- おもろいはなし -                                     

   幸福の条件      幸福の6個の条件を提示します
2     死、とは    宗教により様々だが、貴方はどれが信じられますか
3   「汝自身を知れ」とは   一番分からない自分の事です
4   何故 宗教は必要か   轢死から 科学から 祈りとは 幸福とは
 5   組織について     組織の目的 理想的な組織とは
 6  キリストと仏教  違いでなくて 似ているの所を
 7   占い 霊 手相  太古の宗教 退化した人が好むエセ宗教
 8  生命の本質 ー夢とはー  生命の本質      夢の実態  夢判断
 9  、 希望とは         、人類に与えられた特権、希望を持つ    
 10   友情のお話  人生を豊かにする友人とは   
 11  キリスト教と植民地の歴史  先住民を殺戮、悲惨な奴隷に
 12  親父の寝言  どうでもよい お話
13    究極の法則     自分の一生を左右し 密接にかかわり続け 逃れる事ができない法則
 14
 山のお話   山での疑問
 15
 勇気とは 
強い事 恐れない事が勇気ではありません
16
 コマクサ  まだ未完成 あしからず
17
  ソクラテス  哲学の祖は 果敢に行動しています
 14   信とは   不思議な力 信
 14   不倫 自殺  人間失格
 14    楽観主義   幸運を逃がさない
 15   君子と小人  人間を考えよう
 16    十界論   生命の区別化の原理
 17  「汝自身を知れ」とは  一番分からない事です
 18   コマクサ   
 19  国家滅亡ノスナリオ そのまんま
 20  偉い人とは  勲章をもらった人ではありません
 21  ボランティア  自分勝手はいけません
 22  ディーラーマル秘情報  マル秘だから 読むな
 23   占い 霊 手相  太古の宗教 退化した人が好むエセ宗教
 24    ベートーベン   楽聖の哲学 生きざま
 25   マルクスの唯心観    彼の宗教観批判を考察
 26   ガソリン節約マニアル  ハイブリット車は関係ありません
 27    イスラム  知っている範囲で
 28   24テレビのインチキ  何でチャリティなのに 金稼ぐ
 29   親父がインタビューしたら  ヘタクソな ヒーローインタビューに うんざり
 30   カーエアコン修理   そのまんま カーエアコン修理の方は こちらへ
 31   幸福の条件  幸福の6個の条件を提示します
32  宇宙人はいるのか  この銀河に、人類以外の宇宙人のいる確率は
 33   ー夢とはー  
34    中道とは  
 35    縁起の法  
 36    九識論     生命の深層の実態
 37    縁起の法    
 38    知識と知恵    wwww
 39     死、とは    宗教により様々だが、貴方はどれが信じられますか
 40  幸福の科学、豆知識  
 41  極楽浄土へ行きましょう  
 42    幼児教育について  
 43     座 禅     
 44    地涌の菩薩     
     竜樹    
     
     

  

  地涌の菩薩   



  幼児教育について

  座 禅   


  幸福の科学、豆知識

  極楽浄土へ行きましょう


  竜樹  


希望希望、希望


   
  死について    raberu1

      死について
   代文明は「死を忘れた文明」と言われるのです
世界の抱える大きな問題も、この死と言う問題を
避け、無視、タブー視する所に、解決の道が開かれないのです

我々は一つの例外もなく死刑の判決の下った死刑囚なのです
何時、それが施行されるか分からないだけなのです

人間は、真っ先に他を差し置いて、この
死の問題を解決しなくてはなりません


仏法では
死後のわれわれの生命の存在の仕方を “空”
という概念でとらえています。
“空” というのは、現象としては現われなくとも、
厳然と実在する状態のことをいいます。
実在するといっても、それは目には見えませんから、
“無” と変わらないともいえましょう。
しかし、実在する以上、
縁にふれて目に見える現象として現われるのです。
そうなると、“無” とはいえません。 つまり、
“有,と“無”という二つの概念だけでは表現できない状態です。
 結局、仏教の教えによれば、生命の本質は “生”
すなわち “有” と “死” すなわち “無” とを現じながら、
永遠に存続していく超時間的実在であるということができます。


