- おもろいはなし - 

生命の本質

生命とは宇宙とは物質とは
科学者はあり得ない現象に戸惑うのです

私たちの魂の内部世界hは、
想像を超えた、茫漠たる未踏の地なのです
「宇宙の地平線」のその向うにある人類の感知
できない世界と、極小物質に潜むエイリアンと共に。
「生命」の問題は、科学の範囲を越えて
純粋に哲学、つまり人間の思惟と想像の問題に
なるのではないでしょうか

生命の本質についての問題は、哲学と宗教の基本的問題でもあるのです。
生命は何処から来て、何処へ行くのか。
この人生最大の課題は哲学と宗教の出発点であり帰結でもあります。
哲学 と宗教はこの問題に注目することで、
人間の人生にとっての目的と意義について注目するようになり、
それによって人類の「究極の関心事」を説明しようとしたのです。
同様に、一人の宗教思想家として、池田大作先生のすべての思想体系の中で、
最も人々の関心を引きつけるものが、氏の生命論なのです。
これはただ単に氏のすべての思想展開の原点であるだけでなく、
氏の思想体系の中で最も堅実な哲学理論の基礎となっているのです。
言い換えれば、まさに池田先生の生命に対する深い思索は、
氏の人間学と社会革命の理念と実践を裏付けています。
したがって、池田先生の生命論を深く把握することは氏のすべての思想体系と
実践の核心の所在を知る手がかりともなるのです

宇宙は生命の海
生命の起源を探求するにはまず宇宙の根本的問題について遡らなくてはなりません。
この問題については ビッグ・バン説や重複宇宙説などがあるが。
池田先生は、どの説にっいても人類の認識能力には限界があることを認めています。
ドップラー効果によれば、星雲間は驚くほどのスピードで互いに遙かな方向へ
向かって離れており、地球から200億光年の彼方になると、人類の自然科学は
その能力を発揮できなくなるのです。
また地球からの距離が200億光年以内の宇宙は、物理学上では可視的宇宙であり、
これより遠い、いわゆる「宇宙線」のその向こうは、人類の感知できない世界であり
「そこから先は科学の範囲を越えて 純粋に哲学つまり人間の思惟と想像の問題になります

宇宙の大きさは有限か、それとも無限か。宇宙はどのような起源を持つのか。
宇宙 の本質の問題に関しては「結局は哲学、宗教に託されるべき性質のもの」である。
ここで、池田先生は この科学的問題を哲学化、宗教化することで、
人々が現実の物質的世界から瞬く間に宗教的主観の世界へと入り、
そしてそこから生命の本質についての宗教的認識が、自由で闊達な合理的背景を
得ることができるとされている。
仏法では、宇宙は 「五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界」であるとしている。
「那由他」とは現在の数量概念では一千億に相当し、「阿僧祇」は10の51乗である。
したがって、これは計算できない巨大な数字である。
また仏法では、宇宙は無限大であり、無量無辺で 無始無終であるとみなして る。
この無限大の宇宙において、生命は如何にして誕生したのか。
池田先生は「宇宙を有無という二つの概念のみでとらえようとすれば、
そこにおける生命の発生は、無から有を生じたといわざるをえません」と 述べ、
この点については仏法では否定する。
なぜなら仏法では生命は有無の概念を超越していると理解するからである。
仏法では、ある意味で、「地球を含む宇宙それ自体が本来 生命的存在であり、
"空"の状態にある生命を含んでいる。
それが"有"として顕在化する条件が整ったとき、宇宙のどこにでも
生命体として発生する可能性がある」と 理解しているのである。
池田先生は 「生物を生み出す力 が宇宙自体にあり、
無生の物質にも生命が冥伏した形で内在している」としまた
「大宇 宙それ 自体が一個 の生命体である」とみなしている。
すなわち、地球を含む宇宙それ 自体が本来 、生命的存在であり
「空」の状態にある生命を含んでいる
「有」として現出できる条件を持った時に、宇宙のいかなる場所でも
生命体として出現しうる可能性を持っているのである。
したがって 池田先生は
「宇宙自体が生命を誕生させる力を内包した"生命の海"である」と述べ てい る。

