小の工場が多くあった。
父は終戦を迎えると、一早く母の実家の疎開先から家族を呼び戻した。母と姉、そして生
まれたばかりの一郎である。
一朗の自宅は、あの三月十日の大空襲で、父の勤める会社と共に焼け落ちてしまい、今住
んでいるのは、奇跡的に焼け残った会社の社宅の一軒だ。
食糧難を乗り越えた一郎の一家も、何とか
生活も安定し始めていた。
その頃、父は多くの同僚や部下を亡くした事に対する自責の念にさいなまれるようになっ
ていたと言う。
それは、大きな工場内の空き地に、大きな防空壕を作った事だったのだ。
あの三月十日の大空襲で、工場に対する集中砲火は激しく、安全と思われた、その防空壕
に非難した人達に悲劇が襲ったのだ。殆ど全員死んだのだ。
その多くは、父の会社の部下や従業員である、空襲警報が鳴るたびに『工場を守る』、と
言う名目で、ここへ避難しにくるのだ。
父の会社は軍需関係の工場だったため、徴兵されずに工場に残った人もかなりいた。最低
限の技術者や指揮を取る役員等がいなければ製品が完成しないからである。
一郎の父も徴兵されなかった一人である。
特に副社長としての立場から、製品を作る
責任と工場を守る責任と共に、従業員を守ると言う責任もあったのだ。
父は、防空壕に逃げるチャンスを逃し、街中を炎に終われ逃げ回っていた。皮肉なもので
、その父が助かってしまったのだ。
決して父のせいではないが、少し酒が入る
と親しい友人を思い出し、嘆いたり愚痴ったりするのである。
「大黒柱を亡くして家族は大変だろうなあ。
あいつには田舎に父母がいる、気の毒な事をした」等と語っていたそうだ。聞かされる母
が大変だったらしいのである。
初めて会ったお雪婆を家に連れて来たのも
分かるような気がするのである。
又、父の一家は離散し、小さい時から養子に出されたため『お母さん』と呼べる人がいな
かったそうだ。
父は母と結婚する時、母の親に会った時、『お母さん』と呼べる人がいる事が『すごくう
れしい』と言っていたそうだ。
どうやら年寄りに対する特別な思いがあるのかも知れない。
それは、一郎が父と列車で出かけた時の事
でも分かる。わざわざ年寄りを探し、座っている一郎に、「席をゆずりなさい」と言い、一
郎は立たされるのである。
それどころではない、座っている他人の子供に対しても、何の遠慮もなく、
「君、お年寄りに席をゆずりなさい」と平気で言うのである。
後々一郎も父の真似をしたことがあった。
他人の子供に言うのは、結構勇気がいるもだと分かった。
お雪婆はそのまましばらく一郎の家に止まり続けた。一郎の子守やお姉ちゃんの遊びの相
手をしてくれた。
亡くなったお雪婆の息子は、決して若くはないが、晩年に生まれた一人息子だったと言う
。
『生きている』と言う連絡を待ったが、つい
には来ず、夢枕に息子さんが寂しそうに立っ
ていたので『死んだ』と確信したと言うのだ。
年老いた母を残して死んだ息子さんの無念さはいかばかりであろうか。そして、お雪婆の
悲しみは、いかばかりであろうか。
戦争で最も悲惨な思いをするのが女性であり、母親である。母たちを悲しみの淵に突き落
とした権力者達を、心の奥底から憎みたい。
母の涙が不幸のバロメーターである。
母の笑顔が幸せの、平和のバロメーターである。
(三)
一郎の家の前の道路を横切ると、広い野原が広がっていた、その野原の向こうに、破壊さ
れた工場の残骸がある。そしてその奥に、町のシンボルの様に高くそびえ立つ一本の大きな
煙突があった。
一郎はいつも遠くから眺めていて、あそこに行ってみたかった。近くで見て見たかった。
暖かな早春の午後、一郎は冒険を決行した。
小さな畑のわき道を進み、僅かに芽吹い野
原を横切り、壊れた穴だらけの塀を抜け、凸
凹した道なき道を更に進んだ。
煙突は近ずく程にぐんぐん大きくなる、わくわくしながら更に進む、そしてついに、あの
大きな煙突の真下にたどり着いた。
見上げると、とてつもなく大きく、まぶしい程に白く輝いている。そして、恐る恐る手の
平で障ってみた『冷たい』一郎にとっては大満足の瞬間だ。
丸い入り口があった。一郎は何度も何度も
ためらったが、その煙突の中に入って見る事
にした。
腰を少し屈めて入ると、薄暗い足元に欠けたレンガの破片が一面に転がっていた。
上を見上げてみた。
レンガを螺旋状に積み上げて作った煙突で、
それがずいぶん壊れていて、足元の欠けたレ
ンガはその残骸だった。
そして遥か真上に暗闇の中、丸い小さな青空が輝くように空中に浮かんでた。
一郎は満足げに明るい外に出た。そして帰
ろうとした時、一郎は驚いて立ちすくんだ。
煙突の壁の直ぐ横に、小柄な老婆を発見したのである。
つい先程まで誰もいなかったはずだ。乾いた小石だらけの地面に、何も敷かずに正座して
動かない老婆だ。
幾筋もの深いしわに、後ろで束ねた白髪の
何本かがそよ風に揺らいでいる。黒っぽい和
服に黒っぽい帯。もし薄暗い所から現れたら
一郎は怖くて泣き叫ぶかもしれない。
一朗がいつも見ている、近所のお婆さんとはぜんぜん違う、見た事がないお婆さんだ。
老婆は手の指を絡ませて合わせ、首を深くたれていた。そして又動かない。
良く見ると、老婆の前のエントツのまぶし
い程の白い壁に、花束が立て掛けてあった。更に良く見ると、小石を並べた上に線香が炊か
れている。
老婆は不思議そうに、じっと見ている一郎
に気がついた。
つややかな、しわだらけの顔の大きな目が
鋭く一郎を捕らえた。一郎は驚いて動けない。
老婆は体をゆらしながら正面を向いた、そ
して一郎をじっと見つめた。そして突然。
「おお・・・一郎だべえ・・一郎だべえ・・間違いない一郎だべえ」
しわがれた響きのある大きな声に一郎はび
っくりした。老婆は急に笑顔になった。
「大きくなった、大きくなった、見違える程
大きくなったのう、何歳になったんじゃ」
一郎は黙って指を四本出した。
「これ一郎、そんな不思議そうな顔すんな、
このお雪婆の顔を忘れたか、このシワシワの顔に見覚えがあるじゃろう・」
老婆は大きく目を見開き、亀のように首を
突き出した
「ほーら、よーく見て思い出せ・・はははは、はは・・見覚えがあるじゃろう」
大きな笑い声だ、そして大きな口だ、何本
もの欠けた歯が良く見える。笑うと顔のしわ
が一段と増える、こんなお婆さん一度見たら
忘れやしない。
しかし一郎には思い出せない。一郎は落ち
着いた、そして言った。
「僕、お婆さん知らないよ」
「はははは・・そうだいねぇ、忘れてしもうたか、はははは、しかたないのう」
そして 老婆は歌を歌い始めた。
「ハアー、サンコサラリトヨーイヤサーノーヨー、サーオーノコサンコサラリトヨー・・」
「どうじゃ、この歌聴いた事あるじゃろ」
一朗は即座に答えた。
「聴いた事ないよ」
「そうなんかそうなんか、やっぱり無理か。
お雪婆が一郎をおんぶして、よー歌った歌
じゃ。一郎がこんなに小さかった時じゃった
からのう、覚えてらんのは当たりまえじゃ」
老婆はニコニコしながら、首を縦に小刻み
に何回も動かした。
一郎はおんぶされていた事さえ覚えていな
かった。
お雪婆は、膝をポンと叩き、
「よっこらしょ」と立ち上がった。
「お母とお父は元気か」
「うん」
「お前の姉さんは元気か」
「うん」
「お母とお父に、お雪婆が帰って来たって言っておけ・・・後で寄るでな」
「うん」
「ところで一郎、ここで遊ぶのはだめじゃ。
この煙突の中には、お化けが住んでおって、近くで子供を見ると、足を引っ張って、煙突の
中に引きずり込もうとするんじゃ。そん
で出られなくなるんじゃ。怖いべえ、そらっぺでねえぞ。
お雪婆が、早く成仏するよう説得しとるが頑固なおばけが沢山おるで、なかなか言う事を
聞かんのじゃ・・・んだから、あの塀からこっちには入ってはいかんぞ・・・ええな、一郎
」
一郎は家に帰るなり母に聞いた。
「ねえお母さん、あの煙突にいるお化け見たことある。ねえ、どんあお化けなの」
「さあ、見たことないわね。お化けなんていませんよ、誰がそんな事言ったの」
母はいそがしそうに台所で夕飯の仕度をし
ていた。
「お雪婆が言ってたよ、子供を見ると引っ張るんだって。
「え~、一郎は・・お雪婆知ってるんだ・・
一郎、お雪婆と何時合ったの。何時何処でよ」
「さっきだよ、うちにも来るってさ」
母は驚いたように一朗に聞いた。
「え~、一郎、お雪婆知ってるんだ、覚えているんだ」
一朗は慌てて否定した
「知らないよ知らないよ、さっき初めて会ったんだからね」
「ああ、そういう事なのね。
お雪婆はきっと危ないから、一郎が近ずかないように言ったんでしょう。
そんでさあ一郎は、あんな所まで遊びに行くの、一人で、だめだよ、あの先には隅田川が
流れていて、柵もないから危ないんだよ。
一郎・・絶対一人では行かないようにね」
一郎は直ぐ返事をしたが、大きな煙突の話をしたかった。遥か空中に浮かぶ丸い青い空の
事だ。
「でも僕は行ったよ。煙突はすごく大きかっ
たよ。お雪婆がいたよ。煙突を拝んでたよ。
花も置いてたんだよ。
ねえお母さん、どうして煙突を拝むの」
「ああそうだったのね・・あそこで沢山の人が死んだからよ、お雪婆が弔っていたんでしょ
う。・・・あ、そうか。今日は三月十日だっけね。そうそ四年前の今日あおね」
「沢山て、何人」
「数え切れない数の人達ね、お父さんのお友達もね」
「何で死んだの」
「このあいだの空襲でね」
「空襲っ何」
一郎の矢継ぎ早の質問攻めに母は困った。
「今忙しいから後でね、お父さんがよく知ってるから、帰ってきたら聞いて見ようね」
「空襲っ何」
「ほら、一郎がいつか拾ってきて、お父さん
に見せていたでしょう。機銃掃射の球だっけ、
飛行機からバリバリバリって打つのよ。あと
焼夷弾とか爆弾とか、降ってくるよ。それから、ほら、一郎がドジョウがいるって言ってた
、野原の奥の池があるでしょう。あれは爆弾の破裂した痕なのよ、分かった」
一郎は ますます分からなくなった
「お母さん見てたの」
「お母さんはお姉ちゃんと田舎に疎開してい
て見てないわよ。お父さんが見ていたから帰ってきたら聞いてみなさい。お父さんは工場を
守るために、ここに残っていたんだから、良く知っているよ」
「どうして田舎なら大丈夫なの」
母はどうも面倒くさい様子だった、そして
一郎を無視して姉に言った。
「お姉ちゃん、お膳を出して、茶碗と橋を並べてちょうだい」
「ハーイ」
ここからは母と姉の夕飯に関する対話が始
まり、一郎はその話の中に入り込めず、あき
らめた。
そのうち父が帰ってきて、丸いちゃぶ台の
前に座った。
姉がラジオのスイッチを入れた。六0ワットの裸電球の下、殆どの家と同じように質素な
食事が始まった。
その晩、父の自慢話を聞いた。
「お父さんはあの工場の重役だったんだぞ、
部下が沢山いて忙しくて大変だったんだ」
母があいずちを打った。
「あの時はお母さんだって大変でしたよ。家
に、大勢の部下を引き連れて来て、酒を出せとか飯を出せとか。それも夜遅くにね」
「いやー、飲べえが多くて付き合いも大変なんだよ。おかげで皆よく働いた」
母はすかさず言った
「私もね」母は更に言った
「又、新婚だと言うのに、お父さんは何日も帰ってこない時もあるんだから。お母さんは大
きな家に何日もたった一人だったのよ。本当に田舎に帰ろうかと思いましたよ」
「いや~仕方ないさ母さん。国の命令なんだ
よ。忙しいのは父さんだけじゃないんだぞ」
母はすかさず言った
「でも一度、真夜中に、裏口から入って来た時は驚きましたよ」
父は遮るように言い返した。
「いや~、あの時は表の戸が閉まっていて仕
方なく裏口に回って『母さん母さん、戸を開けけてくれ』って小さな声で呼んだんだよ。
何の返事もないから、戸を外して中に入ろうと思い、戸をガタガタさせていたら、お母さ
んは大きな声で『キャー、ドロボー』って叫ぶんだ。近所の人が飛んできてくれて。『誰だ
~』て怒鳴られて『私です私です』とペコペコ謝って、分かってもらったが。イヤー、本当
に恥ずかしかったよ」
父と母の楽しそうな会話はしばらく続いた
そして父の自慢話が始まった。
「めっぽう摩擦に強いベークライトと言うの
を作った、ほら家にあるだろう、あの茶色い
棒だ。戦後、配給の米がモミ付きで来る事があるんだ。何処の家庭も精米機なんか持ってな
いよ。仕方なく一升瓶にモミ付きの米を入れて、あの棒で突いて精米するんだ『カチャカチ
ャカチャ』ってね。ベークライトは傷さえ付かない。変な所で役にたった。
それから、めっぽう軽くて丈夫なジュラルミンと言う金属を作った。飛行機の部品だが、
ほら、母さんの裁縫箱があるだろう、そのジュラルミンで作ったんだが、丈夫過ぎるくらい
丈夫だな。
まだまだあるぞ、ほら、あの六角形をした鉄のかたまりが工具箱にあるだろう。あれは飛
行機のエンジンの一部だ。全部お父さんの会社で作ったんだ」
父はニコニコしながら更に話した。会社で
奮闘し、会社が発展していく様子を語り、工場長になり、副社長へと出世した事も聞かされ
た。
又、戦時中、大勢の腕の良い従業員が次々と戦争に取られてしまい、変わりに何も知らな
い学生が手伝いに来て大変だった事や、三月十日の大空襲の時の話もしてくれた。
父は酒をゆっくり飲みながら語った。一郎にも分かるように語ったつもりだろうが、一郎
にはよく分からなかった。
「戦争に行った同僚も地獄を見たよ。その犠牲者の殆どが、戦ったのではなく飢え死にだそ
うだ。残ったお父さん達も地獄を見たよ。
お父さんの工場が真っ先に標的にされて、
集中砲火を受け、真っ先に炎に包まれたよ。
『工場をを守る』と言う名目で集まってくれた従業員だが、巨大な火柱を呆然と見上げるだ
けだ。
何度もやっていた防火訓練だが、何の役にも立ちゃあしない。
とにかく防空壕に避難させたよ。
軍の奴等は『焼夷弾を恐れるな、逃げるな』
何て言ってるが、雨の様に降ってくる焼夷弾を恐れない奴などいるわけない。
あっと言う間に、そこら中から火の手が上がり、強風にあおられて火の海だ。火の粉の中
をただ逃げるだけだ。
近くの高台に軍が設置した高射砲があり、
敵の爆撃機を狙って打っていたが、情けない事になかなか当たらねえんだ。
当たらないはずだ、爆撃機は弾の届かない遥か上の方を飛んでいるんだからな。
お父さんは逃げる途中、戦闘機から狙われ
て、一瞬逃げ場を失ったよ。『駄目か』と思
ったが、目の前に一本の電柱があった。立っ
たままその陰に隠れて、何とか助かったよ。
頭上で、火を噴きながら旋回し、墜落するる爆撃機を見て、巻き込まれないように走った
走った走った。
空気は異様に乾いているため、火の子を払わないと突然燃え上がり、火だるまになるんだ
。誰も何もしてあげられないんだよ。
なにしろ防空壕に避難させた人が皆死んで
、火に追われて逃げ回っていた、お父さんが助かったんだよ。運命とは不思議なもんだなあ
」
母は笑顔で言った。
「お父さんは運が良かったんですよね」
父はうなずき。
「その通りだ、家も会社も焼き尽くされが命だけは残った。きっと神様が『お前にはまだや
る事があるぞ』と言っているのかも知れないな」
父の話は続いた。
「日本の空軍の戦闘機などいやしない。その時お父さんは、日本は絶対に負けると思ったね」
父の話は更に続いた。
「又多くの人が火に追われて墨田川に飛び込んだよ、そして溺れたり凍死したりしたんだな
。又、不思議な事に、川の上を火が渡って行き、浮いている人さえ焼け死ぬんだ。
墨田川を多くの遺体が上げ潮引き潮に合わ
せて行き来しているのを見たよ。
橋の真ん中で、逃げ場を失い、折り重なった遺体を見たよ」
母が遮った
「お父さん、その話は怖いから聞きたくありませんよ」
しかし父の話は続いた
「誰だか分からない大量の遺体をトラックで
運んできて、あの煙突で処理していたよ。
我社の煙突が臨時の火葬場の焼却炉になったんだな。
まさに、あの煙突は大きな墓標と言う事になるな。
お雪婆があの煙突に合掌していたのも、一朗に『お化けが出る』と言ったのも、そう言う
理由があるからなんだね。