大乗仏教においては
、“生死不二” といって、生と死という時間・空間次元の現象は、
時・空を超えた実在である生命の、二つの異なった顕われ方である
と説いています。
個々の生命体は、生命が顕在化した状態であり、死とはその生命が
“冥伏” した状態です。 冥伏とは無に帰することではありません。
 さきほどから私が提起してきた “空” の概念は、
目には見えなくとも厳然と実在する、
有無のいずれか一方に決めることのできない概念です。
これに対して、現実にさまざまな個別の姿をとって現れてくる姿を
“仮(け)” と名づけています。 身心統一体としての生とは、
この“仮,の姿であり、しかもそのなかに“空”をはらんでいます。
死後の生命は “空” として実在しながら、そのなかに
“仮” の傾向性、方向性をはらんでいます。
そして、この “空” と “仮” を貫く生命の本質を
“中” と呼んでいます。
あるときは顕在、あるときは冥伏という姿をとりつつも、
無限に持続していく生命の本質ということです。
 この持続していく生命の本質とは、現代の哲学用語でいえば、
最も根本的な意味での “自我” という表現に通ずるものです。
さらに仏法では、この “空” と “仮” と “中” は
円融一体のものであって、それらを全体として統一的に
把握しなければならないと説いています。


トインビー  生命は、はたして死後も存続するのか。また、肉体が無機物の世界へと還元されてしまった後、精神はどこへ行くのか。 ―― 要するに、これらの疑問は、空間とか時間の基準からは答えられず “空” ないし “永遠” の概念によって初めて答えられるのだと信じま

 トインビーは
、「“宇宙の背後にある究極の精神的実在” に帰ることが死である」と述べています

「生命は永久であり、永遠の生命であるとは、人々のよく言うところであるが、この考え方には、いろいろの種類がある」 と述べられ、2~3の例題をあげられて、それらはみな不正確な生命観であるので、こんな観念論的な永遠は吾人のとらないところである

 寿量品の自我偈には 「方便現涅槃」 とあり、死は一つの方便であると説かれている。たとえてみれば、眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的からみれば、たんなる方便である。人間が活動するという面からみるならば、眠る必要はないのであるが、眠らないと疲労は取れないし、また、はつらつたる働きもできないのである。そのように、人も老人になったり、病気になって、局部が破壊したりした場合において、どうしても死という方便において、若さを取り返す以外にない。
 
 『観心本尊抄』 では、十界について、次のようにのべられている。
 「数(しばし)ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋(いか)り或時は平(たいら)に或時は貪(むさぼ)り現じ或時は癡(おろか)現じ或時は謟曲(てんごく)なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・謟曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり (乃至) 世間の無常は眼前に有り豈(あに)人界に二乗界無からんや、無顧(むこ)の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し」云云。(241P) 

 われわれの日常生活における心の状態を、よくよく思索するならば、瞬間瞬間に、一念一念と起きては消え、起きては消えているのが、貪りとか、よろこびとか怒りである。そして、二つの念が一時に起こることは、けっしてありえないのである。

 このように、本尊抄の十界の文を引かれて、我われの日常生活上に起きる種々の生命情況を、仏法の 「空観」 をもって、次のように解かりやすく説明されています。

 われわれの心の働きをみるに、よろこんだとしても、そのよろこびは時間が立つと消えてなくなる。そのよろこびは霊魂のようなものが、どこかへいってしまったわけではないが、心のどこかへとけこんで、どこをさがしてもないのである。

 しかるに、何時間か何日間かの後、また同じよろこびが起こるのである。また、あることによって悲しんだとする。何時間か何日か過ぎて、そのことを思い出して、また同じ悲しみが生ずることがある。人はよく悲しみをあらたにしたというけれど、前の悲しみと、あとの悲しみと、りっぱな連続があって、その中間はどこにもないのである。

 同じような現象が、われわれ日常の眠りの場合にある。眠っている間は、心はどこにもない。しかるに、目をさますやいなや心は活動する。眠った場合には心がなくて、起きている場合には心がある。あるのがほんとうか、ないのがほんとうか、あるといえばないし、ないとすれば、あらわれてくる。

 このように、有無を論ずることができないとする考え方が、これを空観とも妙ともいうのである。この小宇宙であるわれわれの肉体から、心とか、心の働きとかいうものを思索してこれを仏法の哲学の教えを受けて、真実の生命の連続の有無を結論するのである。

 前にものべたように、宇宙は即生命であるゆえに、われわれが死んだとする。死んだ生命は、ちょうど悲しみと悲しみの間に何もなかったように、よろこびと、よろこびの間に、よろこびがどこにもなかったように、眠っている間、その心がどこにもないように、死後の生命は宇宙の大生命にとけこんで、どこをさがしてもないのである。霊魂というものがあって、フワフワ飛んでいるものではない。大自然のなかに溶け込んだとしても、けっして安息しているとは限らないのである。あたかも、眠りが安息であると言いきれないのと同じである。眠っている間、安息している人もあれば、苦しい夢にうなされている人もあれば、浅い眠りになやんでいる人もあると同じである。