宇宙はこれまで一貫して何物も存在しない 「真空」であるとみなされてきたが、
じっはそれはたえず 「物」 を生 出す生命空間だっ のである。
この発見 は20世紀の科学が証明した偉大な成果である。
現代物理での真空は「空」ではないが、その本質を現時点の言葉で言えるとす
れば、我々の科学では事物を包含する基本的物質の存在形態である、
ということである。
アインシュタインは、物理空間は 「たんなる広がりをもつだけの空虚ではなく、
それ自体の性質が、その中に存在する物体に影響を与えたり、
ある条件が整えば、物質を生み出す可能性をも含んでいる」と分析している。
このように、
現代物理学の空間認識 と池田先生の「空」の概念 は深い共通性をもっている。
また池 田先生の 「空」 の生命起源の観点は現代科学の論証を得ているのである。

池田先生の 「空」の宇宙観では「空」は一種の生命創造の力で るだ けでなく、
生命そのものの一種の形態でもある。
また それは新たな生物や物質変化を生み出す原動力でもあり宇宙に内在する
一種の創造的力でもあり、神秘的な 「無定体(物 質的実体を持 たない)」 の
真実の存在である。 したがって、
池田先生の宇宙観は、実際に「宇宙即生命 、生命即宇宙jの大生命観なのである
この生命観は強い科学探究の精神を体現し、知的思惟の色彩に満ちており、
「上帝造人(神が人間を創造する)」という創世神話と比して
科学的にも人々を納得 させ るもので ある。
それ故 この基礎の上に形成された池田先生の思想体系は強い信仰のカをも
有することになるのである。

,生命は作者であり作品、
池田先生は 「生命の誕生という厳粛な事実を前に私どもは科学 、哲学、宗教の
すべての英知を集め、その重要なテーマを探求していくべきである」と言う。
生命 の起源 については、一般に支持されているのは 自然発生学説 である
原始段階の生物化石の発見と簡単な有機物 の人工合成によって この学説は証明されている
具体的には、最も早い生命形態は無機物の中から有機物が生み出され、
タンパ ク質を形成し、その物質の新陳代謝によって生命体が誕生したのである。
だが池田先生はこの種の生命起源の解釈は
ただ生命を物質現象としてとらえているだけであり、生命誕生の過程を探求する時
「私が問題にしたいのは 『どのように』ではなく、
『なぜ』無生の物質の世界に生命が誕生することができたか、 という点です。
それは、物質現象の側面のみの問題ではなく、 もっと深く、
生命の本質にまで掘り下げてみなければならないテーマになる」と述べている
つまり、宗教哲学は科学よりもさらに一歩進んで、
生命 起源 誕生の過程を明らかにすることで満足するのではなく、
さらに生命起源の原因についても明らかにしなければならないと考えている、 と言えよう
地球上に生命が どのようにして誕生したかではなく、
この地球上に生命がなぜ誕生したか という問題なのである。