そしてあの玉音放送だ。ガーガー雑音がひどくて聞き取りにくかったが、『戦争に負けた
』と言う事だけは分ったよ。
終戦の日、女達は泣いていたよ、悔しくて
泣くんじゃないんだぞ。『もう逃げなくてもいいんだ』って、うれしくて泣くんだ。
皆、大本営発表が嘘である事に気がついたよ。平気で嘘が言える、陸海空のエリート達の
恐るべき体質だな。
一郎達はいいなあ、もう戦争はないだろう
からな」
父は、その後も度々空襲の話をしてくれた、
特に酒が入ると止まらない。母に、
「その話はもう聞きましたよ」と何度も言わ
れていた。
一郎には理解できない話も多かった。
「東条英樹の『共同一致』の演説を、どこの
新聞マスコミも賛美し、あおっておきながら
奴ら、誰一人責任を取っていない。
ほとぼりが冷めた頃、奴らが再び頭を持ち
上げる様な事がないように願いたいね」
(四)
人は誰人と言えども、生きる権利を持って生まれて来たはずだ。その権利を奪う戦争は
、間違いなく悪魔の仕業と言える。
戦争の歴史を学ぶと、そのまま人類の歴史となってしまう程、戦争に明け暮れたのが人間
ある。
その戦争の背後には必ず『差別、抑圧、貧困、人権侵害』といった『構造的な獣の暴力』
が存在する。
更に、悲しみの涙に暮れる人々に対する、恐るべき『無関心』がある。生命を軽視した独
善的な思想を持つ『冷笑』する権力者が存在する。そしてそれを支持する愚かな民衆の存在
も忘れてはならない。
戦後、誰もが口癖のように『騙された、騙された』と言っていた。『大本営発表』がひど
い嘘で固められていたためだ。そのため、『大本営発表』と言う言葉は、嘘の代名詞になっ
て使われていた。
騙す方も、騙される方も悪いのである。
世の中を平和にするのが、人々を幸福にするのが、すべての学問の行きつく先でなければ
ならない、それが学問の目的でなければならない、それが学問の使命でなければならない。
学問とは、悲惨な闇から抜け出す幸福への道標でなければならない。
それなのに何故、識者と言われる高学歴の人々は、容易く道を踏み外すのか、これ程まで
に野蛮なのか、これ程までに愚かなのか。誰かおしえてほしい。
誰か、誰か。
愚かな戦争へと走る、欲望やエゴイズムの暴走を抑える崇高な学門があれば、愛や理性を
養う気高き学問があれば、毒された精神を変革できる深い学問があれば、速やかに教えてほ
しい。
いや。
深く思いを巡らす時、悲惨な歴史の灯台が示すその先に、多くの賢人や聖哲が生涯を賭し
て解き明かした『平和への正しい道筋』は示されていると言えるのではないでしょうか。『
愛と良心へと導く確かなる方法』が明らされていると言えるのではないでしょうか。
深く思いを巡らす時、
すでに哲人の不滅の真理は明かされている。
すでに賢人の大我への道は示されている。
すでに聖人の不変的な愛はそこにある。
平和へのメッセージは出尽くした。と思うのです。
それを知識として習得している人は数限り
なくいるはずである。実践を試みた人も多く
いるはずである。しかし、何故か?。
不正と憎しみの前に。
愛と良心は、かくも抵抗する事なく敗北するものであろうか。
不滅の真理は、かくも単純に崩れ去るものであろうか。
正義と勇気は、かくも弱々しく消え去るものであろうか。
何かが足らないのだろうか。あと、何が必要なのだろうか。
今だ見ない聞かない、想像を超えた、巨人の出現を、大竜の出現を祈らずにはいられない
。
(五)
父の働いていた会社は、戦後間もなく、戦地から帰国した従業員や役員が集まり、戦前の
技術を生かし、再建を目指し準備を進めていた。
しかし、その最中に社長が病に倒れ、行き詰まってしまった。
社長は癒えることなく亡くなり、会社も再建することなく挫折してしまった。
今度は副社長だった父が中心になり、引き続き再建を目指していた。
そして、その最中の出来事だ。
一朗の弟が生まれた時だった。父が突然倒れ、何処かの病院に運ばれた。
一郎の家にアメリカの進駐軍がやってきて、白いDDTの粉を、家の中と言わず外と言わ
ず辺り一面に積もる程まいていった。
一郎の家族の長い冬の季節の始まりである
。笑い声がなくなった。母も姉も無口になった。
一郎は何度も何度も、毎日毎日、母に尋ねた。
「お父さん、いつ帰ってくるの、いつ帰って
くるの」しかし、母は無言だ。
ミシンの音が絶えず響き、針仕事をしている母の後ろ姿しか見えない。
小学生になったばかりの姉は、母の代わに
一切を引き受けて働いた。子守、洗濯、掃除
、買い物、食事の支度までだ。
一郎の口癖は「何かない」である。粗末な
食事に満足しないのである。
ある日、食卓から煮物や漬物が消えた。麦飯と実の無い味噌汁のみの食事が何日も続いた
。一郎は抗議した。
「他に何かないの、これだけなの」
「我慢しなさい明日は何か買ってくるからね」
一郎は泣いて抗議した。姉が母を助けた。
「お父さんが帰ってくるまで我慢しようね、
一郎はお兄ちゃんでしょう、恥ずかしいわよ」
一郎は次の日も抗議した。
「そうだ、おにぎりにしてあげようか、丸がいいかな、三角がいいかな」
母は知恵を出したが一郎はなかなか聞かない。一郎は我慢する事をいち早く教わったが、
いつまで待っても叶えられないと短気になる。一郎の気短は此の頃養われたようだ。
当時、お米は配給制度であり、十分の量はないため、配給とは別にヤミで購入していた人
もかなりいた。
時々珍しい乾パンの配給もあった。
一郎は封筒を開けてみた、母に内緒で食べてみた。この世にお菓子が存在する事は知って
いたが、まさにそのお菓子である。初めての味だ、おいしかった。
直ぐ母に見つかり取り上げられてしまった
母は何処に持って行くのだろうか。
家の小さな空き地に小屋を作り、数羽の鶏を飼っていた。その世話をするのが一郎の役目
だ。夕方になると放し飼いの鶏を『トートートー』と言って餌を上げるふりをして小屋にさ
そい入れるのである。
しかし卵を食べた記憶がない。卵を産まない雄鶏だったのか、いや、母は料理に使ってい
たのだろうか、売っていたのであろうか。
又、小さな庭で茄子やキュウリを栽培していた。これは何回も食べた記憶がある。
一郎はいつものように
「何かない」と母に言うと
「庭の茄子を取ってきなさい、焼いてあげる
よ」と言って、練炭の火や、電気コンロの上で焼いてくれた。
これは美味しかった。この時の焼き茄子の味は忘れられず、一郎の大好物になった。
何時だったか、母の知り合いのおばさんの家に行った時の事だった。
「今日は一郎ちゃんの好きなものをご馳走す
るからね、何が好きなの」と聞かれた。
一朗はすかさず。
「茄子」と言った。
「一郎ちゃんは安上がりでいいわね」と言われ笑われた。
更に生活は苦しくなった。小銭を数えている母の姿を見た。
この頃の極貧生活を書くべきか、書かざるべきか、何度も悩んだ。
『ひどい親だ』と錯覚されたくないからだ。
夜遅く、売れ残った食品を買いに行く母の姿は哀れだ。驚くべきは、少々臭いがする腐り
かけた食べ物を何度も洗い、食べていた。
ある時、一朗の全身に吹き出物ができた。蕁麻疹である。
数日で完治したのは幸いであったが、引き続き弟が発病した。
この時母は弱音を吐いた。
「ああ情けない」
それからしばらくしてから、次に起きた症状は辛かった。
それは、一郎の両方の耳たぶの付け根に亀裂が入り、血が滲むのである。赤チンと言われ
る殺菌剤を塗るが、何の効果も無かった。
夜、寝る時が大変で、寝返りを打つと耳が枕に当たり、激痛が走るのである。
又、服を着替える時も大変で、耳に触れないようにゆっくり着替えるのだが、耳に触れて
しまい激痛が走るのである。
「耳がちぎれそうだよ」と、何度も母に訴えたが、そんな小さな傷で病院には連れて行って
もらえず、本当に辛かった。
一朗の体質なのか栄養の偏りなのか分からないが、それが何ヶ月も続いたのである。
でも、そのような傷は時が経つと治るかも知れないが、心の傷は簡単に治らない。
近所の友達と遊んでいた時、その友達の母親が。
「お菓子取られないようにね」と、その子に注意していたのである。
一朗は、その子の持っているお菓子が欲しくてその子と遊んでいるのではない。
そして、その子の母は、せせら笑うように言った。
「貴方もお母さんに買ってもらえばいいでしょう。ハハハハ」
母を蔑むような言葉を浴びせられたのである。一郎の心に傷が付いた。
又同じ頃だった、一郎の命に傷が付くよう
な無慈悲な言葉を聞いた。
母は赤ん坊を背負い、一郎と姉の手を引い
て知人の家に行った。
どんな関係の知人か、どんな用事で行ったのか、どんな会話がなされたのか分からないが
、一郎が覚えている言葉は。
「亭主まだ生きているのか」
と言う凍り付くような言葉だっだ。
その日、テーブルの前に座り、全く動かな
い母の後ろ姿を見た。
幼い頃の心の傷は、簡単に消えるものではない。心の奥深くに沈んでいた、傷付けられた
自我は、縁により増悪となって現れ、社会に向かっての復讐となる事もあるのだ。
その傷を癒すのは、包容される事、大切にされる事、信頼される事、すなわち『愛情』以
外にはないのではないだろうか。
それは良い人との出会いであり、その第一が母親ではないだろうか。
有る寒い日の夜、赤ん坊が泣き叫んでいた。火の付いたような泣き方に、針仕事をしてい
た母がその異常に気が付いた。
母の悲鳴にも似た驚きの声に、姉が飛んできた。赤ん坊は足に火傷を負ったのである。
湯たんぼを布で幾重にも巻き付けて、赤ん坊の布団に入れて置いたが、巻いていた布の僅
かな隙間に赤ん坊の足が振れてしまったのだ。
母と姉は慌てた様に応急的に水で冷やし、母は薬局に薬を買いに出て言った。
姉は何度も何度も、
「ごめんね、ごめんね」
と、泣きながら赤ん坊に謝っていた。
一郎は赤ん坊の火傷を見るのが怖かったため、見なかった。
赤ん坊は治療した後、すやすやと眠りに付いたため、母も姉もとりあえず安案した。
姉は赤ん坊に小さな声で
「ごめんね、ごめんね」と何回も言っていた
更に姉は。
「私の責任だよね、だって、泣いてるの分かっていたのよ『うるさい』と思ったのよ、もう
直ぐ、かたずけが終わるから『待ってて』って思ったのよ」と、泣きそうに言った。
母は
「お姉ちゃんのせいじゃないでしょう、お母さんのせいでしょう、お母さんが油断したせい
でしょう。お姉ちゃんは全然悪くない。分かったわね、いいわね『ごめんね、ごめんね』は
もう言わないでよ」と、強く言った。
それでも姉は納得せず。
「でもお母さんのせいじゃない、仕事中だもの」と言い返した。
母は笑顔で言った
「お姉ちゃんは凄いね。だって『私の責任だ』と言い切るんだから。
普通、なかな言えないよね、誰だって悪い事は人のせいにして、責任を逃れようと言い訳
をするものでしょう。
お姉ちゃんはお母さんと同じ責任感を持っていたんだね。お姉ちゃんは器が大きいね」「
お母さん、器った何」
「心が、大きい、広い、深い、そして正しいと言うことなのよ。そしてそれは、お姉ちゃん
の振る舞いや、言葉使いや、顔の表情にまで現れて、多くの人から慕われる事になり、良い
友達も沢山できる、ということになるのよ」
母と姉は、今後『油断しない事、助け合う事』を約束していた。
一郎は、母と姉との暖かい会話の中から、責任を持つ事の大切さを教わった。
そして何よりも、家族愛を人間愛を吸収する事ができた。一郎の心の傷を癒してくれた事
も確かだ。
(六)
一郎の家に緊急に援助があった。母の実家からお爺さんがやってきたのだ。
大きなザックに、沢山のみやげ物を詰め込んでやってきたのだ。一郎と姉は歓声を上げた
。しかし、日持ちのする乾燥食品や漬物や衣類等で、歓声を上げるのは本当は母の方であっ
たかもしれない。
その夜 母とお爺さんとの長い会話が夜遅くまで続いた。
お爺さんの家は、山奥の寒村にあり、豊ではなかったが、母に、いざという時には、子供
を連れて帰ってくるように言ったそうだ。
いざという時は、どのような時か。母も姉も一郎でさえも分かる。
母が東京に出て来たきっかけは、家を助けるためだった。
最晩年、親戚のある人からその事情を詳しく聞かされて驚いた。
母の実家は豪農で豊かであった。
家に隣接する蔵の奥から、木箱に収まっていた故文書を発見した。藩主の家臣と思われる
人物の名で書かれた書で『この土地を俸禄として〝加藤兵右衛門〝に与える』と言う内容の
手紙だそうだ。
お爺さんはその書を額に入れて部屋に飾り『我が家は由緒ある家柄である』と自慢してい
たそうだ。
しかし印鑑一つで、すべてを失ってしまった。
母は突然、強制的に奴隷の様に、東京に連れてこられたのである。一家を救うためであっ
た。
母は、女学校の卒業式を迎える直前だったらしく、お爺さんは。
『卒業式だけには出してあげたかった』と何度も何度も言っていたそうだ。
その詳しい事情は、母は決して口に出さなかったため、一郎は知らなかった。
そう言えば、母は、幼い妹と別れる時の辛さを話してくれたことがあった。
そして、更に辛かったのは、その妹が病気で先立たれた時だそうだ。遠く離れていれば、
なおさらの事であろう。
後に、その辛さは一郎も味わう事となるのだ。影のように付き従っていた弟を失った時は
本当に辛かった。
『愛別離苦』愛する人との別れは、誰人たりとも避けられない、人はそうした苦しみや悲
しみを背負って生きていかねばならないのだ。
生とは何か、死とは何か、深く深く思いを巡らせる時、究極の法則としか言いようがない
。
又 しばらくして あのお雪婆が米を送ってくれた。
その日、真っ白いご飯が出た。一郎は一口食べて驚いた。白い米がこんなに美味しいもの
だっのか、すっかり忘れていたのだ。いや、いくら麦が多く入った我が家のお米と言えども
、その美味しさの違いは驚く程だ。配給のコメが古米だったのか古々米だったのか分からな
いがまずいのである。
でも、この頃の一郎には、貧しいと言う自覚は全くなかった。いい人達に囲まれていたか
らだと思う。
一郎は贅沢な食事に抵抗を感じるようになったのは、このせいであろうか。
一朗が大人になってから、ホテルでの豪華な食事を前に、あの頃を思い出し、しばし考え
させられる事がある。この地上には飢えている人がどれ程いるだろうか、申し訳ない気持ち
が出てしまうのだ。
一郎は山小屋での質素な食事がちょうどいいと思った。しかし最近ではかなり豪華だ、山
のてっぺんでウナギの蒲焼が出た。
ここで笑い話をしておこう。
今、我が家には女房と二人の子供がいる。
たまに一つ鍋ですき焼が出る。
不思議なことが起こった、すき焼をやるたびに、鍋に入れる肉の量が少なくなるのだ。す
なわち、すき焼風野菜の煮物みたいな料理になってしまったのだ。
私は女房に言った。
「何故野菜ばかりで肉の量が少ないのだ」
女房は
「何時も肉が余るから少なくしたのよ」と言うのである。私は笑えなかった。
実は、私は気を利かせて、なるべく子供達に多くの肉を食べさせようと思って、私が野菜
ばかり食べていたためだった。
子供達は子供達で気を利かせて、四分の一しか肉を食べないのだ。すなわち私の分だけ肉
が余るのだ。それを女房が錯覚して、肉が多過ぎたと思ったのだ。
私の気持ちは子供達にも女房にも伝わらなかった。私は子供達に。
「家の中では遠慮はいらない」と言った。
女房には
「俺は肉が嫌いではない」と言った。しかし、実はやむおえない事かも知れないのだ。
女房と付き合ってから、焼き肉屋とか寿司屋とかに入った事が無いのだ。私が何となく拒
否するのを見ていて、肉と寿司が嫌いと錯覚していたのだ。
私は贅沢が嫌いなだけなのだ。それは生まれつきなのだ。
ホテルでの朝のバイキング方式の豪華な食事でも、塩鮭のお茶付けを食べてしまうのであ
る。
ホテルでシャブシャブが出た時、食べ方が分からず、困った事があった。聞くと笑われそ
うで。
後輩を連れて、ステーキを初めて食べに行った時、店員に焼き方を聞かれて『プレミアム
』と言ったら、店員が笑いを堪えていた。
知り合いの子が遊びに来た