 この死後の大生命にとけこんだすがたは、経文に目をさらし、仏法の極意を胸に蔵するならば、自然に会得するであろう。この死後の生命が、なにかの縁にふれて、われわれの目に写る生命活動となってあらわれてくる。ちょうど、目をさましたときに、きのうの心の活動状態を、いまもまた、そのあとを追って活動するように、新しい生命は、過去の生命の業因をそのまま受けて、この世の果報として生きつづけなければならない。

 かくのごとく、寝ては起き、起きては寝るがごとく、生きては死に、死んでは生き、永遠の生命を保持している。その生と生の間の時間は、人おのおの、ことなっているのであるから、この世で夫婦・親子というのも、永久の親子・夫婦ではありえない。ただ、清浄なる真実の南無妙法蓮華経を信奉する、すなわち、日蓮大聖人の弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を信ずるもののみが、永久の親子であり、同志である大功徳を、享受しているのである。

戸田先生はよく 「われわれの生命は、死後、大宇宙に溶けこむんだ」 と言われていた。霊魂ではなく、色心不二の生命そのものが大宇宙に帰っていく。 
 大宇宙そのものが、一つの大生命です。大生命の海です。あらゆるものを育み、あらゆるものを生かし、働かせ、死せるあらゆるものを、再び、その腕に抱きとって、新たなエネルギーを与えていく。満々とたたえられた大生命海がある。その海は、常に動いている。動き、変化しながら 「生」 と 「死」 のリズムを奏でている。
 私たちの生命も、大宇宙という大海から生まれた 「波頭」 のようなものです。波が起これば 「生」、また大海と一つになれば 「死」 です。永遠に、これを繰り返していくのです。人間の生命だけではない。 

 日蓮大聖人は、「天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果・生死の二法に非ずと云うことなし」(1336P) と仰せです。
 「天地・陰陽・日月・五星」 とは、いわゆる天体の世界でしょう。星にも誕生があり、死がある。寿命がある。一つの銀河にも誕生がありい、死があり、寿命がある。生死の二法です。ミクロの世界も同様です。また地獄界から仏界という 「法界」 にも生と死がある。あるときは生の地獄界となり、あるときは死の地獄界となる。
 また大聖人が門下の南条時光のお父さんについて、「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」(1504P) と仰せのように、即身成仏の仏果は死をも超えて続く。全宇宙のありとあらゆるものが 「生死の二法」 の永遠のリズムを織り成しているのです。


 日

 


                       - おもろいはなし -                   



raberu2

   インチキ 24時間テレビ
   
 徳光の24時間マラソンのインチキ
 日テレはスタート地点を伏せていたが 理由が分かった
63キロは嘘(距離偽造で実際は40キロ程度)です ゆっくり歩いて9時間程度
かつての様に 車で移動(ビートたけし ダチョウ倶楽部がバクロ)していないと過程してです
 スタートして5時間歩くと4時間30分睡眠(TV中継一切なし)、
その後2時間ほど休みながら歩き、90分大休憩
 休憩ばかりで、とてもマラソンとは呼べません
被災地をダシにした ギャラ目的の だだのお散歩です
 ネットを中心に非難囂々(ごうごう)だったのも当然です
もし 本当に感動している人がいたら 超バカヤローです
「ヨダレ垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせに、
だいたい一般の人に募金を募りながらどうして出演者はギャラをもらい、
広告代理店はコマーシャル制作費で稼ぎ、テレビ局はスポンサー料をとるのか
  これに対し日本テレビは、「基本的にボランティアでお願いしております。しかし、
拘束時間の長い方など、場合によっては謝礼という形でいくらかのお支払をしております」
「放送倫理・番組向上機構」での回答)と説明しているが、実際にはすべての出演者に
ギャラが発生しているのは公然の事実。その総額は2億とも3億とも言われている。
  チャリティを商売に利用する とんでもない番組です 
こんな事やったら 海外では 大スキャンダルになる
 この事実を知って 感動している人がいたとしたら 言葉に表す事ができない程のバカですね
かつて司会に起用された帰国子女の西田ひかるが、「まさか出演料が出るとは思わなかった」
と、"日本式チャリティー"のやり方に唖然としたという話は今では語り草だ。