池田先生は、論理学的に「誕生した当初はたぶん無生であった地球に生物が発生した
ということは、無生の地球それ 自体のなかに、すでに生命への方向性をはらんでいた
といえるのではないで しょうか」と述べている。
生命は決して受動的存在ではなく、能動的存在である。
生命 のこのような能動性は「激発性」とも言えるが、いったいどこから来たのであろうか。
池田先生は 「私は 無生のなかに生を内包し、その生が自己を顕現してい った過程こそ、
まさに命 の起源 の意味す る ところだ と思 うのです」と言 う。
まさしくこの点にこそ、池田先生が生命 の起源を一種の 「`創造'さ れた`新 産 物'」である
とする見解に同意しない理由がある。
なぜ なら生命が無から創造されたのであるとすれば、必ず創造者がいなければならない。
そうなると自然 に一個の創造 「神」の存在を認めることになるからである。
池田先生は生命起源 の正確な解釈 として 「発現」説を採っている。 いわゆる 「発現」 とは、
元来すでに存在していた物が顕在化することである。
このことについて、トインビーも
「変化が現われるのはすべて実際には錯覚にすぎなくなってしまいます
なぜなら、現在存在するものも、これから存在しようとしているものも、
すべて初めから存在していたことになってしまうからです。
すべての出来事は、 もともと潜在していた実在の要素が徐々に顕在化したのだろう
ということになってしまうわけです」と述べている。
この見解に従えば世界上には無から生じたという、いかな るもの も根本的に存在せず 、
現在存在し将来現出するものは、 もともとあった物質が表面化したものであるにすぎない。
それ はまた、事物 の存在はすべて 「潜在 」から 「顕在」へ という過程 があり、
それゆえに有の中に化有があるのであって、無の中から生を有するのではない。
池田先生は 「生命 は地球の誕生から現在までみずからの顕現と出現を継続的に持ち続けており、
みずか らを個別 的に発展させる方向へと向かわせていく」性質を有することを
肯定的にとらえている。
このような個別化する生命に能動性があることは「生命エネルギーのカ」 と言ってもよく、
「すで に無生の地球それ 自体に内在していたはずですと。
この意味か らいえば、「生命はそれ自体作者であり作品である」といえ よう。

ここで、われわれは 池田先生が繰り返し言している
「空」の概念について より進んだ理解が必要であろう。
なぜなら、この 「空」 の概念を理解できてはじめて生命とい 存在の性質について
理解できるからである。
池田先生はいわゆる 「空」 とは言葉 表現できない存在状態であり、現象として現われたものでもない。
しか しそれは一種の存在であり、視覚できるものではないために「無 」と同様 に見 なされている
と言うこともできる。しかし、それは縁に触れることで 、肉眼で見ることのできる形態として
出現するので、 このような存在を 「無」 と呼ぶことはできない。
したがってこのよ な状態を 「有」と「無」だけで表現することはできないのである。
いわゆる 「空」 とは、「有無」を超越 した実在であり、「真有jでも 「虚無」でもなく、
それは無量の潜在力を内含しており、無限の創造力を持つ 「生命 空間」である。
これ 現代物理学の 「統一場」 の概念と近似している。

池田先生は仏法の 「空」 と言う概念を用いて宇宙 の起源と生命の誕生を解釈しており、
宇宙観と生命論を合一させ 、宇宙 地球 人間の三者 に同一性 を具有させる。
氏は現在の生命についての概念は狭隆で 生命を生物学上の存在とのみ見なしているが
これでは生命を有形の物とのみ認識させ 、本質的な意義の探求をおろそかにしてしまう。
仏法の 「大生命 」観は、生物学上の生命を一種の存在とみるだけでなく生命を生み出す力
そのものの一種の存在であるとみなしており、前者が顕現形態であり、後者 が潜伏形態であり、
両者はともに生命そのものが備えている異なる表現形態である。
この意味から人間や地球や宇宙が生命であるばかりでなく、そのすべてが
同一性を備えたものを必然的に持つ 共同性を有している。
したがって、人間、地球、宇宙とはその形態には違いがあるが、本質的には一体であり、
宇宙即人間、人間即宇宙 である。

この思想 は池田先生が人類思想の歴史上の独創的な(インド思想の 「汝即梵」中国思想の
「我心即宇宙」)な どの伝統思想を、新たに理論的に発展させたものである。

以上の考察を通し、我々はまず池田先生の大生命観に含まれる徹底した科学的理念を理解することができる。
氏は仏法の「空」の概念を現代物理学の「場の空間」理論に応用して両者を結びっけた。
これは自身の宗教思想に基づく確固たる立脚点から出発している。
これ はまた伝統的宗教思想が科学の発達した現代に対して与えた一っの発展の道程 ある。
第2には池田先生が示した「空 」の概念を理論的支柱とする生命起源説は、
有神論と無神論を画する画期的な理論 であろう。
池田先生の生命観には、伝統的観点が備えていない革命的思想をもっている。
氏は人間が一個 の生命体としてもともと有している主体性 能動性、そしてそこから生み出される
創造的潜在能力を強調しているが、そこに氏の人間学 すなわち人間革命の理論的根拠を
見出すことができるのである。