「おもちゃで遊ぼう・・・おもちゃ箱何処、
おもちゃ箱何処」と言った。
一郎は最後まで黙っていた。その子の家に
行った時、おもちゃ箱に一杯のおもちゃがあった。
一郎の家にはおもちゃなど一つも無い、ましておもちゃ箱等ある訳が無い。
又、ある時、近所の叔母さんが、
「ご飯を炊き過ぎたから、もってきたよ」と言い、かなりの量を持ってきてくれた。
おそらく炊き過ぎたのではなく、一郎達のために、わざわざ多く炊いたのである。母の友
人は近所にも多くいた。皆いい人達だ。
此の当時の食べ物の思い出は尽きない、やはりお腹が空かしていたんだと思われる。
母は、後々この頃の事を話してくれたことがある。『十円のお金もなかった。悔しかった
。情けなかった』と。
この頃母は、一朗と姉に二枚の写真を見せてくれた。
一枚は ピアノの横にドレスを着て、微笑を浮かべて立っている綺麗な女性の写真だ。
もう一枚は大きな乗用車のボンネットに寄り添う堂々とした父の写真だ。
「これはお父さんだね、でも、この女の人は
誰?」
「お母さんよ」
一郎は信じられなかった、写真の中の女性に母の面影が見当たらないのである。
「違うよ、全然似てないもん」
「よく見て、お母さんよ」
母が言うんだから、そうだろうと思ったが一郎は信じられなかった。何とか納得させられ
たが、どうしても別人に見えた。
それも当たり前かもしれない。ドレスを着て、化粧して舞台にいるピアニストと、薄黒い
作業着みたいのを着ている、今の母の姿は違い過ぎるのだ。しかし、一つ謎が解けた。
こんな貧しい我が家にも、何故か足踏み式
のオルガンがあるのだ。
姉が母に教わり、簡単な曲を弾くのは見ているが、母の演奏を一度も聞いた事が無いし、
オルガンの前に座っている姿も見たことが無い。しかし一度だけ、姉が、
「お母さんの演奏は凄い凄い凄い」と、興奮してい事があった。
更に母は語る。
「お母さんの家は大きくて立派だったのよ、家の前を通る人が、こんな家に住んでみたいっ
て言ってたのよ」
母は戦前の夢のような暮らしを話してくれた、久しぶりに見る母の笑顔だ。
「写真これだけ」
「そうよ、これだけよ、後の写真はあの家とともに消えたのよ・なにもかもね」
一郎は生涯この言葉を忘れなかった。
「消えたのよ・なにもかもね」
そこには、怒りが込められていた。
楽しい思い出はこの二枚の写真の中以外何もない、と言う事なのだろうか。
(七)
姉が叫んだ
「あ・お父さんだ」
大きなドアの向こうの大き部屋。沢山の電球が釣り下がる天井に硬い床、そして消毒の臭
いだろうか、かすかに漂う室内。そして同じ形と色のベッドが幾つも並んでいる。そして金
属の触れ合う音。一朗が始めて見る病棟の大きな一室だ。
一郎は探した。皆んな同じ痩せた人達で浴衣を着ている。
「何処、何処」
向こうのベッドの横に座って手招きしている痩せた人がいた。よく見るとそれが父だった
。
何か月も待った父との面会だ。しかし、一郎がいつも描いている、大きな頼れる父とは少
し違っていた。いや、少しではない。驚く程痩せていて、やたら白く、無精ひげを僅かに蓄
えた顔が小さく見えるのである。
母と姉そして弟そして一郎が長い間待っていたその瞬間だ。
姉と一郎はうれしくて、はしゃぎ過ぎて大きな声を出してしまい、母に注意された。
そして父から、退院の見通しが付いた事を
告げられて、姉と一郎が大きな声で歓声をあ
げて、又母に叱られた。
その母は死ぬまで、父の病名が何であるか
を言わなかった。
父は退院したが、極端に体力が無くなって
いた。はっ、と思わせるほどの細い手足である。
一郎は昼間でも寝ている父の姿を何回も見た。しかし生活のため、父はのんびり療養する
事などできなかったのだろう。
体力の無い父の仕事の種類は、おのずと限
定されてしまうため、厳しい我が家の経済状況を打開するため、母は洋裁の内職に加え、束
ねた薪の販売等も始めた。
小さな庭はトラックで運ばれてきた束ねた
薪で山ができた。
当然家事の一切を姉が引き受けた。一郎も
自分の事は自分でやるしかなかった。誰も頼
れないからだ。
他人を頼らず、何でも自分でやってしまう一郎の性格はこの頃養われた。
父は、石油や石炭の販売を手掛けた。やがて、友人や知人等を集め、会社を設立した。
一郎の家は夜遅くまで、多くの人の出入りで賑やかになった。
一郎の家族に『のんびり』と言う言葉がない。朝から挽まで誰も彼も動き回るからだ。
たとえ日曜と言えども、ゆっくりくつろいでいる父母の姿を一郎は見た事がない。
その血は一郎も受け継いでしまったらしい
。
一郎は、のんびり、ゆっくりが嫌いだ。
そんな忙しい中、父は一郎と姉を連れて一度だけ海に連れて行ってもらった事がある。
混んでいる電車の中で、座っていた一郎は
父に。
「一郎、席を譲りなさい」と言われ、近くいた高齢の女性に席を譲った。
大混雑の中、一郎はやっと届く吊り革に必死につかまったが、後ろから押され、揺らされ
、一郎は体力的にかなり厳しかった。
それでも初めての海水浴に、姉と一郎は大はしゃぎだった。もちろん泳げないので浅い波
打ち際で遊ぶだけである。
父は姉に泳ぎを教えていたため、一郎は一人であった。
しばらくして 膝程の浅い所で一郎は何故か目まいを起こした。目の前が一面白く霞み、
その後は何が起こったか記憶にない。
どれ程の時間が過ぎ去ったのだろうか、気
が付いたら砂浜で大勢の人に囲まれて仰向け
に寝かされていた。
母の叫ぶ声が聞こえたが、体が自由に動かせず、やっと父の背中につかまり、負ぶさり近
くの病院に向かった。
医者は父母に病室から出るように言った。
一郎は医者と看護婦に囲まれた。そして、のどに何かを差し込まれた。
『ゲーゲー』何回も何回も、口から鼻から目から何かを吐き出した。
苦しくて叫び声を上げる事さえもできなか
った。涙を流すだけである。初めて味合う地獄だった。思い出したくもない。
医者はその様子を父母に見せたくないため父母に病室から出るように言ったのだ。
後々まで父は『あの時一郎は死んだ』と言
っていた。要するに貧血を起こし、浅い所で溺れてしまったのだ。そして発見が遅れたらし
いのだ。
現在、『有体離脱なる現象を体験した』と言う人がかなりいるが、多くの体験は生死の境
目で起きているようだ。
一郎はこの時、自分の姿を上から見ると言
う貴重な体験をした。夢と言う人もいるだろうが、その鮮明さは忘れないのである。
気を失い、最初に気が付いたのは電車の中だ。一郎は一人で家に帰ろうとして電車に乗っ
たらしい。そしてボックス席に座り、流れる景色を見ていた。前に座っている人の顔さえは
っきり覚えている。
少しすると、自分の意志に関係なく、突然
電車の窓から飛び出し、ものすごい勢いで線路の上の電線付近を飛んだ。そして一瞬にして
元の砂浜にたどり着き、大勢の人に囲まれている自分を発見したのである。
一郎は海が嫌いである、水が嫌いである。
後々、中学での学校の体育の授業で、プールでの水泳教室があったが、一郎は必ず欠席し
た。三年間欠席し通した。
全クラス対抗の水泳大会もあった。皆楽しそうである、しかし一郎は絶対見学である。
水に対する恐怖は病的であり、一生直らない。山が好きになるのは泌然であろうか。
(八)
一九五〇年三月
復金インフレの収束と、市場の機能改善、
単一為替レートによって日本経済が世界経済
にリンクされ、国際市場への復帰が可能にな
った。このこと自体良い事ではあるが、その
一方で、デフレーションが進行し「ドッジ不
況」いわゆる安定恐慌が引き起こされ、七月六日には、ついに東京証券取引所の修正平均株
価は、史上最安値となる八五二五円を記録した。これは現在に至るまで最安値である。そし
て失業や倒産が相次ぐのである。
そして父の経営する会社はその影響をまともに受けてしまうのである。
弟のおかげだろうか、一郎もすっかり兄らしくなった。もうわがままが通じないのである
。『お兄ちゃんでしょう』と言われると、
何も言えないのである。
そんな一郎の家に、季節は夏だというのに
突然冬がやって来た。
冷たい雨が激しく音を立てて降る夜、襖を
隔てた隣の部屋から父と二人程の誰かと激しく言い争う声が続いていた。
一瞬静かになったかと思えば、突然罵声が
飛び交う、早口になったと思えば 又静かになる。
一郎は言葉の意味は分からないが、非常事
態が起きている事ぐらい分かった。
母と一郎達は小さなテーブルを囲み静かに この争いの終わるのを待った。
母はたまりかねたのか、その言い争いの修羅場に飛び込んで行った。
長い時間が流れた。誰も寝ようとしない。
更に長い時間が流れた。
それから数日後、見た事もない三人の男性
が一郎の家にやって来た。父が留守だったため母が対応した。
父が留守である事を告げたが、その男達は大きな声を張り上げ、無理やり母を押しのけて
玄関に入ってきた。そして敷居に腰掛け、
鋭い目で、乱暴で激しい口調で脅迫した。
一郎は震えた。しかし母は全く退かず動ぜ
ず毅然とした態度で対応していた。
三人の男を相手にした母の冷静な態度は、
やがて男達を冷静にさせて、最後は丁寧に挨
拶をして帰って行った。
一郎は驚いた 今までに是れ程たくましく
強く頼れる母を見たことがないからだ。
一郎は心で叫んだ
『誰か、お母さんを誉めてあげて』
数日後、二人の警官がきて、父母と長い話
をしていた。
それから数日後の寒い夜の事だった。手に 包丁を隠し持った男が来た。その男は。
『これから誰かを殺しに行くから』と父に了承を求めに来たらしいのである。
父と母の懸命な説得が続いた。その男はドサクサにまぎれて『やる』と言うのだ。父母の
説得に男は思い止まったが、悔しさに男泣きしていた。
母は急いでその男に食事を出した。
この年、この時期、多くの中小零細企業が倒産した。父の会社は連鎖倒産である、多くの
被害者の一人が父である。
買ったばかりの母のミシン、母の鏡台、思
い出の父のカメラ、主なる家具類も持ち出さ
れた、そして家の明け渡しまで迫られた。
そして多額の借金だけが残った。
父は車のドライバーとなり急場をしのいだ。
引っ越した家は、狭く暗く異様な匂いがする一軒家だ。父の寂しそうな背中を見た。
母は、毎月決められた日に、決めれた金額を支払うために、何処かに出かける。
父は、母や子供達に。
「もう一度、商売を始めるからな」と何回も言う。しかし母は。
「お父さんは騙されやすいから」と反対する。
父の大きな夢も、借金を抱え家賃を払い三人の子供を育てながら。そして何よりも、大病
を患つた弱い体では、会社設立の資金を貯める事など、到底出来ないのである。
更に母は何回もつぶやく。
「お父さんはね、あの病気の後、頭が悪くなったみたいよ」と言うのである。一郎は頭の
い父など知らないから、どうでもよかった
が、体力がない事を隠すために、頭が悪くなった振りをしているのかも知れない。
戦後、殆どの家は貧しかった。しかし、そ
れを自覚しないのが幸いである、すなわち、それが普通であり、当たり前だからである。
一郎の家では、魚は骨まで焼いて食るのが当たり前だった。お米に大量の麦を入れるのが
当たり前だった。
そのころ学校の野外での行事に、各家庭で作った弁当を持って行くのだが、一郎の弁当は
白米に麦が半分ほど入った弁当だ。父は、「健康のためだ」と言うが、正直まずいのである
。
一郎は母に
「クラスの皆の弁当と違うよ、麦飯は恥かしいよ」と抗議した。すると母は小さな声で、「
ごめんね・・・」と言い黙った。
すかさず父が母に言った。
「弁当の時ぐらい何とかならないか母さん」
母は黙って、じっと弁当を見ている。
・・・一朗は、はっ、と気が付いた、そして反省した。
『僕は母に何て事を言ってしまったんだろうか。母が謝る必要など無いはずだ。こんな小さ
なことで、母を悩ますのは絶対に良くない』
一郎は命に刻み込むように決意した。
『今後小さな事にこだわらない、そして誰の
せいにもしない』と。
おおよそ借金とは人間らしい生き方を奪う
場合がある、もちろん何かを買うと言う目的
があり、余裕の生活であればも問題ないが。
借金は自由を奪われるだけでなく、責任も負わされる。奴隷は自由がないが責任を負わされ
る事はない。ある意味、借金の返済に追われる人は奴隷以下だ。
(九)
姉が中学に入学したとき しばしば学年ト
ップの成績を上げて構内に張り出された。
近所の母の友人が、我が事の様に喜び、わざわざ姉を褒めに来てくれた。
別の近状のおばさんは。
「運が良かったんしょう」などと、皮肉って言っていた。
そして一郎にとって、生涯に影響を及ぼす程の、激動の年の幕が開かれた。
姉は三年になると学校創立以来初の女性の生徒会委員長に選ばれた。
中学一年になった一郎も、姉に続こうと思ったが、その違いに気が付き、直ぐ諦めた。
姉は何時何処で勉強していたのだろうか。
学校では誰よりも忙しく、家では母の変わりに家事はもとより、買い物まで手伝い、一郎
や弟の勉強まで見てくれていた。
姉は何時何処で勉強しているのだろうか。
夜の、ほんの僅かな時間だけだろうか。一郎は一度、聞いた事がある。
「姉さんは何時、何処で勉強しているの」
すると姉は。
「誰もいない静かな場所でね」と言う、しかし、そんな所がある訳ないと思った。更に、「
どうすれば一番になれるの」と聞いた。姉は笑いながら。
「魔法の力よ」と言う。もちろん、そんな魔法の力などない事はわかっているが、不思議だ
った。きっと学校の帰りに友達の家で勉強しているのだろう。一郎はそう思った。
後々分かった事だが『誰もいない静かな場
所』とは『墓地』の事だった。
確かに学校の帰り道から少し逸れた所に、大きな墓苑がある。木陰もあり、屋根付きの休
憩所みたいな所もある。確かに静かだ、勉強をするには最適な場所かもしれない。
そして『魔法』とは『希望』の事であった。
『希望』には不思議な力がある事は確かだ。
如何なる劣悪な環境に置かれても、例え全てを奪われても、絶望の底からでも、人間は希望
を抱く事ができる。希望は与えられるものではなく、自らが生み出すものだ。
希望の炎さえ燃やし続けていれば、未来を創造することができる。その人には行き詰まり
がない、諦めもない、惰性も無い、堕落も無い、成長がある、充実がある。
まさに希望とは、我が人生を励ます魔法の力であり、神が人間にのみ与えた、唯一の特権
ではないだろうか。
教室の一番前の席に、おとなしい小柄な子
がいた。洋一と言う。目立たない奴だが勉強
は出来る、いや勉強しかできない奴だ。
あだ名は『ガリ勉』である、陰では『ガリ勉小僧』とか言われていた。
ある日の休み時間、一郎がガリ勉の前を通
りかかった時、ガリ勉がカードのような物をカバンの奥にしまうのを見た。
「おいガリ勉、今の見せろよ」
一郎は軽い気持ちでガリ勉の前に手の平を出した。ガリ勉は一郎を無視して横を向いてい
る。一郎は再度言った。
「見せる位ならいいだろう」一郎は今度はガリ勉の顔の近くに手を出した。
その時、突然、ガリ勉の拳が一郎の顔面に飛んで来た。
驚いたのは一郎だけではない、周りのクラ
スメイト達も驚き一斉に「オー・・」と声を
上げた。すべての視線が一郎とガリ勉に向け
られた。
教室の中は静まり、皆、次の成り行きに注
目した。ちょうどその時、授業開始のチャイ
ムが鳴った。
皆ざわめきながら各々自分の席に着いた。
一郎は興奮している自分を抑えながら席に着いた。
一郎の頭は混乱していたが、何があったの
か冷静に考えようとした。
『何も悪い事はしていない・・・何故・・・
皆の前で理由無く殴られたのだ。男としてこのまま済ます訳にはいかない・・・しかし何故
』
前の方のガリ勉を見ると、何事も無かった
ように平然としているように見えるし、しょ
げ返っているようにも見える。
一朗は困った。『相手が悪すぎるのだ、いや相手が弱すぎるのだ、喧嘩をするような相手
ではない。殴り返しても何の自慢にもならないし、弱い者いじめに見えるかも知れない。か
えって皆はガリ勉の見方に付く可能性さえある』