 実際、海外のチャリティーイベントで出演料が発生する話は聞かない。
アメリカで40年以上続いている超老舗チャリティー番組『レイバーデイ・テレソン』は、コメディアンの
大御所で発起人のジェリー・ルイスが毎年司会を務めているが、ギャラは1ドルも支払われない。
豪華ゲストも同様で、最近ではセリーヌ・ディオンやテルマ・ヒューストンなどの大物がノーギャラで歌っている。
 フランスでも、民放の「フランステレビジョン」がこれを真似た番組『テレソン』を、
1987年から20年以上続けているが、出演する芸能人は全員がボランティアだ。

愛は徳光を救うけど一般人は救わないのか
「障害者を見世物にするな」「またお涙頂戴か」やすっぽいお涙頂戴の偽番組
、自分たちで番組の演出上でっちあげたイベントのくせに、
なんでそれを美談のように報じる 感動の押し売りだ

 ああ もう一つ
 一人のお笑い芸人を皆でいじめるシーンがあった
大人は演技である事が分かる しかし子供への影響は大きい
 見ていた何万人の子供達の中に 必ず真似をする子が出るからだ
どれ程多くの人が苦しむことだろうか
 製作担当者や許可をした上役に 責任感やモラルを求める事は
不可能だろう 救いようの無い極悪人だからだ
 しかし 何故 あのいじめている10何人かの
芸人達の中に 意義を唱える人はいないのか
金のために やらされている感情を持たない物体にすぎないのか

ビートたけし
「24時間テレビから出演依頼がしつこく来てたんだけど全部断ってやったよ。
あんな偽善番組は大っ嫌いだ。誰がなんと言おうと俺は絶対出ない

タモリ サンマも出ない
ノーギャラで出ると言ったら 断られたそーだ


フジの27時間テレビは初期の頃
「この番組は募金番組ではありません」とかいうテロップをよく出してた
まだましだ





                       - おもろいはなし -                 
  

    





  raberu3

    ベートーベン
   ベートーベン

 第九が世界で鳴り響く事自体「精神の力は権力に勝つ」象徴だとおもいます。
 この曲は権力の圧迫の中でベートーベン「が未来の人類のために」作り上げた記念碑です
彼はナポレオンをモデルに交響曲3番シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)を作ったが
ナポレオンが皇帝に即位した時 怒りと失望のあまり、楽譜の表紙のボナパルトの文字をかき消した
ナポレオンはフランス革命の理想を裏切った、ただ権力がほしいだけの者だった

 ベートーベン45歳の時 ナポレオンが没落(1815年)
ナポレオンに頭が上がらなかったヨーロッパの貴族達は「これで俺達の時代に戻れる」と喜んだ
各国代表がウイーンに集まり ウイーン会議を開いたが、利害が対立して何も決まらなかった
決まったのは「自由主義は弾圧する」と言う事だけだった
貴族達は時代の流れが見えなかった。自分達の権力を保持することしか考えていなかった

 こうして復古調の「ウイーン体制」時代が始まり、自由主義 協和主義への検問、監視、が強まった
ベートーベンは自由主義 協和主義であった。威張る貴族や、腐った坊主が大嫌いだった
ベートーベンは ある貴族に「あなたが貴族であるのは、たまたまそう生まれた偶然にすぎません」
「それに引き換え私は、自分で自分を築きました。貴族は何千人もいます、しかし
ベートーベンはただ一人です」「私にとっては精神の王国のほうが大切であり、それはあらゆる
宗教的世俗的君主国の上にそびえるものであります」と言い切っている。

 ベートーベンは政治的にも危険人物であり、宗教的にも教会を批判して、目をつけられていた
従来のキリスト教の在り方を疑い、カントの思想、インドの思想等を勉強していた

 48歳の時、自由を側圧する事件が起きた
テロの秘密結社が発見された。その結社は青年を使い 暗殺をやっていた。
 キッカケを待っていた権力者はこのチャンスを見逃さず、当時の首相は絶好の機会と喜び、
「テロを取り締まる」と言う名目で、出版、言論、思想、自由、すべて粉砕しようとした。
新しい法令を出し、自由の弾圧を始めた。
 大学に管理管を置き、自由主義者は弾圧され、郵便物までチェックされた。
民間人のプライバシーの領域まで監視の目があった。ヒットラーの時代と比較される抑圧時代だった。