生死不二
池田先 の生命論では「空」の概念を用いて宇宙と人間の同一性の 「発見」に成功しただけでなく、
さらに 「空」の概念によって「死」を超越することができた。
そしてこの人類にとって最も重要な問題を理論的に昇華させ 氏の人間学において
最も核心的で革命的な内容を展開しているのである。
「たとえ千年の鉄の濫にありても、終には一つの土饅頭(墓)を要す 」 とあるよ うに
古来、死は深刻 かっ甚深な人々の心の奥底を圧迫する本質的恐怖であった。
科学がいかに進歩しようとも、社会がいかに発展しようとも、
「生あればすなわち死があり、人は総じて死ななければならない」のである。
この問題はいかなる人間であっても解決できないが、人類の最も根本的な
「臨終に関心を持っ」宗教にとっては必ず解決すべき難題であり続けてきた。
では、池田先生はいか にしてこの問題を解決したのであろうか。
池田先生は 『法 華経 』を中心とする立場から、
日蓮以来の生命論の理論的成果を吸収し「空」の概念を極限まで発展させ、
死に対して独創的で深遠な考察をおこなっている。
池田先生は 「ふつう、生命は 『生で始まり』、『死で終わる』 と考えられ ている。
しかし日蓮大聖人は、生命とは三世永遠にわたるもので あり、『生』も 『死』 も、
生命にもともとそなわった 『本有』の理である と説かれている」と言 う。 したがって、
池田先生は次のように主張する。
「生命というものは 『時間』『空間』をつらぬいている無始無終の実在せるものであるといえる」
さらに、また、「もともと、生死をこえた永遠にわたる生命の実在がある。
全世界を焼尽する大火にも焼けず、水が災いをして朽ちらせることもできない。
剣にも切られるものではなく弓をもっても射られることもできない。
きわめて小さい芥子粒の微塵にいれても芥子粒が広がることはなく、
また広大無辺なる宇宙のなかに遍満しても、宇宙自体が広すぎるということはない。
つまり一念の生命というものは、生死、生滅 、大小 、広狭の相対性をこえた不変の実在である」
と述べる。すなわち、「生命の流転というものは永遠である。 これが仏法の大原則」なのである。
この大原則 をさらによりよく示すために、池田先生は次のような例を挙げている。
「これは、一 目にたとえてみるな らば朝日が昇り目をさます。『生』である。
その 『生』の延長 として一目の行動が始まる。
一 日の活動を終えて 、疲れを癒すために家路につく。
夜、あすの 『生』 のために休息の床につく。
これすなわち一 日の『死』である。 これ と同 じように、一生の価値 ある活動を終え、
新たな活力 ある生命力をえるために、『死』とい う方便の姿を示すというのです 」
と。 これが 『法華経』で説くところの 「方便現捏藥 」である。
したがって、大乗仏教 の主張する 「生死不 二」 とは、生と死 は時間と空間にお ける現象であり、
生命とはこの時間と空間を超越した存在の、2種類の異なる顕現形態なのである。
それぞれの生命体はすべて生命が顕現した状態である。
いわゆる 「死」とは生命が 「冥伏 」した状態であり、「冥伏」は無 に帰結するのではない。
これにっいて、池田先生は さらに解釈を加えて「空」という概念は、目には見えないが確実に存在し、
有と無のどちらか一方を用いて決定できる概念でもない。
これとは反対に、現実の様々な状態で出現するそれぞれの形態は「仮 」と呼ばれる。
心身の統一した生は「仮」の状態であり、その中に「空」を含んでいる。
死後の生命は「空」 となって存在し、同時にその中に「仮」の傾向性、方向性を含んでいる。
一 旦条件がそろえば、生命の存在形式は「空」から 「仮」へと変わり、
肉眼で見ることのできる現実の物体となって 「再生」するのである。