時間はあっという間に過ぎ、授業終了のチャイムが何事もなかったように鳴った。
「起立。礼」
そしてクラスの誰もが、一郎が如何に行動するか、如何に仕返しをするか、注目した。
一朗が殴り返して終わりか。ガリ勉が誤っ
て終わりか。どっちだ。
一郎は一番前の席のガリ勉の前に立った。
「おい、ガリ勉・・・」
ガリ勉は横を向いたまま無言だ。振り向きもしない、謝る気配もない。何故だ、覚悟を決
めているのか。
一郎は思った。
『謝って欲しい、それですむんだからな・』
だがガリ勉は何も言わない、一郎を無視して
いる。
クラスの誰もがその成り行きに注目をして
いる。しかし一郎はとても仕返しをする気に
はなれない。一郎は勇気を出して言った。いや、仕方なく言ったのだ。
「おいガリ勉。さっきの事は無かった事にし
ておくからな」
一郎は皆の視線を避けるため、用もないのに薄暗い廊下に逃げるように出た。
するとガリ勉も小走りで、一郎を追いかけるように廊下に出てきた。
そして一郎を追い抜き、一郎の正面に立ちはだかった。
ガリ勉は無言で握手を求めてきた。
一郎は無言でガリ勉と握手した、無言でもお互いの気持ちは分かっている。
数日後の放課後、ガリ勉は一郎を誘った。
「俺の家に寄っていかないか」
「え・・・ああいいよ」
一郎はちょっと驚いた。ガリ勉には友達が
いない、おとなし過ぎるからだ、それだけで
はない、何を誘っても必ず断るからだ、そし
ていつも下を向いて歩いている。クラスの皆が思っている事だが。
『いるかいないか分からない、付き合いずらい、話しずらい、絶対笑わない、運動神経無さ
そう、ガリ勉小僧』
そのガリ勉が一郎を誘ったのだ。
たわいも無い話をしながら、大通りから路
地に入った。ガリ勉の事を硬い奴、難しい奴
と決め付けていたが、話をするとそうでもな
い事が分かった。
右に曲がり左に曲がり、一郎も来た事もな
い所に来た。
「ここだ・・・上がっていけよ」
二階建ての木造の家だが、どうにも低い、
普通の二階建ての家より低いのである。更に
良く見ると、土地の形に合わせて立てたのだ
ろうか少し変形している。
引き戸を引いて小さな土間に入った、直ぐ
前の部屋に二人の女の子がいた。
「俺の妹だよ」
一郎は元気良く挨拶した。
「こんにちは」ガリ勉の妹は恥ずかしそうに軽く頭を下げた。
ガリ勉は 梯子のような粗末で急な階段を猿が木に登るように上り、二階に案内した。
思った通り天井が低い、一郎の背丈なら何
とか頭がぶつからないが、普通の大人や背の高い人は腰を屈めなければならないだろう。
背の低いガリ勉には丁度いいかもしれない。
この家はガリ勉の父親が作ったそうだ。やはりプロの大工さんの作りとは違う。壁は大き
さの違う板を無理やりつなぎ合わせたようで、とても綺麗とは言えない。
しかし天井に張り付いている明かりは、最近出始めたばかりの蛍光灯だ。褒める所を探せ
と言われれば、その蛍光灯ぐらいだ。
一郎はその部屋の奥を見て驚いた。何段もの棚に綺麗に整頓された大量の本だ。
「いやーすごいなー・・・ずいぶんあるなー
何十冊どころじゃないな、何百冊だなーこれ
全部ガリ勉のか」
「そうだよ」
汚い部屋に似合わないように、沢山の単行
本や参考書が並んでいる。
「本屋に来たみたいだ、ガリ勉が勉強のでき
る訳がわかったよ。本当にうらやましいよ、
俺とは環境が全然違うぜ」
ガリ勉は直ぐ否定した
「何言ってんだよ、これみんな俺が自分で働いて買ったんだ。神田に古本屋街があるんだ
よ、そこで買うと安いよ、ほら、みんな古本ばかりだ」
一郎は又驚いた、見直した、こいつは凄い奴なんだと思った。
「おいガリ勉 お前働いてるんか・・本当か
よ、すげえな・・・で、何やってんだ。新聞配達か、牛乳配達か」ガリ勉は又否定した
「いや違う、新聞配達なんかじゃないよ。そんな楽な仕事じゃないよ。
俺は俺のためでもあるが、我が家の生活のために働くんだ。これは俺の運命だと思うよ
・・・でも、俺は嫌じゃないんだ。今日はその事で一郎を呼んだんだよ。
この間の事覚えてるか。一朗に見せなかったのはこれだ」
そう言うとガリ勉は机の引き出しから一枚のカードを取り出して一郎に渡した。二つ折に
なっているカードで中を開けてみると、幾つもの印鑑が綺麗に並んでいた。
「はー、なるほど、これだったのか、何か大事そうだな、でさー何これ、説明しろよ」
ガリ勉はカードを返してもらうと、大事そうに机の引き出しにしまった。そして。
「誰にも知られたくない事なんだけど、俺さー、ゴルフのキャディーやっているんだ。殆ど
毎日ね。お客がいなくても球拾いや掃除があるから行けば幾らかにはなるんだ。
行きたくなければ行かなくてもいいから、気は楽だよ。だけど日曜は休めないよ、忙しい
からだ、朝から晩まで次から次とバッグを担ぐ」
一朗は荒川の河川敷に、都民ゴルフ場と言うのがあるのを知っていた。
「ああそうか、ガリ勉はあそこで働いているのか」
ガリ勉は詳しく説明した。
「そのカードにバッグを担いだ分だけ印鑑を押してもらい、毎月十日に清算し、その場で一
か月分の現金が支給されるんだ」
一郎は広い河川敷に友達や兄弟等でも、父と釣りにも、何度も行った事がある。学校の行
事で小学校の一年生程度の遠足や、写生会等でも行った事がある。
とにかく広く、さほど危険な場所もなく、自然にできた池もあり、まさに自然のままの、
子供たちの絶好の遊び場になっていた。
しかし突然、建設機械等が入り、立ち入り禁止になってしまった。
気が付いた時は上流から遥か河口の方向まで、広大なゴルフ場になっていて、土手下の道
路は、ゴルフ場専用のマイクロバスが往来するようになっていた。
一朗達は不満だった
「都民ゴルフ場って、都民のためのかよ、俺も都民なんだけど、俺達には全く関係ねえよな
。野球ができなくなったじゃねえか、釣りもできねえじゃねえか」土手の上から皆で不満を
言い合い批判した事があった。
一郎はガリ勉が大きく見えた、大人に見えた、感心した、そして誉めた。
「ガリ勉は大人だな、すごいじゃねえか、誰でもできる事じゃねえよ。
だけどよ、何で内緒にするんだよ。隠す事なんかねえじゃねえか、それどころかよ、これ
は自慢できる事じゃねえのか、それを『誰にも知られたくない』なんて言うの、俺には分か
らねえよ」
しかしガリ勉は首を横に振り否定した。
「自慢できない訳があるんだよ。
俺の親父は大酒飲みで、酒癖が悪く、よく家の中で大暴れするんだ。俺は二人の妹をつれ
て何度も外へ避難したよ。おっ母が『静かになったから帰ってきていいよ』と言って空き地
に避難している僕たちを迎えに来るんだ
・・・どう思う一郎」
「ああ、そうだったんだ、大変だよな」
すかさずガリ勉は言う、
「そう、大変だよ、酒さえ飲まなければ普通の親父だぜ、いや、高学歴で難しい本をよく読
んでいるんだ。俺が字が読めるようになると、面白い童話の本を次々に買ってきてくれてよ
、おかげで俺は本が好きになったよ。親父が話してくれる歴史の話なんか、本当に面白いぞ
」
一朗には理解できなかった、一郎は歴史は嫌いである。大量の人物の名前とその年代を覚
えても、何の役に立つのか疑問だつたからだ。
更にガリ勉は言う、
「しかし、悪いヤミの酒が原因だと思うが、目を悪くしてしまい、遠くは見えるが近くは見
えないと言う、治る見込み無ない病気にかかり、普通の仕事はできなくなってしまったよ。
親父は酒で暴れる事はなくなったが、性格が変わってしまい、何でもない事でも大きな声
で怒鳴り散らすんだ、おっ母が大変なんだよ。更に、親父の代わりに、おっ母が働きに行く
ようになったんだ」
一朗は思った、母親とは苦労するものなのだろうか。一朗の母と言えば、働く姿しか思い
浮かばない、ガリ勉の母もそうなのか、一朗は共感を覚えた。
私は思う。
家庭を見向きもせず、理由を付けては遊び歩き、価値のない議論ばかりしている男達が多
い中で、足元を見て、的確な処置ができるのは母である。
私は思う。
懸命に子供を育て、亭主に使え、家計が傾けば当然のように仕事に明け暮れる。
私は思う。
誰からも称えられず、歳を取る事さえ気が付かず、あえて母は最期の砦となる。
社会保障制度など殆どない当時、大黒柱が倒れた家庭は悲惨である。誰かの援助がなけれ
ば、母親は子供がどんなに幼くても生きるために、いや食べるために知恵を巡らし働くので
ある。もしくは子供達を養子に出さなくてはならない。
一郎の父がそうであった。
父の晩年。父の兄と名乗る人が訪ねて来た。涙の再開の場面は、ドラマのようであった。
いずれにしても一家離散は悲劇である。
私は思う
当時のこの母達の苦労は並たいていではない。重い責任から解放される日を、どれ程夢見
た事であろうか、時には、子供も亭主もすべて捨てて逃亡し、自由な世界に行きたかったの
ではないだろうか。
私は思う
この母とは、負けない人の異名である。この母とは、苦労と忍耐に咲く希望の花である。
この母とは、家族を照らす光明である。
私は断言する
母の祈りに答えてこそ、正義になれる。母の大恩に報いてこそ、人間になれる。と。
ガリ勉は言う
「一郎、もしもだよ、もしも離婚したら、俺は親父と一緒に捨てられるよな。
俺が働くのは苦しい生活を助けるためだけじゃなく、離婚してもらいたくないからだ」
一郎は困った、何が何だか分からないからだ。
ガリ勉は更に言う
「俺のおっ母は本当のおっ母ではないんだ、
最近まで『叔母さん』と呼んでいたんだ。だから親父が目を悪くした時、親父がまともに働
けなくなった時、おっ母が働くようになった時、正直、俺と親父は捨てられると思ったよ。
すなわち離婚だな。
だって叔母さんから見れば俺は他人だ、ダメな親父と共に苦労して面倒見る事なんか、普
通やらないよね。自分の実の子供二人を育てるだけで精いっぱいだろう、普通はそうだうだ
ろ」
一朗は困った、難しすぎて判断なんかできないからだ。ガリ勉は更に言う。
「俺と親父は叔母さんから見ると厄介者となる訳だ、分かるだろう」
一朗は困った、どうも分からない親子関係だ、そこで聞いた。
「本当のおっ母は」
ガリ勉は指を上に向けて言った。
「あの世にいるよ」
一朗は聞いてはいけない事なのかな、と思ったが、ガリ勉はその事を話し出した。
「俺のおっ母は俺が四歳の時、突然目の前で
倒れ、そのまま死んだよ。最初は寝ているだけと思ったが。親父が帰ってきて大騒ぎになっ
た。その時。
『何故、誰かを呼ばなかったんだ』と誰かに言われた。これはきつい言葉だぜ、だって、俺
に責任があると言われたようなものだ。
俺は一週間泣き続けたらしい、しかし今はそんなに悲しくないよ、いないのが当たり前だ
からな。
本当のおっ母が死んで、何年かして、今の叔母さんが二人の小さな女の子を連れてきて、
我が家の新しいおっ母になったんだ。
俺は慣れなくて、何時も叔母さん叔母さんって呼んで、お母さんとか言えなかった。
叔母さんは叔母さんだ、おっ母とは違うからな。
親父の目が治らない、と分かった時、俺は怖かったね。叔母さんが怖いんじゃなくて、
叔母さんに頼ったら、迷惑をかけたら親父と一緒に捨てられると本当に思ったよ。
それで、小学六年生のくせに働く事を決めてゴルフ場に押しかけたんだ。
ゴルフ場はオープンしたばっかりで、キャデーが少なくて、バッグが担げれば誰でもいい
んだ。
でも、小学生は俺だけかも知れないね。『中学生です』って嘘を言ったけど、たぶん向こ
うも解ってるんだよ。人が足らないんだからね、叔父さんだろうが叔母さんだろうが子供だ
ろうが誰でも良かったらしいよ。
だから基礎知識もルールも知らない。すなわちゴルフが何だか分からない奴ばかりだよ。
でもそれでよかったんだよ。
いきなりバッグ担いで行ってこいだよ。俺もお客に怒られながら、笑われながら、同情さ
れながら、褒められながら覚えたよ」
そしてガリ勉は言い切った。
「恥だよな、我が家の恥だよな、誰にも言え
ないよな、だけど一郎にだけ話しておくよ」
一郎は少々自責の念にかられた、ガリ勉が勉強ができるのは、この多くの参考書のおかげ
で、環境が良いためと思ったが、話を聞くとそうではなかった、環境は最悪だった。
一郎はガリ勉に聞いた。
「んでさあ、今は『叔母さん』でなく、『おっ母』っで呼ぶのか」
「そうだよ。
あるときの夜、妹たちに『おっ母は戦ってくるからね、いい子にしてるんだよ』って言って
いた。
俺は、おっ母は職場では大変なんだ、と思ったよ」
そい言えば一郎の母も、仕事を始める時はいつも、膝をポンと叩いて、気合を入れるよう
に立ち上がるのだ。
一郎は、ガリ勉の母も、気合を入れて職場に向かうのだろう、と思った。
更にガリ勉は言う。
「叔母さんに心配かけないように、兄弟三人、いい子にしていなければと思い、自然に、妹
たちの真似をして『おっ母、行ってらっしゃい』って言ったよ。
後で親父から『おっ母が、涙を流して喜んでくれた』と言っていたよ。
それからは『叔母さん』でなく『おっ母』と呼ぶんだ」
この母子は、後々まで我々の模範となるような、麗しい親子関係を築いていった。
一郎が『え~、そこまでするの』と思うほどのガリ勉の親孝行である。
その母の晩年、寝たきりの期間中、ガリ勉は下の世話を進んでしていた。それも少しも嫌
がらず、冗談を言いながら。一郎にはできないかもしれない。
又、その兄を尊敬する妹たちとの信頼関係は絶対であった。
厳しい家庭でも、いや、厳しいからこそ親子の、そして兄弟の絆は強く結ばれるのだ。
それは一郎の家族でも同じだった。
別にお話だが、一郎は、ガリ勉の頭の良さは何処から来るのか考えた事があった。
なにしろガリ勉の頭の良さは、クラスで一人だけとび抜けている程である。
親父の高学歴の影響なのか、親父の遺伝のせいなのか、だが、それだけでもなかった事が
徐々に分かった。
ガリ勉は、本気を出すと止まらないのである。すなわち最後まで、とことんやると言う性
格があったのだ。
例えば、試験の前の日は寝ないで朝まで勉強すると言う。それが当たり前というか、癖に
なったというか、それがどうって事ないというのである。
一朗は朝まで勉強などやった事など一度もないし、出来ないだろう。そしてガリ勉は勉強
中、暑さ寒さを忘れる事もあると言うのだ。
まさに剣豪の修行に似ていた。
ガリ勉は改まったように言った。
「この間、理由なく殴って悪かったな」
一朗は、
「ははは、男は簡単に謝るもんじゃない、小さな事だ」
部屋の奥に リンゴ箱をひっくり返したよ
うな机があり、その上に汚い電気スタンドが
ある。
「おい、あれがガリ勉の勉強机か」
「そうだ、勉強机も電気スタンドも俺が作っ
た」
ガリ勉は電気スタンドが出来上がるまでの
苦労話をした。もらってきた板を切り、ペーパーで磨きエナメルを塗って綺麗にし、次に近
所の電気店に行き、電気コードやソケット類を購入して組み立てた。
次に傘の骨組みをもらって来て、母に綺麗な布を縫い付けてもらい完成させたそうだ。
ガリ勉は誰かにこの話をしたかったのだろ
うか、生き生きと語るのだ。
電気スタンドなど、どこの電気屋にも売っ
ているし、自分で組み立てるためのキットも売っている。それをすべて自作でやるんだから
、一郎は本当にすごいと思った。
「ガリ勉はすげえな、こんなの作っちやうんだからな、頭がいいだけじゃなくて、手先も起
用なんだな」
一郎はガリ勉を誉めた、関心してやった。見たことのないガリ勉の笑顔を見た。
錯覚だろうか、何故か一郎もうれしかった。
一郎とガリ勉との出会いは本との出合いで
もあった。ガリ勉はいつでも快く貸してくれた。
そして神田の何十件も軒を連ねて並んでいる古本屋街に、一郎はガリ勉に案内されて何度
も訪れた。
世界の名作を読み、生意気に語り合う事はとても楽しい事だった。世界の詩歌を読み、そ
の感動を語り理解する相手がいる事は喜びであった。一郎はその頃から漫画本を一切読まな
くなった。
(十)
ある日、体育の時間の水泳教室が終了し、
皆教室に戻って来た時の事だった。
親が都会議員だと言う加藤勇と言うクラスメイトが突然騒ぎ出した。
「誰だ、俺の金盗んだ奴は・・・」