「空」 と 「仮」 を貫く生命の本質を 「中」 と呼び、 この生命の本質は永遠に「空」 と 「仮」
の中を無限に流転し続け、ある時は顕現し、またある時は冥伏していく。さらにまた生命 は
「成住壊空」 という生命発展の リズムのなかで生死流転し、永遠にとどまらない
人も星も宇宙そのものも同様 である。
仏法においては、このような生命本源の法理を明確に示している。
それは 「有形 」を通して 「無形 」を理解し、「無形」を通して永遠を理解するので ある。
生命 が生死 流転 の輪廻の中にあるのであれば、 自然に人間の運命の問題が発生してくる。
したがって、宗教の因果応報という運命説も同様に導き出される。
仏法からみて、運命の法則 とはすなわち因果応報である。
一人一人が一生で成すところの全てが自己の「業」となり、来世に転生するための 「因」となる。
そしてすべての 「業」には必ず応報があり、いわゆる「善には善報、悪には悪報」がある。
今世に蒔かれた因は、必 的に来世にあっては果となるのであり、
「瓜を蒔けば瓜を得 、豆を蒔けば豆を得る」 ように、いかなる因がいかなる果を得るのか
応報にはいささかのくるいもない。一人一人がみずから蒔いた因はみずからその果を食するのである。
われわれは、現在、科学的証明が得られないため、永遠の生命の問題に関しては、
依然として哲学宗教の仮説 を承認せ ざるをえない。これ について、池 田先生は、「た しか に、人
間の知的能力 には限界がありその範囲を越えた宇宙の究極にあるものや、
人間の生命 の本質に関する定義 はすべて 『仮説』にならざるをえないと思います」と述べる。
しかし、この種の宗教的仮説は、また充分重要であり必要でもある。
なぜなら、科学的仮説が追求するのは真偽の問題であり、宗教の仮説が求めるのは人々の天性を
改善するために必要な価値 なのである。
「人間存在がなるほど現世の生だけのものだとすれば、死後の運命などということは
問題ではなくなってしまう。 しかし、 こうした死後についてのとらえ方の相違は、この世 のわれわれ
人間の生き方をに大きく左右することが考えられるのである」

この意味から、池田先生は仏教の主張する生命輪廻と永遠存在の仮説につ いて次のように主張する。
「仏 教が主張する、輪廻 しながら生命が永続していくという 『仮説』は、人間が生まれながらにして 、
個人によって種々に異なる宿業(カ ルマ)をもっているという事実を説明するうえで、
有効性をもっている」と。 そ して この事実は、
「人間に、自分が人間以外の超絶者によって支配されているのではなく
すべてについて自分自身が責任をもっていることを自覚させ 、
本源的 な主体性がここから打ち立てられることを可能にするということができま しょう」と。
まさしくこの意味において、池田先生は仏法の因果応報を人間革命の要素とみなし、
ここに「人 間の本源的な次元での責任性 ・主体性を 立するカギを秘めている」と述べている。
また 「しか しそうでなければ、刹那主義 、快楽主義 に陥って、なんの進歩もなくなってしまうでしょう。
時代の進歩もなくなってしまう。また人生 あまりにもふざけ半分になってしまう。
それでは、自己を律すること、人々への善意 、社会への貢献などというものは、忘れら去られてしまうでしょう」
とも述べている。
これにより生命の永遠性とそこから生み出される運命の因果律が最終的には仮説の域を出なくとも
我々人類社会の発展にとって必要かっ素晴らしい仮説なのである。
このような仮説の存在は合理性を有し、まさに我々が人間の真、善 、美 を追究するのに必要な前提 となる。
「人の一生での行為は、倫理上の結果を必ずもたらし、 この結果は十分に重要であり、
自己に対 してだけでなく、全人類 、全宇宙にとっても重要なのである」。
そしてまさにこの因縁の故に、人生は意義をもち、宗教も意義をもつ のである。