皆驚き注目した。
「さっきまであったんだぞ」
加藤は周りの皆に。
「ここに入れて置いた」と一生懸命説明して
いる様子だった。
周りの皆から。
「良く探せよ」「人のせいにするなよ」と言われていた。
加藤は教室の皆に向かって言った。
「最後に教室から出た奴は誰だ、そいつが一
番怪しい・・・それから最初に教室に戻ってきた奴、そいつが二番目に怪しい」
加藤は何の思慮もなく決め付けたのである。
一郎は水泳教室の時はいつもの通り見学である。幼い時の水への恐怖が治らないためだ、
一種の病気だと先生からも認定されている。
いつもこの時間帯は寂しい、辛い、プールの隅っこで小さくなって耐えているのだ。その
ため当然のように一朗だけ、プールへは最期に皆から遅れて付いて行くのである。
教室から最後に出るのも、最初に戻って来るのも一郎以外いないのである。
一郎は腹がたったが、知らん振りをしていた。しかし誰かが一郎の名前を言った。
「一郎、知らねえか」一郎は驚いた、腹がた
った。そして言い放した。
「何。ふざけんじゃねえよ、知る分けねだろう、おめえ見てたのかよ」
すると加藤は
「誰か見てた奴いないか・・・」
一郎は絶えかねて席を立ち、加藤の席の前に立ちはだかり睨みつけて言った。
「加藤、ふざけんなよ、俺が盗んだと言うのかよ」
加藤は憮然と言い放した
「なにも一郎だと言ってねえだろう、疑って
いるだけだよ。お前の親父さんケチだからなあ」
一郎はついに限界を超えた。
「なに、この野郎、立て」
加藤の胸倉を掴んで無理やり席から立たせた。クラスの中は騒然となり、
「やめろ」と、止めに入る奴もいたが、一郎の耳には届かなかった。明らかに一郎の顔は青
ざめて、正気を失っていた。
そして殴りかかろうとしたその瞬間、前の席から大きな声がした。
「一郎じゃないよ・・・・」
後ろの皆に向って大きな声で言い放したの
だ、皆は注目した。誰。誰。
「一郎は、目の前に札束があっても絶対に手を出さない奴だぞ」
皆、唖然とした。誰。
大きな声の主はガリ勉だった。
いつもおとなしいガリ勉がクラス全員に向かい、声を張り上げ堂々と言い切ったのだ。
これほどの説得力はない。
教室は静かになった。そして何処からか、「そーだそーだ」と言う声がした、そして、「
加藤~、勝手に人のせいにすんじゃねーよ」と言う声もあった。
一郎は冷静になれた『皆は分かっているんだ・・・こんなバカは殴る程の価値もない』
一息入れてから加藤の胸倉から手を離した、
何事も無かったように授業が始まった。
おとなしいガリ勉の事だ、おそらく、すごい勇気が必要だったんじゃないか。
いざと言う時、裏切らないのが親友だ。ならば恩を忘れないのも親友だ。一郎はこの時の
事を一生忘れなかった。
程無く、なくなったはずの金が何処からか
出てきたらしい。
誰かが皆に言った
「加藤の勘違いだってよ」
当の加藤は謝りもしない。何事もなかった様な振りをしている。
『お前の親父さんケチだからなあ』と言われて確かに腹が立った。
此の頃、学校の行事に度々寄付があった。
一郎の父は、その寄付をしなかったか、少ししかしなかったのだろう。
誰かが父の事をケチだとでも言ったのだろう。父兄の間ではそんなくだらない事が直ぐ噂
になる。
一郎は少しも恥ずかしいとは思わなかった、逆に父親は偉いと思った。少しも見栄を張ら
ず、ありのままで堂々としているからだ。
(十一)
ある日、ガリ勉が誰かに絡まれていた。
そいつは顔を強張らせガリ勉に詰め寄っている。
「おい、ガリ勉、どうするつもりだ」
相手は柔道部の背の高いクラスメイトだ。
「おい、ガリ勉、決着を付けようじゃねえか、
昼休みに体育館に来い。逃げるなよ」
ガリ勉が脅されている、何があったのだろう、一郎は慌ててガリ勉に聞いた。
「何があったんだよ、あいつ柔道やってるし、何で喧嘩なんかするんだよ」
ガリ勉は首を何回も振りながら。
「わかねえんだよ、何であいつが怒っているのか、わからねえんだよ、俺は何もしてねえし
、俺は何も言ってないし」
昼休み、ガリ勉は体育館に強引に連れていかれた。
一郎はその柔道部員とガリ勉の後ろから体育館に付いて行き、その様子を少し離れた所か
ら見ていたが、一郎は怖かった。
その柔道部員は、体育館の隅に、マットを敷き始めた。そしてガリ勉に。
「さあ、かかってこい」と掛け声をかけて身構えた。勝負を挑んでいるのである。
無茶だ、柔道などしたことのないガリ勉を相手に、柔道をしようというのである。汚い奴
だ、許せない。
一郎は迷った、怖かった、でも、見て見ぬふりはできない。しかし相手が悪過ぎる、強す
ぎる。でも一郎は恐る恐る、いや震えながら止めに入った。
「何してるんだ、やめろよ」
柔道部員は一郎の呼びかけを完全に無視し、ガリ勉と組み合ってしまった。
案の定、ガリ勉はあっけなく倒された。しかも柔道部員は、その上から抑え込みの体制に
入ったのである。
一朗はドキドキしなが「やめろよ、やめろよ」と言ったが、柔道部員は聞こえない振りを
して、一郎を無視し、怒鳴るような大きな声で。
「ここから脱出してみろ」と言った。
一郎はそれ以上どうする事も出来ず、ただ
これ以上エスカレートしないように願いながら見ているしかなかった。
ガリ勉は手足をばたつかせていたが、抑え込みの体制は変わらない、そこから抜け出せる
はずがない。
その時、不思議な事が起きた。
ガリ勉は下から、両手を伸ばし、柔道部員の背中で手首を組み、思いきり締め上げたので
ある。
ガリ勉は一呼吸入れると又締め上げた。
ガリ勉の両腕は、小刻みに震えるように、柔道部員の銅を下から締め上げた。そのためか
、抑え込みをしている柔道部員は、自ら抑え込みを解き、横に転がり、座り込んでしまった
。
そしてガリ勉は起き上がった。座り込んでいる柔道部員は驚いたように言った。
「息ができなかっよ、死ぬかと思ったよ。いやー、ガリ勉は怪力だ、すげえ怪力だな」
間もなくマットはかたずけられた。
洋一の怪力は明らかに仕事をしているせいである、自分でも気が付かなかったのであろう
が、小学生の時から毎日バッグを担いでいるのだ。毎日が、腕の筋力を鍛えるための訓練を
しているようなものだ。
柔道を一年や二年やっているだけの駆け出しのヒョロヒョロに負けるわけなかった。洋一
は柔道の技など知らないが、力だけは人一倍強いのである。
一郎は助かった、もし見殺しにするようなことがあれば、卑怯者になる所だった。
激しい生きずかいのガリ勉に聞いた。
「何回も聞くけどよ、何があったんだよ」
がり勉は何回も言う。
「だから分からねえよ、なんで絡まれたのかが全然わからないんだ。あいつが何を怒ってい
るのかが分からないんだ」
でも一朗は想像できた、ただの弱い者いじめだと。自分の力を、弱い者を相手に試してみ
たかっただけだと。
一朗とガリ勉が教室に戻ると、例の柔道部員がクラスの誰彼構わず話している。ガリ勉の
事を宣伝している。
「がり勉はすげえ怪力だぞ、怪力マンだ、すげえぞ、がり勉はクラスでナンバーワンだ、力
道山みたいだぞ」と。
弱いと思えば威張り、強いと思えばへつらう、愚かな動物と変わらない人間の性なのであ
ろうか。
その後、我クラスの力自慢たちが、ガリ勉に腕相撲を申し込んでくるようになり、ガリ勉
は相手になってあげていた。
もちろんガリ勉は、ずば抜けて強い、一郎は嬉しくてしょうがなかった。
(十二)
人生には山あり谷あり、と誰でも言う、そして、厳しい山が連続して連なる事もあるのだ
。
夕食が終わった頃だった。
突然畳が持ち上がった。いや浮いた。
何が起きているのか理解できず、頭が混乱して恐怖を覚えた。何の前触れもなく、見る見
るうちに家中水浸しになった。
至る所から水が噴き出し、敷いていた布団まで浮いているのである。
一朗の父はまだ帰宅せず留守であった。
母も姉も悲鳴を上げていた。母も姉も弟まで手伝って、大事なものを、水に濡れないよう
に高い所へ急いで移していった。しかし水嵩は増すばかりだ。
一九五八年九月二二日
台風第二二号は中心気圧八七七h P aを観測する、大型で猛烈な台風となり、関東地方
を中心に記録的な大雨を降らし、土砂災害や河川の氾濫が相次ぎ、死者・行方不明者が、千
二百人以上を出す大災害となった。いわゆる狩野川台風である。
風による被害も大きかったが、大雨による被害は凄まじく、伊豆半島を中心に、狩野川の
氾濫や山間部での崖崩れにより、一二メートルに及ぶ洪水が発生した。
都内だけでも床上浸水が1二万三千六百世帯に及び、その被害は下町だけでなく、山の手に
も及んだ。
下水道から溢れた雨水はマンホールの蓋を高く持ち上げ、噴水の様に吹き出し住宅街に逆
流して流れて行った。
一朗の家に侵入してきた水の勢いは止まらず、家族皆必至でドタバタしながら悲鳴を上げ
ながら、恐怖に怯えながら、更に高い所を探し、何でもかんでも積み重ねていった。
しかし水位の上昇に間に合わず、次々と水没してしまった。そして積み上げたものが崩れ
てしまい、渦を巻いて漂い、もう手の施しようがない状態になってしまった。
濁流が一郎の腰の少し上あたりまで上昇してきた時、一郎は恐怖と戦いながら必死に考え
た。
『このまま水位が上昇すれば溺れる、高い所へ逃げなければ』と思った。
『パニック状態の母と姉と弟を連れて、家から脱出しなければならない』と思い、その方
法を必死で考えた。
屋根に登るしかないのである。
不思議にも停電にはならず、灯りは点いていたため、暗闇ではなかったのが幸いしたのか
、ひどいパニックにはならずに、考える事ができた。
電気は今のような漏電感知機能がないため、
水に浸かっても切れないのである。しかし、気負付けなくてはならない事がある。一朗はコ
ンセントに近ずき過ぎて感電してしまい、
飛び上がらんばかりの衝撃を受けたてしまった。
一朗は家族に注意した。
「コンセントに近ずくと感電するからね、気負付けてよ」しかし母と姉は、一郎の注意が聞
こえたのか聞こえないのか、正気を失っているのか、「どうしよう、どうしよう」と言うば
かりだ。
一朗は恐怖と戦いながら、何処を伝わって屋根に登るか必死で考えた。
窓枠に登り物置の屋根に手を伸ばし這い上がり、そこから家の屋根に上がるのが一番良い
と考えた。
しかし、母や姉や弟に、にそれができるだろうか心配だ、しかし、決行するしかないと思
った。それも早い内に決行しなければならない。これ以上水位が上がれば全員溺れてしまう
からだ。
一朗は母と姉に、屋根に上がる方法を伝えた。しかし全く返事が無い、水の流れる音が不
気味に響き渡り、返事が聞こえなかったのかもしれない。
一朗は家から脱出するために窓を開けた。
暗闇の中、黒い濁流と共に、あらゆるもの
が流されていく恐ろしい光景を見た。そして不気味な家のきしむ音と濁流と共に、人の叫び
声が遠くに聞こえた。救助を求めているのだろうか。
今は水位の上昇が収まるのを祈るだけだ。
恐ろしく長い時間が流れた。恐怖は時間を引き延ばすのだろうか。
しかし幸いな事に、水の勢いが弱くなり水位の上昇がおさまってきたのだ。恐怖から少し
解放された。家から脱出する必要がなくなったのである。
しかし、安心したためか、はだしのまま動き回っていた一郎は、水中にある鋭い何かを踏
み付けてしまった。足の裏に激痛が走り、
悲鳴を上げた。母と姉は、
「どうしたの」と心配してくれたが、一郎は痛さをこらえて、
「大丈夫、大丈夫」と言うしかなかった。
まもなく父が帰って来た。
ジャブジャブと水をかき分け泳ぐように、「たいへんだ、全くたいへんだ~」と言いなが
ら、又、近所の人に声をかけながら帰って来た。
父は車のドライバーをしていたためか、家にタイヤのチューブが保管されていた。何本も
膨らましていると、近所の叔父さんがロープや板切れを持ってきてくれて、三人ほどの叔父
さん達で簡単なボートのようなものを作った。
それに一朗達三人が乗り、父が胸まで水に浸かり、慎重に押して、水没していない、近く
の高台へ先ず避難させられた。
そこには暗闇の中、大勢の人たちが避難していた。誰もかれも立ったまま、水没した我が
家の方を茫然と見ている。
しかし当時、避難所など何処にもない、役所からの指示もない、消防署からの救助も無い
、警察からの支援も無い。
父は、濡れていない着替えを持ってきてくれた。そして、三人でお雪婆の所へ行く様に言
った。
「お父さんは取り残された人達を助けなければならないからね」と言い、姉にお金を渡し、
「お姉ちゃん、頼むよ」と言って別れた。
確かに、屋根の上に避難している人はかなりいたらしい。いや、屋根を遥かに超える所ま
で浸水している地域もかなりあった。しかし暗闇で人の声でしか分からないのだ。
幸い濁流の流れは殆どおさまり、水位も停滞しているため、浮くものがあれば容易に救助
できそうだった。しかし、水位が下がる気配は全くないのだ。
その時の水位の高さは記録的で、現在、町のあちこちの電柱などに表示され、教訓となっ
ている。
一朗達三人は姉に連れられてお雪婆の家に向かった。姉は何度も行った事があるため、行
き方が分かっているはずだった。
一朗は右足の傷が痛く、びっこを引きながら歩いた。そこに弟がしがみついくるのである
。しかし我慢した。
途中何度も聞きながら、迷いながら電車を乗り継ぎ、北千住駅にたどり着いた。そこでも
迷ったが、東武線の改札口にやっとたどり着いた。
そこで一人の駅員が大きな声で。
「台風の影響で杉戸(現在の東武動物公園)以北は運転中止です、杉戸までしか行けません
。復旧のめどはたっていません」と叫んでいた。
姉は、他の行き方が分からなかった。行く事もできず帰る事もできず、途方に暮れてしま
い、しばらく立ちすくんだ。
幾人かの人が駅員さんを取り囲み、色々と詳しい情報を聞いていたのを見て、姉も駅員さ
んに、どうしたらいいか聞いてみた。
「杉戸からはバスが出ています」と言う事を聞いたので、一朗達は先ず杉戸まで行く事にし
た。
一時間半程で杉戸駅についたが、バスの乗り場が分からず、ここでも迷ってしまった。
幸い駅前に行列があり、車掌さんらしき人が案内しているのを見て、やっとその行列に並
ぶ事ができた。
しかし、どの方面に行くバスか、何処で降りるのかなど全く分からない、そのため、姉は
案内していた車掌さんらしき人に聞いて見た。
目的の電車の駅は二つほど先だが、残念ながら、その方面へのバスは道路が水没している
ため運休している、と言う事だそうだ。
姉はどうしても行かなければならない事情を言うと、その駅に最も近い停留所まで行くバ
スに乗るように言われた。後は歩くしかないと言われた。
そして、降りてからの道順を詳しく教えてくれた。しばらくしてバスがきたが超満員であ
った。
ひどい揺れに耐えながら、一朗達三人は目的の停留所にたどり着き降りた。
ここからは歩くしかないのだ。
台風一過の夜、木々の葉が騒めき、虫の鳴が僅かに聞こえる。月明りに照らされた誰もい
ない、寂しい田舎である。
姉も大変だったが一朗も怪我をした足を引きずり辛かった。三人とも疲労こんぱいであっ
たが、あと少しと思えば、頑張れた。
言われた通り行くと、言われた通りの少し広い通りに出た。しばらく行くと姉が、
「あった」と叫んだ。
電柱の上の方にある道路標識を発見したのだ『日光街道』と書いてあった。
三人は安堵した。後は真っ直ぐ進めば、必ず見覚えのある所にたどり着くはずだ。
案内してくれた人が「一時間以上かかるよ」
と言っていたが、心がはやり、直ぐ着くように思えた。
街道なのに道路は凸凹で、街灯も付いていない。台風のため、停電しているのだろうか。
とにかく暗い。はるか彼方に家の明かりが見えるが、畑の中の何もない真っ直ぐな道だ。
幸いなことに、雲の切れ間から月灯りが大地を照らしてくれたため、方角だけは分かった
。
しばらく行くと何本もの大木が道路を塞いでいた。そう言えば、道路なのに車が一台も通
らない事が不思議ではあったが、その理由がわかった。
台風のせいであろう、根こそぎ薙ぎ倒された大木や、途中から折れた枝が道路に散乱して