以上みてきたように、池田先生は生命論において、伝統的な仏教思想の中から最も意義を持っものを掘り起こし、
そして、宗教の生死観から出発して、 より価値と意義を持つテーマ 、すなわち人々がどのように生きていくのかを
導き出したのである。
ここか ら大乗仏教の 『法華経』と小乗仏教は明確に区分されることがわかる。
すなわ ち仏法とは人心なのである。
池田先生は、人間革命の可能性と必要性を理論的に明らかにし、
自身の宗教的政治的実践のために確固とした哲学的基盤を確立したのである。



夢から分かる深層心理、
自分の心理状態を徹底分析


そもそも「夢」とは?
「深層心理」とは?
見た夢別・深層心理のまとめ
未だに解明されていない夢の謎とは?

そもそも「夢」とは?
睡眠科学の世界では、夢はその人の記憶と強く結びついていると言われています。睡眠中は、脳内に蓄積された“記憶の貯蔵庫”の中に新しい記憶を保存したり、貯蔵庫の中から古い記憶を引き出したりする「整理」が行われているそう。その過程で、映画のフィルムのように記憶のイメージが夢として反映されているといいます。

夢のメカニズム
夢を見ない人は存在しません。なぜなら、夢は脳にとって必要な「記憶の整理」の過程で起こる「副産物」のようなものだから。たまに「私は夢を見ない」という人がいますが、それは単純に、夢を見たことを覚えていないだけなのです。夢の基本的なメカニズムについて解説していきます

「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」で見る夢が異なる
睡眠に「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」があるのは、すでに広く知られています。実は、この2種類の睡眠によって、見る夢の質が変わってきます。「レム睡眠」が、「身体は休んでいて、脳が活発に動いている状態」であるのに対し、「ノンレム睡眠」は、「身体も脳も休んでいる状態」です。

「レム睡眠」「ノンレム睡眠」どちらも夢を見る可能性がありますが、実は「ノンレム睡眠」の間に見る夢は、覚えていないことが多いといわれています。各睡眠時の夢の特徴は、以下のようになります。
<レム睡眠の間に見る夢の特徴>
比較的はっきりしている
ストーリー展開がある
夢の内容を覚えている
<ノンレム睡眠の間に見る夢の特徴>
はっきりしない、ぼんやりとした内容
ストーリーがなく、平凡
目が覚めても、夢の内容を覚えていない


(2)日中の過ごし方で夢が決まる
「よく夢を見る人」は、起きている間に脳が活発に動いている人が多いといわれています。これは、日中の活動で脳が刺激を受ければ受けるほど、睡眠中にその記憶を処理する必要があるため。反対に脳が受ける刺激が少なくなると、夢を見る頻度も低下するといわれています。さらに、高齢になるほど夢を見る回数は減っていくとされ、これも日中の脳への刺激が減少することや、レム睡眠が減少することが原因だと考えられています。

また、科学的に証明されてはいないものの、起きている間により能動的な刺激を受けた方が、夢を見やすくなるそう。具体的には、テレビを観るだけ、ゲームをするだけといった受動的な刺激よりも、人と会話したり、自分から何かを発信することで脳を刺激した方が、睡眠中に処理すべき記憶が蓄積されやすく、夢を見やすくなるようです。

(3)夢がモノクロかカラーかを決めるのは?
見る夢が「モノクロ」か「カラー」かも、日中の活動によって変化が表れます。アーティストなど、色彩が豊かな空間で活動している人はカラフルな夢を見る傾向があり、反対に色による視覚的刺激の少ない環境で生活している人は、夢もモノクロになりやすいといわれています。ちなみに、ある研究によると、昔の日本ではほとんどの人が「モノクロの夢」を見ていましたが、カラーテレビが導入された頃から、カラーの夢を見る人が増えていったという説もあります。