いた。
更に進むと、今度は道路が水没していた。月明りに照らされた水は、光ってはいたが泥水
である。
どれだけ深いのか見当もつかず、泥だらけになるのを避けるため、別の道を探す事にした
。
田のあぜ道等に入り込んで突き進んだ。別の道路が現れた。おおよその方角へ歩いていっ
たが、その道路も水没していた。
台風の直後だ、至る所で道路が寸断されてるのは仕方ない事である。
少し高い所から見渡したが暗いためか、回り道が見つからず、しかたなく水没した水の中
を三人は手をつないで渡った。
もう、泥だらけである。一朗はびっこを引きながら、痛さに耐えて歩いた。弟を支えなが
ら、姉の後ろを必死に追いかけた。
月明りのみで、農家の小さな灯りだろか、遥か遠くに見えるだけの、恐ろしくさみしい凸
凹の道である。そして、恐ろしく暗い林をつまずきながら、転びながら抜けた。
虫の合唱がうるさい、草木のざわめきがうるさい、誰にも合わない、車も通らない、地の
果てのような所を進んだ。
三人は道に迷ってしまった。
姉は何度も来ているのだが、今日は回り道でもあり、いつもと違うのである。そして夜中
だ。
姉は、目印や見覚えのある何かを探しているようだが全く分からない様子だ。
「鉄塔があった、小川があった」と言うが、
回りをよく見ると、鉄塔らしいものが幾つもあり目印にはならないのである。
姉は「頑張れ頑張れ」と何百回も言った、
何時も降りる駅の方向を探したが、分からない様子だ。少し開けた所から目をこらして、電
車の線路のある方を探したが、電車は走っていないのである、全く分からないのである。
何処かにたどり着けば、今いる場所が分かるかも知れない。又、夜遅いが、何処でもいい
から農家を訪ね、道を聞く事ができたかもしれない。助けてもらう事もできるかもしれない
。しかし、その灯りははるか彼方だ。
姉は「頑張れ頑張れ」と言うだけで、ひたすら歩くだけだ。
いくら歩いても月明りに照らされるのは同じ風景だ。迷路に迷い込んだのだろうか、さっ
き通ったばかりの道を歩いている感覚だった。
突然の事である
一朗は、自分の意志に関係なく体が震えはじめたのである。歯も小刻みにガタガタする、
一朗の異常に姉は驚き。
「一郎、どうしたの、どうしたの」と心配した。一朗は倒れ込む程の疲労があった。そして
恐ろしい程の寒気がおそった。
「少し休むよ」と言い、座り込んだ。いや、「もう一歩も歩けない」と言いたかった。
想えば今日の昼食以後、何も口にしていない。幾時間か前に、駅のホームで水を飲んだだ
けだ。しかし、一郎にしがみついてくる弟を見ると、泣きそうな顔をしている。兄として弱
音を吐く訳にはいかない。
幸いに、少し休むと一朗の体の震えは少しずつ収まって来た。
一朗は痛めた右足を引きずるように立ち上がった。一朗は弟を支え姉は一朗を支えながら
、泥だらけの三人は又歩きだした。
もし、もしも月が出ていなければ、一歩も動けないだろう。一郎達の味方は月天のみであ
る。
一朗達は、石や木の根につまずきながら、恐ろしい森や林を抜け、果てしない道をさ迷い
、無限の時間を費やした。
哀れなこの三人の子供達を見て、大月天が導いたのであろうか、突然、お雪婆の家の前に
たどり着いたのである。
姉は激しく戸をたたいた。
「お雪婆、お雪婆、お雪婆」
家族ごと起きて来て、一郎達を向かい入れてくれた。
土間に入るなり、姉は座り込んでしまい、大粒の涙を流した。弟は部屋へ入るなり寝てし
まった。
姉は今日の出来事を興奮して話したが、話の前後が合わず、意味不明な所もあったが、お
雪婆はすべてを理解してくれた。
「全部分かとるぞ、そうなんそうなん、ほんにかったりーべえ」と姉の背中を何度もさすっ
ていた。
叔父さんが一朗の足の手当てをしてくれた。
桶の水で綺麗に洗った後、小瓶に入っていた塗り薬を取り出し。
「これを塗ると痛みが無くなるぞ」と言って直接傷口に塗ってくれた。すると、本当に痛み
が無くなったのだ。
姉も怪我をしていた、擦り傷や打撲の跡がが至る所にあった。
一朗はお茶を飲んだ。ものすごく旨いお茶
だ、言葉で言い表せないくらい旨いお茶であった。
「ひゃっこい飯だが食えや」と言われて出されたが、何故か、少ししか食べられなかった。
疲労が極限に達すると、食欲も無くなるのである。
一朗達は、大明星天が輝く頃、吸い込まれるように寝入った。
お雪婆の家の人達は皆親切で、一郎達を快く受け入れてくれた。しかし、この台風の被害
は、お雪婆の家でも興っていたのだ。
台風が去ってからの、農家の人達は大変である。水路の管理や修理を必死でやらなければ
ならない。
この地域の農家の殆どが米農家で、収穫前のため、この台風の被害は甚大で、多くの稲が
水に浸かったり、折れたり倒れたりしたため、喩え、いくらかの収穫を得ても、品質が悪く
なると言うのだ。
お雪婆の家の人達も、皆疲れていた事だろう。その中での皆の親切が忘れられない。
洪水に見舞われた一朗の家の回りから、完全に水が引くまで二日かかった。
一朗の家のある一帯は、東京でも特に低い所にあったらしく、周辺の三千数百世帯が床上
浸水の被害にあった。
場所により屋根を遥かに超える浸水に、亡くなった人もいたと聞いた。
過去に、この一帯が水没したと言う記録は全くなかったため、まさかのできごとだった。
今回は、異常な大雨のため、排水が間に合わなかったとか。ポンプが故障したためとか聞
いたが、何の補償もないのである。
現在、その時の水位の高さが、町の至る所に表示されている。
(十三)
三日程度で、一部を除いて東武線が復旧した事が分かった。
一郎の足の手当てをしてくれた叔父さんが
「足の具合いはどうか」と聞いてきた。
「治ったよ、全然歩けるよ」と答えた。
「叔父さは一郎の家の様子を見に行くから、一郎も付いて来いや」、と言って一郎をさそっ
た。
叔父さんは、着替えの服や、かなりの数のおにぎりや、吹かした芋などの食料をリュック
に詰め込んで言った。
「一郎も男なんだから、こういう時こそ活躍するんだぞ。さあ、片付けの手伝いに行くぞ」
一郎は姉と弟を残し、朝早く、叔父さんと
出かけた。いや家に帰る事に、いや様子を見に、いや跡かたずけの手伝いに出かけた。
電車を乗り換え、駅からバスに乗り換えたが、墨田川への途中で、
「この先は運航できません、ここから折り返し運転になります」と言われて降ろされた。
徒歩で川岸に出て橋を渡った、そしてその緩やかな坂の向こうを見て驚いた。いつもの見
慣れた、町の景色は一編していた。
そこら中がぬかるみ、瓦礫が散乱し、すべての建物が、緑の空き地が灰色になっていた。
その中で人々は動いていた。いや、働いていた。
一郎は叔父さんを連れて我が家にたどり付いたが、人が住める状態ではなかった。近所の
どの家も同じである。
その中で父と母が懸命に後かたずけをしていた。父の友人や母の友人も手伝いに来てくれ
ていた。
叔父さんは父母と挨拶を交わすと直ぐ大きなリュックの中身を渡した。父母は歓声を上げ
る程喜んでいた。
昨日まで水が引かなかったそうだ。そのため父母は、高い所に板を引いて夜は寝たそうだ
。いつたい、何を食べていたのだろうか。
一朗は、普通の生活のありがたさをかみしめた。
叔父さんも一郎も直ぐ皆の中に入り作業を手伝い始めた。
泥まみれの家具や衣類をとにかく洗う洗う、干す干す。そして、使えなくなった家具や布
団やその他のゴミを外に山済みにする。
果てしなく思える後かたずけをした。どんなに乾かしても、家の中は濡れたままだ。床下
のあちこちにある水たまりは消えない。
夕方近く、一郎は父母を残し、叔父さんとお雪婆の家に帰る事にした。
一郎は、帰りの混んでいた電車の中で立っているのがやっとだった。
一朗は、この水害が何かの終わりで、何かの始まりの様に思えた。間違いなく言えること
は、一朗が精神的に一歩成長した事だ。
一週間程度を経て、家に帰れるようになったため、お雪婆と、その家族にお礼を言い一朗
達三人は水没した家に帰る事にした。長距離での電車通学は無理なためでもある。
しばらくの間、一朗達は劣悪な中での生活を余儀なくされた。
曲がった隙間だらけの襖に、新聞紙を張り付けた障子に、畳のない床に茣蓙を敷き、小さ
な布団に兄弟寄り添って寝た。
床下の湿気はひどく、部屋の隅から大きなキノコが生えて来た。
それでも学校は休まず通った。
救援物資が支給されると連絡があり、取りに行った。しかしそれは役に立たない古着で、
殆どの人が受け取らずに帰った。中にはおしゃれな服もあっが、雑巾にしか使い道はない。
今回の水害は、水に流されたのではなく、
水に浸かったのだ。乾かせば元に戻るので古着は必要ないのである。善意には感謝するが、
被災者に何でも送ればいいというものではない。
この機に乗じて、詐欺まがいの商売する人もいる。
ノズルの付いた噴霧器を持ってきて。
「消毒しますよ、消毒しますよ」と言い、各家庭を回るのである。
何処の家も、てっきり役所か保健所か町会のサービスかと思い。
「お願いします」と返事をするのである。すると、家の周りに白い液体を手早く撒き初め、
終わるとその場で高額な料金を請求するのだ。
誰も消毒業者とは知らず、近所の殆どの家が頼んでしまったのである。そして支払いを拒
否すると、一人の主婦に三人の男が取り囲み、激しい言い争いが始まるのだ。いや、脅迫だ
。
一朗の母も最初は支払いを拒否したが、料金を言った言わない、聞いた聞かないの争いに
なり、最後は屈強な男三人の脅迫に、仕方なく料金を払ってしまうのだ。
しかも、業者が撒いた白い消毒液の上で、虫が動き回っているのである。何十倍も薄めた
消毒液か、ただの白い水である。
何時の世も、人の弱みに付け込んだペテン師はいるものだが、因果応報、自業自得を信ず
れば、こんなことは出来ない。
それから、土壁の凄さが分かった。
二日間水につかった土壁は、乾けば元にもどるのである。染みは付いたものの、表面も平
らのままで、もろくもならず復活するのである。
いずれにしても、この水害は、我が家にとって大き過ぎる負担となった。空いた穴は塞が
らない時もあるのだ。
(十三)
ある日の朝 姉が起きない
姉はいつも早く起きて母の手伝いをする。
そして一郎や弟を起こすのも姉の役目だ。そして登校も早い、しかし今日は違う。母は「早
く起きなさい」と姉に何度も催促する、不思議な光景だ。
一郎は朝食を済ませ、さっさと学校へ登校した。
同じ中学校に通う三年の姉と一年の一郎だが一緒に登校した事は殆どない。姉は早く登校
し、一郎はギリギリに登校するからだ。
次の日の朝も姉はなかなか起きてこない。
母の再三の催促に、やっと姉は起きてきた。
一郎は少し不安になった。いつもの姉と違うからだ。一郎は姉を心配しながらも家を出た
。
昼休み、一郎は三年生の校舎に行き、姉のクラスに様子を見に言った。
姉のクラスの生徒に直ぐ見つかり何人もの女子に囲まれてしまった。
「あ、会長の弟でしょ」「君も頭が良いんじゃない・・・やっぱり似てるよね・・」
矢継ぎ早に色々聞かれたが、どうも居場所が悪くなり、適当に答えて早々に退散しようと
思った。
その時、驚きの質問が飛んできた。
「ねえ、会長どうしたのよ、昨日から休んでるよ」「風邪でもひいたの、大丈夫なの、休ん
だ事なんか無いのにね」
一郎は返答に困った、知らないからだ、冷汗をかく思いで答えた。
「はい大丈夫です、明日は来ますから」
一朗の不安んは的中した。姉に何があったんだろう、おかしい、姉は家を出ているはずだ
。一郎は不安で仕方なかった。
しかし、その日の夕方、何事も無かった様に姉は帰ってきた。それも元気いっぱいに。
一郎は、今日の昼休みに姉のクラスに行った事を言えなかった。何故学校を休んでいるの
か姉に聞けなかった。聞くのが怖かったからだ。
数日後の夜、突然、姉の担任の先生が一郎の家にやって来た。
母は突然の事に少し驚いた様子だったが、居間に案内し、
「いつもお世話になっております。今日はお忙しいのに、本当にすいません」と、挨拶しな
がら茶を出していた。
先生に父が仕事で居ない事を告げると、一郎と弟に隣の部屋に行くように促された。
一郎は軽く挨拶を済ますと邪魔をしないように隣の小さな部屋に移った。
担任の先生は姉に、
「元気そうだな、安心したよ」と声をかけたが、姉は小さな声で「ハイ」と答えただけだ。
担任は母に聞いた、
「三日も休んでいるもんで、今日は心配して来てみましたよ、どうしましたか」
一郎は静かに耳をそばだてて聞いていた。
母は驚くかと思ったが、意外に冷静だった。
「すいません連絡が遅れて、明日から登校させますから安心して下さい」と言い、姉に向か
い、
「ね、お姉ちゃん、明日から行くよね」と言った。
母は何かを知っている。一朗は安心したが、不安が残った。
担任の先生は姉と、学校の事だろうか、親しそうに明るく元気に会話をしていた。担任の
先生は微笑を浮かべ、安心して帰っていった。
何事もなく、平穏な日々が続いた。
月も星も見えない日の夜の事だ。三人の先生が一郎の家にやって来た。
先生と父母との長い会話を、隣の部屋で聞いていた一朗は、すべてを理解した。
姉は父母から。
「高校進学を諦めるように」と言われ、かなり落ち込んでしまい、学校を休んでしまったの
だ。
学校に行く振りをして、埼玉のお雪婆の所に行っていたのだ。
お雪婆からの連絡で、母はその事を知っていたが、知らない振りをしていたのだ。
母はお雪婆を信頼していた、又頼っていたのかもしれない。人生のいばらの道を歩んでき
たお雪婆だ、きっと姉を励まして、元気にしてくれるはずだ。そう信じていたに違いない。
三人の先生は父母を説得に来たのだ。
「優等生です。何処の高校でも受かります、何とかなりませんか」と言うのだ。
父と母は、ありのままを語っていた。
借金に負われ苦しんでいる事や、今の仕事への不安や、大病を患った後の体の限界等も話
していた。そして父から『定年』と言う言葉を初めて聞いた。
父と母の年の差は二五歳と聞いていたが、一郎は『定年』と言う言葉の意味を初めて知っ
た。
三人の先生は
「我が校最大の功労者だから、学校を上げて応援する」と約束した。
最後に父は
「考え直す」と言った。
一朗は、小さな部屋のテーブルの向こうで、静かに泣いる姉の背中を見た。
一郎は激しい衝撃に襲われた。それは初めて味わう息苦しい衝撃だ。心の底から湧いて来
るような、突き上げて来るような衝撃だ。
一郎はいたたまれず家の外へ出た。
吹きすさぶ初秋の風が、恐ろしい程冷たかった。
一郎は、しばらくの間、夜空の一点を見つめて動かなかった。混乱した頭の整理ができな
いのだ。
姉は誰よりも母を支え、黙々と働いた。姉は、外交官と言う大きな夢に向かい、誰よりも
努力し誰よりも勉強した。その不屈のエネルギー源こそ『希望』であった
最愛の姉から、希望と言う努力と忍耐に咲く花を根こそぎ奪う者は何者なんだろうか。
希望と言う胸中の火を消し去る者は何者なのなんだろうか。
一朗は、その見えない敵を、隠れている悪者を、激しい怒りをもって探した。しかし、い
くら探しても、いくら考えても、見当たらないし、分からないのだ。
『誰も悪くない・・・いや、そんな事は絶対にない、誰かが悪者なんだ、そいつは誰だ、何
処にいるんだ』
やがて一郎は、何も分からないまま、見えない悪魔に対し、復讐を誓うのである。
(十四)
広く明るいロビーには、やさしい音楽が流れていた。傍らのソファーには幾人もの人達が
、煙草の煙を立ち上らせ談笑していた。
そこは、笑い声や掛け声や挨拶等が入り乱れた大人の空間だった。
ゴルフ用品が綺麗に展示されているコーナーがある。奥は食堂だろうか、多くのテーブル
が並んでいて、綺麗な女性店員が忙しそうにお客様を案内していた。
ここは、大人の世界の選ばれた人達の来る特別な所だ。そのためか一郎は場違いのように
感じて、少々緊張した。
一郎はガリ勉の案内で奥の『事務所』と書いてあるドアーの前に立った。
ガリ勉は。
「失礼します」と言いドアーをたたいた。
「はい」と誰かが答えたので入った。
さほど広くない部屋に幾つかの机が並び、二人の男性が机に向かい仕事をしていた。
三〇歳ぐらいだろうか、色の浅黒い叔父さんが振り向いた。
「ん・・誰や」
「キャデーの佐藤洋一です」
「あ、佐藤君ね・・・で、何んや」浅黒い男はガリ勉の方をチラチラ横目で見ながら、仕事
の手を休める事なく机に向かっていた。
「友達なんですけど、こいつ、キャデーやりたいって言うんで連れて来たんですが」
ガリ勉の話が終わるか終わらないうちに。
「あそう。今度な・・・募集がある時に面接に来いや」
男は一郎の顔をチラチラ見ながら、更に仕事を続けている。一郎は頭を下げて元気良く挨
拶した。
「内田一郎です、よろしくおねがいします」
男は仕事をやめて正面に向き一郎の顔を見た。
「よし。覚えておいたろ・・・内田君やな、六ヶ月後に又合おうやないか」
すかさず洋一が言った
「こいつ、直ぐやりたいって言うんです・・
・駄目ですか・・・」一郎も言った。
「直ぐやりたいんですが・・・」
色の浅黒い男は、仕事の手を止めて、一息付いてから椅子から立ち上がった、そして一歩
二歩近ずいて来た・・・背が高い。そして
一郎とガリ勉の真正面に立って言った。
「あのなあ、六ヵ月後と言うてるんや、途中からは雇わん。今日は帰んな」見下ろされなが
ら冷たく言われた。ガリ勉は下を向いた。
一郎は男を見上げて言った。
「六ヶ月も待てないんです。お願いします」
「あのなあ、僕にお願いされても困るんや、決まりやからな、決まりは変えられへん、そや
ろ。えーと、内田君と言うたな、なら、この間の募集の時、何で来なかったんや」
「知らなかったんです」
男は首を縦に振りながら言った。
「さよか、それは残念やったな、今度はこいつから、えーと、佐藤君から連絡してやるから
必ず来い。それでええやろう」
浅黒い男の声は冷たく響いた。一郎の心臓の鼓動は背中にまで響いた。
ガリ勉は下を向いて黙っている、しかし一郎は勇気を出して言った。
「一生懸命にやろうと思っています、お願いします」
更に冷たい言葉が返ってきた
「おい小僧、この仕事は何時でも誰でもどうぞ、と言う分けにはいかへん。キャデーだろが
それなりに教育し訓練せにゃならん。何んも知らねえ奴がでける訳ねえやろ。駄目なのは駄
目や、決まりは決まりや。俺は今忙しいんや、仕事の邪魔しないようにしてくれや、帰んな
帰んな」
男は一郎達が事務所から出て行くのを見届けるつもりなのか、腕組みをして仁王立ちにな
り動かない。
ここまでか・・・
一郎がガリ勉にキャデーの仕事の紹介を頼んだ時、洋一ははっきり言っていた。
「途中から雇われる人はいないよ、新人は講習を受けるんだ、途中から一人だけ特別にと言
う分けにはいかないよ、俺なんかが頼んでも絶対無理だよ、六ヶ月後だね。
それも中学生なんか一番最後で足らない分だけ雇うんだから、雇われるかどうかさえ分か
らないよ」
一郎はガリ勉の性格を知っていた、忍耐強い所はあるが、頭が良いせいか、計算して無難
に結論を出す。安全運転もするのだ。
一郎は頭で考えて出す結論より、可能性を信じるのだ。時に無謀になる。
しかし今日は、一郎の勇気もここまでだ。
返す言葉が浮かばない、ついに一郎も下を向いた。
その時下を向いていたガリ勉が突然言った。
「こいつ困っているんです」
男は語気を強めて言い返した。
「おいおい、困っているのは俺の方や、お前らが帰らねえと仕事が終わらねえからな」
一郎は諦めたが、最後の勇気を搾り出して言った
「どうしても駄目ですか」
男は冷たく言った
「駄目や、どうしても駄目や」
「分かりました・・・帰ります」
男はニヤっとして言った。
「ああ、そうしてくれ、俺は助かるわ」
その時・・・・
豪快な笑い声が奥の方からした、
事務所の奥にいたもう一人の体格の良い、髪の毛が少々薄い男だ。
「お前ら豊中だな、良い根性してるな・・・
おい中川、こいつにやらせてやれ」
色の黒い男は中川と言う名前らしい、そして言い返した。
「部長、本当にいいんですか、中学生ですよ」
「ああいい、中川、お前が面倒見てやれ」
中川と言う男は一郎の頭を平手で軽くポンポン叩きながら言った。
「エー、俺が教えるんですか、こいつに」
「ああ、そうだ、一人前にしてやれ」
「エー、そうですか、ハイ、分かりました」
予想外の展開に一郎とガリ勉は元気良くお礼を言った。
奥の体格の良い部長は微笑を浮かべ。
「頑張れ」と言った。
(十五)
一郎は、授業が終わると、一目散にゴルフ場に向かった。
あの中川と言う色の浅黒い男は待ち構えていた。
「直ぐ外に出ろ、グリーンで講習や」
一郎は前の日に、洋一から色々とキャデーの仕事の内容を聞いたため、教わる事を難なく
次々とマスターしていった。
「お前は覚え早えー、頭がいいんやな。しかし実践ではどうかやな、俺の言うた事忘れんな
よ」
又、キャデーの見習いの講習の期間でも、僅かだが賃金が支払われる事を不満に。
「教わる奴に金を払うとは、おかしいやろ、俺がお前から講習料をもうのが普通やろ」
と冗談を言っていた。
講習は二日間続いた。
一朗は覚える事は多くて不安だったが、
「あとは経験を積むしかねえ。客にアドバイスができるようになれば一人前だが、簡単な事
ではねえ。最初は客に迷惑のかからねえようにしてればええ」と言った。
又、こんな心配もした。
「だがよ。お前、貧相な体系やな、小学生と間違うで。バッグ担ぐとよろけそうやな、お客
から『あの子倒れそうです』とか言われたら大笑だぜ」
「大丈夫です、運動は得意ですから」
「運動会じゃねえや・・・いいか、お客から不満が出るのを覚悟でやらせるんや、先ず、
『新人で何も分からないので』と最初に言ったほうがええな。
ま、ご機嫌の悪い客に当たらないよう祈るしかねえな」
中川さんは愚痴も言った
「ほんまに中学生なんか普通は雇はねえだがよ、ゴルフブームってのは、そのまんまキャデ
ー不足と言う事になるんや。そのため客が自分でバッグを担いでプレイしてもらう事がしょ
っちゅうや。そのつど、この俺様は、誇りもプライドも捨てて『すいません、すいません』
と、ペコペコしなきゃならん。
ほんまの事言うと、中学生でも小学生でもええんゃ、バッグを担ぐだけでも助かるわい
ま、バッグ担いで走る訳じゃねえから、何とかなるわ、・・・・
で。お前、途中で辞めんなよ、俺様が忙しい中、わざわざ教えたんだからな」
秋晴れの日の夕方、ゴルフ場のロビーはまだ大勢の客が、談笑していた。
マイクロバスまで所有している大きなゴルフ場だ、荒川放水路の河川敷で、足立区新田から
、江北橋の先の小台まである、ここは都内で最大のゴルフ場だった。
平日、学校から帰ると直ぐ自転車に乗り、急いでゴルフ場に向かうのである。
真っ先に受付に自分のカードを提出し、呼ばれるまで待つのであるが。時には休む間もな
く、バッグを担ぎコースへ出るのである。
土曜日曜はお客が多い、特に日曜は忙しかった。
ある日「二人分のバックを担げるか」と受付の人に言われた。一朗は
「いいですよ」と答えたが、受付の人は頼んでおきながら、
「大丈夫かな」と心配しながら、一郎の肩を両手でバンバンと叩いて、
「ん~、じゃ頼むぞ」と言われた、が、一朗は正直きつかった。
そして、朝から晩まで切らさず働くのである。そして、その他の雑用も大変である。
打ちっぱなしの練習場からいきなり呼ばれて「ボールを集めろ、掃除をしておけ、ここを
かたずけろ」と言われたり、客の要望を聞き、適切に対処したり、休む暇もないのである。
まさしく足は棒のようになり、肩が痛く手が上がらなくなるのである。
それでも一日寝るとほぼ回復するのだ。しかし、疲労は蓄積される事が分かった、神経も
磨り減る事も分かった、体調の良い時、悪い時があるのも分かった。
初めて1週間ぐらいの頃だったか。一郎の首あたりに、大きな腫物ができた時があった。
一郎の体質なのであろうか、顔にニキビができない代わりに、首の当たりにニキビができ
るのである。
しかし今回はニキビではなく、赤く腫れた大きな腫れ物である。ニキビが炎症を起こした
のかもしれない。
その日、バックを担ぐと、腫れ物に触れるのである。悲鳴を挙げたくなるような激痛に、
地獄の苦しみを味わった。
耐えて耐えて、長い長い一日を終えた時、
新しい発見があった。それは『いくら気持ちをしっかり持っていても、やる気を出して頑張
ろうと思っていても、体が付いていかない事がある』と言う事なのだ。
医者に行かず、薬も塗らず、親に言えず、学校も休めず、仕事も休めず。一朗は思った。
『地獄とはこの世に存在するのだ』と。
ガリ勉にそのことを言ったら
「休めよ、正直に言えよ、医者に行けよ、そんなの誰も褒めてくれないよ」と言われた、
一朗には答えがなかった。そしてガリ勉は。
「まだ始めたばかりだからな。休めば何か言われそうだな『根性がない』とか『子供だ』と
かね。そう思われるのはいやだよね」
洋一は丸い瓶のふたのようなものを見つけてきて、赤く腫れた部分をおおい、それが動か
ないように、テープをぐるぐる巻き付けて、応急の処置をしてくれた。
「治療費はいくらだ」とか、冗談を言いながらである。おかげで、次の日は激痛を味わうこ
となく無事に仕事を終える事ができた。
「一郎、一郎」
母の声で目が覚めた、夕飯も取らず寝てしまったのだ。母は不思議がった。
「どうしたの一郎」
「いや、ちょっと疲れたよ、運動のし過ぎかな」
この頃の一郎の家では一家団らんが少なくなっていた。父も姉も帰りはバラバラなので母
は夕飯の支度が大変である。母は最期の帰宅者と一緒に食事をとるのである。
一郎もキャディーの仕事が終わっても直ぐ帰れるとは限らないのである。
母は「今日も遅いね」と言う。言い訳はいつも同じだ。
「今日はちょっとクラブ活動でね」「今日は友達の家でね」「生徒会でね」
そのうち 夕食の遅れるのが当たり前になり、母は理由を聞かなくなった。
勉強は怠るまいと思ったが、宿題も学期末試験の勉強もいい加減になった。
雨が降ると当然仕事は休みだ。しかし、学校でのクラブ活動も、溜まっている勉強も、宿
題もやる気がしない。
しかしガリ勉は違う。
「雨の日が勝負だ」と言っている。一郎は絶対真似できないと思った。一郎とガリ勉の違い
が、その考え方にある事がわかった。
ガリ勉の家に遊びに行くときの一郎の挨拶が「勉強の邪魔しに来たぞ」である。勉強の邪
魔になるんじゃないかと思い、いつも早く帰るように心がけていたが、話は止まらない、か
なり邪魔しているようだった。
一郎は、横になると本当に寝てしまう癖が付いた。母が笑って言った。
「お兄ちゃんはすごい特技があるんだよね。何処でも寝られるんだよね。寒くても暑くても
、昼でも夜でも、周りがうるさくても平気なんだよね」
母は、夕食後、直ぐ横になる一郎を見て不思議がって言った。
「一郎、何処か体が悪いんじゃないの、熱はないの」一郎は畳をたたいて即座に起きて、
「大丈夫大丈夫、寝不足寝不足」といって平静をよそおった。
ガリ勉から何度も言われた。
「毎日はきついよ、適当に休まなければ続かないぞ。向こうは、こっちの事情なんか考えて
ないから、とことん働かさせるぞ。
『もっと早く来い、休むな、もっと頑張れ』ってね、何十回も聞かされたよ。そして褒める
のもうまいんだ、ついその気になるんだよな」
一郎も分かっていた。事務の叔母さんに褒められた時、何故か頑張り過ぎるぐらい頑張ば
ってしまうのだ。
不思議なもので、二週間もすると体がなれてきたせいなのか、疲れも眠気もさほど出なく
なっていた。
しかし 授業中での眠気は辛い、我慢できるものではない。
起きていても、目が明いていても、頭が眠っているのである。そのため授業の内容が全く
頭に入らないのである。見抜いた先生から
「今の話分かるか」と注意された。またある時は
「夜深しするな」と注意された。
毎月十日が待ちに待った給料日だ。
夕方、時間前から多くのキャデー達がにぎやかに待っている。どの顔も明るい、一郎もガ
リ勉もその中の一人だ。
「ご苦労様」
一郎の初めての給料だ。封筒を覗き込み確認した。めったに見る事がない千円札に感動し
た。
その時、十円玉が一つ地面こぼれた。近くにいた女性が拾ってくれた。
「汗の結晶ね」と言い一郎に渡してくれた。
「ありがとう・・・あ」一郎は思い出した。
彼女は一郎が初仕事の日に、お客とコースを回った時、親切に色々とアドバイスしてくれ
た女性のキャデーだった。それも彼女は二人分のバッグを担いでいた。
その後ロビーで何回か見かけたが、お礼を言う機会がなかった。
一郎は丁重にお礼を言った。
「あの時、色々教えてもらい本当にありがとうございました」
「もうすっかり一人前だね。いやーたくましいね、内田君だっけ」
え、名前を覚えていてくれたんだ。
そのしゃべり方は男の様であるが女性である、日焼けした逞しいお姉さんである。
それから数日が経った頃、一郎は家に誰もいない事を確認してから、ちゃぶ台に椅子を乗
せて足場にして、神棚の横の奥にある貯金縛を下した。
以前、父が板で作った、かなり大きい貯金箱だ。しかし、いつも数か月で開けてしまうの
を一郎は知っていた。
その貯金箱に二枚の千円札と小銭を素早く入れて、貯金箱を元の位置に戻した。
二か月が経つた頃、母は父に、お金がない事を告げた。母は、貯金箱を開けるようにとは
言わなかったが、父は察知し貯金箱を下ろし、母の目の前でキーを外した。そして新聞紙を
広げた上にザーと音を立てて硬貨を広げた。
母は子供のように歓声を上げた。
ひまわりのような笑顔、太陽のような笑い声。一朗は、経験したことのない幸福感に慕っ
た、初めて味わう充実感に酔った。
幸福の条件が、お金と勘違いしないでほしい。間違いなく充実だ。その中身は苦労だ、忍
耐だ、勇気だ。何の苦労も無い幸福等、何処を探してもあるはずがない。
一郎に迷いはない、不安も無い、後悔も無い、明日からもひたすら前に進むだけである。
この一瞬のために。
一朗は、学校の冬休み期間中でも、天気の良い日は休まなかった。
冬場は忙しくはないが、強い風さえ吹かなければ、防寒具を着てプレイする客もいるもの
で、中には「客の少ない冬こそ練習のチャンス」なんて言い、カイロを幾つも持ってプレイ
する客もいた。
そこに行くと同じキャデーの仲間がいる、新しい出会いがある、色々な体験談が聴ける。
そして、事務や受付の人達とも次第に仲良くなり、一郎は仕事を覚える程に楽しさを覚える
ようになった。
(十六)
ある日の夜だった。
父が一郎を静かに呼んだ、
「一朗、ちょっと来なさい」
「何・・何、お父さん何」と言い父の顔をのぞいた。
父は穏やかに静かに言った。
「働くのを辞めなさい・・・」と。
一朗は混乱した、『え、何、何、故知って
るの・・・何故バレたの・・・』
時計はゆっくりと進んだ。
一郎の父はやさしい。怒る事はめったにないし、母ほど口うるさくもない。しかし母に言
わせると、父が本当に怒ると怖いらしい。それは大声を出すとか、態度や行動に表れるので
はなく、深く静かに怒るのだそうだ。
それは執念みたいなもので、一度でも裏切ったら永久に許さない、と言う程、恐ろしいら
しい。
そして今日の父は怖い。とにかく怖い。
強く言われたら、反発したかもしれないが、
優しく言われると、怖い。
更に父は穏やかに
「お父さんは怒っいるんじゃないぞ、それどころか一郎が働き者で強い男だと分かり、安心
したんだ。我が家の長男一郎は働き者だ~と、自慢したいくらだ」
一郎は不思議に思った、怒られるどころか褒められているからだ。じゃ何故辞めなければ
ならないの。
父は更に褒める
「お前は優しい子だ、我が家の家計を助けようと思ったんだろう。お父さんは全部知ってい
るんだよ、何もかもだ。一郎が何故内緒にしたかも知ってるぞ。お父さんに言えば反対する
と思ったからだろう」
一郎は父の話を遮るように言った。
「そうだよ。絶対反対するでしょう」
父は強く言った
「その通りだ・・・何故だと思う」
何故かは言われなくても分かっていた