「深層心理」とは?
夢がなぜ、自分の「深層心理」を表すとされているのでしょうか?そこで、続いては「深層心理と夢の関係」についてわかりやすくまとめてみました。

深層心理≒無意識
深層心理学の第一人者であるユングによれば、深層心理とは「意識のコントロールや認識を超えたもの」。簡単に言えば、自分でも気づけない「無意識の心理」のことです。ユングの考え方では、無意識は、「個人的無意識」と「集合的無意識」に分けられます。

<個人的無意識>
もう忘れてしまっているが、本当は心の底に残っていること
知らず知らずの間に抑圧されてしまった欲求

<集合的無意識>
すべての人が普遍的に感じていること
社会の中で暗黙の了解になっていること

ユングは「夢に現れる内容の一つひとつが、深層心理の象徴的表現である」と言っています。記憶や願望といった「個人的無意識」と、自分でも気づいていない「集団的無意識」のイメージが組み合わさって、夢ができているということですね。


ユング式「6つの深層心理(アーキタイプ)」
ユングは特に夢に現れることの多い6つの要素を、「アーキタイプ」と名付けています。自分が見た夢の内容がどのアーキタイプを表しているかがわかれば、深層心理を知る手がかりになります。


(1)シャドウ

成長する過程の中で捨てられてきた可能性や、発達しなかった才能。
夢での現れ方:自分自身や、嫌いな同性


(2)ペルソナ
他人に対して繕っている「表向きの顔」。
夢での現れ方:洋服やアクセサリーなど、身に付けるもの

(3)アニマ
男性の中に秘められた女性らしさ。または、男性が女性に対して抱いているイメージや理想の女性像。
夢での現れ方:恋愛対象の女性や憧れの女性、または女性を連想させるもの(花や動物など)

(4)アニムス
女性の中に秘められた男性らしさ。または、女性が男性に対して抱いているイメージや理想の男性像。
夢での現れ方:恋愛対象の男性や憧れの男性、または男性を連想させるもの(銃や硬貨など)

(5)オールド・ワイズ・マン
男性にとっての最終的に達成したい目標。
夢での現れ方:仙人や少年、大きな山など

(6)グレイト・マザー
女性にとっての最終的に達成したい目標。
夢での現れ方:海や大地、または恐ろしい魔女など


深層心理が夢に表れるわけ
では、なぜ夢に深層心理が表れるのでしょうか。すでに述べたように、夢は脳が記憶を整理する過程で生まれる、いわば副産物。たくさんの記憶の中にあるものが断片的に“編集”されたものであるため、その人にとって特に印象的な記憶や、気にしていることが色濃く反映されています。

そのため、自分では気にしていないつもりでも、本当はとても傷ついた記憶や、ずっと楽しみにしていること、願望、恐れていることなどが夢になって出てくる場合があるのです



見た夢別・深層心理の徹底まとめ
これまでのことを踏まえて、どんな夢にどんな深層心理が現れているのか、代表的な例を見てみましょう。

(1)追われる夢・逃げる夢
何かに追われたり、何かから逃げる夢を見るときは、日常生活でも仕事や借金、試験などに追われていることが多いと言われています。この夢を頻繁に見るようであれば、問題の解決が必要。仕事量を見直したり、借金の問題であれば、早めに解決のために行動しましょう。

Check
詳しく知りたい方は、下記の記事もご覧ください。
幽霊や男に”追いかけられる夢”を見た…夢占いで紐解くその意味は?
https://fuminners.jp/newsranking/3603/


(2)空を飛ぶ夢
空を自由に飛ぶ夢を見た時は、自由に動くことができるだけの能力と運気が備わってきている状態といえます。日常生活が理想的に進んでおり、非常に良い状態です。

Check
詳しく知りたい方は、下記の記事もご覧ください。
「空を飛ぶ夢」は吉夢?夢から読み取れる3つの深層心理とは
https://fuminners.jp/newsranking/2969/


(3)誰かを殺す夢
誰かを殺してしまう夢は、その相手を消してしまいたい、その相手から逃げ出したいという気持ちの表れです。人を殺してしまう夢はショッキングですが、その相手が誰であるかにも、深層心理が表れているといえます。