「勉強しなくなると思ったんでしょう」
父は強く言った。
「その通りだ・・・」
一郎は何も言えないのである、その通りだからだ。
一朗は、二学期末の終了日、ひどい成績の通信簿を貰った。父に見せるのが怖かった。
言い訳を考えたが、思いつかない、でも父に見せない訳にはいかなかった。
ドキドキしながらその通信簿を父に見せた。まさに針のむしろの上に座らされているよう
な気分だった。
父は通信簿を隅々まで見ていた。そして、父は何も言わず、無言で通信簿を一郎に返した
。その時、父は何故か微笑をうかべていた。
あの時の無言の父は怖かった。その怖い父が一郎の前にいる。そして言う。
「一郎はこの先、いやでも働く事になる、いくらでも働ける。でも今は勉強だ」
父の話は明快だ、一郎が反論する余地など何処にもない。ここで一郎は、本当の想いを
言った。
「だって、お母さんがあんなに喜んでいるじゃないか」
父はため息をつき言った
「そう、そりゃあ喜ぶさ、貯金箱にあんなに沢山入っているとはお母さんは思わなかったか
らな」更に父は言う、
「一郎、お母さんを悲しませるな、お母さんが本当の事を知った時、何回も何回もため息を
ついていたぞ」
一郎は衝撃を受けた。
そうかもしれない、いや、父を悲しませる事にもなるかもしれない。子供を働かせている
無力な親と、後ろ指を指されるかも知れない。
父は誇りを持っている。それは母からも聞いていた。
『どんなに苦しくても、他人様に迷惑をかけるな、恩を受けたら必ず返せ』これが父の信条
だ、誇りだ、プライドだ。父はそのように生きてきたのだろう。
一郎は生まれて初めて挫折を味わった。
いや、いずれこうなるかも知れないと思ってはいたが、その時が突然訪れてしまった。
言い訳は通じない、わがままは許されない。一郎は、足元の台地が抜け落ちたような感覚
で、思考停止状態に陥っだ。
一朗は頭をかかえて、黙って下を向いていた。そして父は。
「中途半端な辞め方は良くない。月の終わるまで全力で働け」と言った。
一朗は全力で全神経を注ぎ、悔いのないように最後まで働いた。
ゴルフ場の世話になった人達に挨拶をして回った。「どうしたの、何があったの」「残念
だね、やっと覚えたのに」「必ずここにもどって来るように」と言われた。
(十七)
三学期の終了日だった、
黒板に何か書いてあるが、誰も意味が分からかった。
担任の先生からその意味の説明があった。
「一年間、色々あったけど皆頑張ったね。クラス替えもあるし担任の先生も変わるし、最期
かも知れないので先生は皆に大事なことを言っておきたい。
担任の先生は冗談が得意で、いつも皆を笑わせてくれる。たまに冗談が通じなくて困って
いる時もあるが、皆は気を利かせて笑いに付き合ってあげる事もある。又、それに感謝する
先生も面白い。
しかし今日はいつもと違う。
いつもの微笑がない、顔が真面目だ。
「皆、愛が大切な事である事は誰でも分かっているよね。でも、『何故大切なの』と聞くと
、正しく答えられる人は少ないんだよ。そして、愛が分からない人に限り、愛だ愛だと愛を
乱発するんだね。
『愛してる愛してる愛してる』と繰り返し言ったからと言っても、それが愛してる事には
ならないんだ。それでは口先だけだ。
今日は『愛とは何か』愛が何故大切なのかについて、皆と話し合いながら考えて見ようと
思うんだ。
先生は、国語や数学や社会と同じように、
『愛学』と言う科目があっても良いと思うくらいだ。愛学の教科書があっても、愛学の試験
があって良いと思っているくらいだ。
愛の理解度により人格が形成され、人生を左右してしまう事もあるし、国の経済政治社会
の底辺を支える力にもなるんだ。
愛は、人間が生まれながらにして持ち合わせているものではなく、教育により、環境によ
り育てられるものなんだ。
みんな、これから先、様々な問題に直面した時に、役に立つように、道を間違えないよう
に、少し難しいかも知れないが、学んでおこうと思うんだ」
生徒たちは、いつもと違う先生に気が付いたが、これが先生の最後の話だ思うと、誰もが
緊張し先生の話に注目した。
「それで皆、先ず愛が付く言葉を何でもいいから挙げて見なさい。思いついた愛の付く言葉
を何でもいいから言って見なさい」
一斉にざわめいた後、次々と発言が飛び出した。
「愛情・家族愛・人類愛・愛国心・慈愛・自分を愛する・郷土愛・知恵を愛する・」
誰かが「アイラブユー」と言った。先生は。
「それはラブが日本語での愛だからな。まあ、愛もキリスト教社会からの輸入品だけどね。
さっき誰かが『慈愛』って言ったね。
慈は仏教から来ているし、愛はキリスト教から来ているわけだから、慈愛は東洋と西洋の
合作だね。
さて、先生からも愛の付く言葉を追加しておこう『溺愛』とか『盲愛』だな。これは悪い
意味に使われるぞ、そこにエゴイズムがあ
るからだね。
愛と言う言葉は欧米の影響を受けて、近年盛んに使われるようになったが、日本に元々あ
る『愛』と言う言葉は、少し違う意味で使われていたね。今日はその話は置いておくね。
日本では昔から、愛に近い意味を持つ言葉として『慈悲』と言う仏教用語があり、それを
盛んに使っていたんだね。
慈悲は愛の比べれば分かり易いよ。
慈悲の慈とは『いつくしむ』と言う意味だ『真の友情』とも言われるね。
悲とは『共にかなしむ』と言う事で『哀れみ、同情、共に苦しむ』と言う意味になるんだ
。
それからさっき『知恵を愛する』なんて凄い事言った子がいたな。
言ったのは誰だ『知恵を愛する』なんて、なかなか言えるもんじゃないぞ。誰が言ったの
かな」
ざわめきながらだれかが「ガリ勉だよ」と言った。先生はガリ勉を見て。
「そうか、さすがだな、知恵を愛するとは、『フィロ・ソフィー』哲学の事だよ。
佐藤君。それが分って言ったのなら君は秀才だ」
ガリ勉は嬉しそうだったが、いつもの通り黙っている。
「それから誰かが『自分を愛する』と言ったね。そう、なかなかそこに気が付かない人が多
いが、これは大事なことだね。
『頭の悪い自分が、だらしない自分が、嫌な性格の自分が嫌いだ』と言う人もいるかも知
れないが、先生は断言しておく。『自分以上に愛おしい存在は何処にもない』と言う事だ。
英語の得意な今井君。君が将来、世界中を旅をする様になったと時。なった時の話だが、
今井君、その時、今、先生の言った事が本当かどうか、証明してもらいたいんだ。『世界中
、何処を探しても自分より愛おしい存在はなかった』って言う事をね。
もし、それが正しいのならば『他人だって同じように自分が一番愛おしい存在であるはず
だ』と言う事が誰でも分かるよね。
それ故に『自分を愛する人は他人を傷付けてはならない』と言う事も分かるよね。
ならば、『人を愛し愛しむということが、もっとも尊いことである』と言う事も分かるよ
ね。
今井君。先生へのお土産は探さなくても。『自分より愛おしいい存在』を探してくれ」。
今井君は大きな声で。
「ハ~イ」と返事をした。すかさず先生は。「何度も言うが先生へのお土産はいらないから
な、本当にいらないからな」と言った。
すかさず誰かが。
「先生、何度も言うと、お土産を催促しているように聞こえますよ」と言って、皆大笑いを
した。
指導者として心がける事は。
『誠実・真剣・明るさ』と共に『ユーモア』も入れるべきではないだろうか。特に日本人は
それが下手だ。
明るい雰囲気の中、先生は皆に聞いた。
「さて、愛が出尽くした所で皆に聞くが、愛の大きさや重さを測るとしたら、どうやって測
ればいいのかな。愛の大きさや重さを測る計測器は有るのかな、それは何だと思う」
生徒たちは騒めきながら。
「えー、そんなの無いよ、愛なんて見えないんだから、形が無いんだから、心の中なんだか
ら測れないよ」
皆は勝手にガヤガヤと意見を述べていた、更に先生は、
「愛の大きさ、重さを計る計りがあれば便利だよな。『はい、君の愛の重さは1〇グラムだ、
もっと頑張れ』とか『君の愛の大きさは二メーターもある。素晴らしい』とか言えるから
ね。
内のクラスにもそう言う計りがあれば一台欲しいね。
おー、横山君、君は科学も工作も得意だろう。一台作ってくれよ。そんなの発明したらす
ごいぞ、新聞のニュースになるかも知れないぞ、横山君は有名人になれるぞ」
言われた生徒は。
「先生、僕にはできねえよ」と捨て腐れたように言った、皆が笑った。
「やっぱし横山君にも出来ないか。そう、さっき誰かが言ったが、愛は見えないからな、形
が分からない。
しかし皆、驚くな・・・愛の大きさを測る方法が有るんだ、愛の深さを測る方法があるん
だ。いいかよく聞いてくれ、ここからが大事なんだぞ」
先生は静かになるのを見計り言った。
「愛があるか無いか、大きいか小さいか、深いか浅いか。それは、勇気ある行動と、耐え忍
ぶ忍耐で計る事ができるんだ。
言い換れば、勇気と忍耐でしか愛は現せないと言う事だ。更に言い換えれば、一歩も踏み
出せない人の愛は小さい、と言う事になる。又、苦しみに耐えられず諦める人の愛は低いと
言う事になるんだ。分かるか」
誰かが言った
「先生、勇気のある奴は強い奴だから、プロレスラーは大きな愛がある、と言う事になるん
じゃないですか」
先生は即座に否定した
「違う違う、力が強い、イコール勇気ではない」
生徒たちは口々に言った、
「強くなきゃ勇気は出ないよな、勇気を出す
から強いんだよな」
再び先生は即座に否定した
「違う違う、力が強いとか弱いとかは勇気には関係ない。強いだけならライオンやトラが一
番勇気があることになるだろ。
強いだけでは無謀になり残虐になる。海では溺れる、山では遭難する」
生徒の一人が手を挙げて言った。
「先生、山なんかで勇気ある撤退ってありますよね、これって怖いから撤退でしょう、だっ
て勇気があれば、撤退しないで登るでしょう」、
「そうだね、でも強がっていただけなら無謀登山となり遭難するんだ。登山に多くの知識と
正しい判断が必要なんだ。喩え弱虫に見えても、憶病に見えても、知識に裏付けられた決断
なら、それは勇気と言うんだ。
と言う事は、すなわち勇気とは、時に憶病にも見えるということだね。と言う事は、勇気
の反対は臆病ではない、無謀と言う事になるね。すなわち勇気とは理性ある正しい行動と言
う事にもなる」
生徒の中にはよくわからないで、首を傾げる子もいたが、先生は分かり易く、ゆっくり話
を進めた。
世の中、強い人間ばかりじゃない。
憶病でもいいと思うんだ、怖がってもいい、恐れてもいいと思うんだ」
生徒の間から声が上がった
「エー先生、憶病者に勇気はないと思うよ」
先生はしばらく間をおいて、言い切った
「いいかい、憶病でもいい、強がらなくてもいい、恐れてもいい。誰だって怖い時は怖いよ
。ありのままの自分でいい。
でも、正しい事ならば『震えながらでも一歩前に出る』それが勇気と言うんだ。
此の人を勇者と言うんだ。この人こそ愛がある人だ。
いいかい、先生の遺言だと思って聞いてくれ。『一歩踏み出す勇気』を忘れるなと言う事
だ、勇気と臆病と無謀の差は紙一重だ。
愛だ愛だと乱発しても、そこに勇気が無ければ忍耐が無ければ愛ではない。
もう一度言う、勇者とは、怖がらない事ではない、恐れない事ではない、強がる事でもな
い、自分の弱い心にムチ打って、一歩踏み出す人の事だ。
言い返れば『一歩も踏み出せない傍観者には愛は無い』と言う事だ。
と言う事は、愛の反対は憎しみではない、傍観であり、無関心ということになる」
一人の女子生徒が手を挙げて言った。
「先生、愛の反対は『憎しみ』って私の辞書には出ていました。私、調べた事あります」
先生は躊躇なく言い切った
「『憎しみ』とは、愛が変形したものだ。
貴方の辞書は間違っている」・・・と
生徒たちの間からは納得せず。
「えー先生、本当に辞書が間違っているんですか」「間違った辞書ってあるんです」
教室は大騒ぎになった。
先生は皆を静止しながら言った。
「あんなに分厚い辞書だ、一か所くらい間違いがあっても不思議じゃないよね」
生徒は口々に勝手な意見を言っていた。
先生は更に皆を静止しながら言った。
「でも、試験の時だけは愛の反対は憎しみと書いてくれ」
教室内はざわついていたが、生徒の中から、
「分かりました先生。見解の相違って言うんでしょう」先生は笑いながら。
「そういう事にしておいてくれ。
ついでに貴方の辞書には勇気の反対は『憶病』と出ているかもしれない。それも辞書の間
違いだ。
勇気の反対は『無謀であり残忍であり愚である』と言うのが正解だ。
憶病に見えても、己に勝ち、一歩踏み出す奴は、間違いなく勇者だ。
何があっても諦めない忍耐の人は勇者だ。
あ、これも試験の時だけは勇気の反対は臆病と書いてくれ。
ここで先生が言いたいのは、現実の世界では、理屈を頭で考えて計算しても、その通りに
行かない場合がある。と言う事だ。
時代により、場所により、人により違うんだね。冬山で勇気なんか出していたら、命が幾
つあっても足らないだろう。
又、『七転び八起き』なんてことわざがあるが、先生に言わせれば、懲りない奴の喩えだ
よ。
哲学の分る佐藤君。この辺の矛盾を深く思索して、皆に分かり易く教えてあげてくれよ」
言われたガリ勉は、しきりに頭を横に振っていた。
教室内はガヤガヤ自分勝手に意見を言っていた、生徒の中には思考停止状態に陥っ子もい
た。
先生は結論した。
「愛の反対は傍観であり無関心だ。皆は決して傍観者になるな、無関心でいるな『一歩踏み
出す』勇気を忘れるなと言っておきたい」
「ハイ」と言う元気な返事が返って来た。
おおよそ先生の思いは通じたようであった。
更に先生は
「愛の中身を話したついでに勇気の中身を話しておこうか。
勇気とは、外に向けられる前に、自分の中に向けられなければならないんだ。
『嫌いな事から逃げ出そう』とする自分。
『悪い事は何でも、他人のせいにする』自分。
『どうせ何をしてもダメだ』と直ぐ諦める自分。そのような自分の弱い心に打ち勝つことこ
そ本当の勇気と言うんだ。
そしてその勇気は、自分を信ずることから生まれるんだ。自分を信ずるとは、自分の無限
の可能性を信ずる事だ。
いいかい、自分を疑えば一歩たりとも進めない、簡単な事さえ分からなくなる。
その逆に自分を信じて一歩踏み出せば、分からない事が分かるようになる。
自分を強く信ずれば、魔法のように知恵が沸いてくる」
先生は静まり返るのを待ち、力強く結論した。
愛に忍耐がなければ、憎しみに変化する。
愛に勇気が無ければ、空しく消え去る。
愛にエゴイズムがあると、溺愛や盲愛とな
り、相手を滅ぼしてしまう。
愛を独占すると小さな愛で終わる。
愛は開かれてこそ幸福と平和が建設される。
真実の愛とは。
傍観せず共に苦しむ事。
己の可能性を信じ、己に勝つ事。
一歩踏み出す勇気を持つ事。
簡単にまとめて書いておいたよ」
先生は黒板に書いてある文字を指示した。
そこには先生が予め書いておいたのだろう
次の言葉が書かれていた。
愛とは。
〇共に苦しむ
〇己に勝つ
〇一歩踏み出す
「これから皆の前には、様々な苦難が待ち構えている事だろう。
人間とは弱い者だ。何か問題が起こると、絶望し、他人のせいにし、やる気をなくし、楽
な方へ行きたがる。
その時こそこの言葉を思い出してもらいたい。勝利者になるために、忍耐強く苦難と戦っ
てほしい」
この先生の遺言にうなずく生徒もいた、理解できない生徒もいた。
先生は一郎とガリ勉を見た。そして言った。
「このクラスの中には、傍観せず、己に勝ち、一歩踏み出した生徒が何人もいる。
そういう生徒に限って自慢しないんだ。それは君かも知れない、隣の席の君かも知れない
、いや、誰に言われなくても本人はきっと分かっているはずだ。
天知る、地知る、我知るだ。
そういう勇気あるクラスメイトに拍手を送りたい」
静けさが漂う・・・沈黙を破るように、
誰かがゆっくり手をたたいた。
続いて、思い出したように、劇場の幕が開く時の様に、拍手が一斉に沸き起こった。
芽吹き始めた大地を震わせて、
遥か虚空に響かせた。
天も讃えん地も称えん、
虹よかかれと祈り、終わります。