相手が恋人なら、その人との付き合いを終わらせなければいけないと感じているのかもしれません。自分の親であれば、自立する必要があると強く感じているということでしょう。

Check
詳しく知りたい方は、下記の記事もご覧ください。
「殺される夢」「人を殺す夢」は吉夢?夢の意味と深層心理
https://fuminners.jp/newsranking/3007/


これらのシーンと前述の6つの「アーキタイプ」を組み合わせると、夢がどんな深層心理を表しているのかが、さらに詳しくわかります。

(例1)山を登っている最中に何かに追われる夢
アーキタイプを見ると、「山」は男性にとって最終的に達成したい目標を現し、「山に登っている」ということは、その目標に現在進行形で取り組んでいると解釈できます。また、「何かに追われる」は「現実でも何らかしらの問題を抱えている」と読み解くことができます。双方をつなげると、「とても重大な目標に取り組んでいるが、ある原因により難航している」ということがわかります。

(例2)アクセサリーをなくしてしまう夢
こちらも同様、アーキタイプから解釈すると「アクセサリー」が意味するものは、「他人に対して繕っている表向きの顔」です。さらに、それを「なくしてしまう」ということは、「他人の機嫌ばかりをうかがっている自分を脱したい」という気持ちの表れと解釈できます。


未だに解明されていない夢の謎とは?

夢に深層心理が表れていることは、科学的にも心理学的にも明らかになっています。しかし、夢そのものについては、まだ不明な部分や、原因がわからないことがたくさんあるのだそう。


外的要因が夢に影響する?
「好きなアイドルや芸能人の写真を枕の下に敷くと、その人の夢が見られる」という話を聞いたことがある人も多いはず。しかし、外的要因が夢に影響を与えることは、あまりないのだそう。睡眠中は、外的刺激をできるだけ遮断して睡眠状態を維持しようとするため、感覚系の働きが低下するようになっているからです。
「大きな石の下敷きになっている夢にうなされながら目を覚ましたとき、隣で寝ている人の足がお腹に乗っていた」「怪獣が吠えている夢を見た時、誰かがドアをドンドンと叩いていた」といったケースは、外的要因がとても大きいため、夢に現れた例外的なケースといえます。


「予知夢」は本当にある?
予知夢に関する研究も進んでいますが、その根拠は化科学的に解明されていません。事前に「おばあさんの具合が悪い」などと聞いていて、それを心配するあまり、おばあさんが亡くなってしまう夢を見る、といった体験が「予知夢」と認識されているだけなのではないか、とも言われています。


「見たい夢」を見ることはできる?
自分の深層心理が反映されているとはいえ、悪い夢は見たくないもの。しかし、思い通りの夢を見る効果的な方法は今のところ存在しません。とはいえ、夢は記憶と深層心理、日中の過ごし方に影響を受けるため、意図的に「いい夢」を見ることも不可能ではなさそうです。もし夢をコントロールすることができたら、毎晩ベッドに入るのが楽しみになるかもしれません。いい夢を見やすくなると言われている方法をご紹介します。


<いい夢を見る方法>
日中は人とポジティブなことを話すなど、「能動的な刺激」を脳に与える
ベッドに入ってからは、考え事をしない(悲観的な思考になることを避ける)
物事をできるだけ前向きに考えるクセをつける



以上のことに気をつけていれば、いい夢を見る確率が高まるのだそう。良い1日を過ごすことで、その日の夢も楽しいものになります。
●いい夢を見る方法ってあるの? 睡眠の専門家に聞いてみた
https://fuminners.jp/newsranking/2724/

夢によって自分の深層心理に気づくことができれば、「今は忙しいから焦っているんだな」「少し疲れているのかもしれない」など、自分をより深く知るきっかけになるはず。夢を上手に活用して、今の自分と向き合ってみてはいかでしょうか

- おもろいはなし - 
https://fuminners.jp/newsranking/3178/