 ベートーベンは怒った。彼の周囲にはいつもスパイが見張っていた。
そういうなかで彼は「半身不随の政治」とののしった・官憲の権力乱用、従順な官民しか
みとめない政府。上層階級の堕落、これらを批判した。
 彼は「我々の時代は力強い精神の持ち主達を必要としている。力強い精神の持ち主は小ざかしく、
(こうかつ)で卑劣なこうした悪党どもを、人間の魂によって弾徴するのだ」と言う

 彼はあらゆろ国家の廃絶まで考えた。
「芸術家は政治のことなど考えるな」と言われたが、民衆を捨てる事ができなかった。
「少年時代から、他人のために働くことの出来ることは、私の最大の幸福であり、満足です」
「少年時代から、苦しんでいるかわいそうな人々に奉仕しようと言うわたしの熱意は少しも弱まっては
いません」「僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために、ささげられなければならない」
 ベートーベンは慈悲の、民衆への奉仕の精神を持った革命家であった。

 「国家が憲法をもたなければならぬがごとく、個々人は自分自身の規範を持たなければならない」
自由に熱狂した青年時代から30年以上、今自由は窒息されようとしている。
彼は今こそ、この歌を作曲すべき時だ、と決めていた。
 「権力の圧力など一時の陰だ。私は未来の人類のために精神の凱歌を作ろう。」
 圧迫の中、体の至る所が病気で、可愛がった甥の非行に苦しみ、歓喜など何処にもない境遇であった
シラーの詩に「奇しき歌の力の支配する限り、あらゆる苦悩の壁は消え去る」とあった。
更にシラーは「権力者に焼き捨てられるような詩を書こう」といっいる。
 ベートーベンは感動し、胸中から歓喜を取り出した。

もともとシラーの詩は「歓喜の歌」でなく「自由の歌」であった。
自由主義を恐れる官憲の目を欺くため歓喜と言い換えた。
民衆の歌であり、古いものとの戦いの歌だった。
歓喜は 勇気を呼び覚ます力です
歓喜は 苦悩を突き抜ける力です
歓喜は 生命を蘇生させる力です
歓喜は 共感の調べを奏でる力です

 初演の演奏会には皇帝は来ませんでした。演奏会を開くにも官憲の嫌がらせがあった。
虻が刺したくらいでは 疾駆している馬はを止める¥られはしない」
 「私にとって一番苦しいことは、活動を完全に停止されている事だ」
 「一個の英雄であるより10倍も大きくあること、すなわち一個に真の人間たる事だ」
 「人間が人間に対し卑屈になる。僕はそれが苦痛なんだ」
 彼のモットーは「一行なりといえども書かざる日なし」
 「多くの人々に幸せを与えること以上に崇高ですばらしいものはない」
 死の数ヶ月前、肺炎を起こし、病魔と戦いながら「さらに2.3の大作を世の送って、
我が地上の生涯を閉じたいと願っています」と
 
 3年後ベートーベンが死んだ時も、官憲か危険思想の本として5冊持っていった。
しかし民衆は誰が本当の勝利者か知っていた。ベートーベンの死が町に伝わると、
誰が呼びかけなくとも、1万2万3万と集まり「皇帝」が亡くなったような騒ぎになった
 学校も休校になり前代未聞の葬儀となった。
 貴族等は参加しない、民衆の葬儀だった




                       - おもろいはなし -                 
  




 raberu4

   
   

○秘情報

 カーエアコンの修理等で、ある修理工場で見積もりを取り、
その見積もり書を当社に示し、「お宅の工場では、いくらで出来ますか」
との問い合わせがよくあります。
 何箇所かで、見積もりをしてもらい、一番安い所で修理をしてもらう
と言うごく普通のやり方です。
 取り替える部品は純正部品だと、何処の工場でも同じ価格です
すなわち、工賃の違いで安い、高いの差がつくのです。
 もう一つ、余計な部品を取り替えるか否かで安い、高いの差がつくのです。
これは熟練した修理工でなければ、判断できないところです。
 自社工場では直す事が出来ない場合、他の工場で直しますが、
普通その工場ではピンハネして、工賃に上乗せしてきます。

 ある、カーセンターでは、自社工場がないため、ディラーに出します。
しかしエアコン等の電装修理はディラーでは直せないのが殆どです。
そのため今度はディラーから電装専門店に出します。
 すなわち、2箇所でピンハネされて、ユーザーに請求されます。もちろん
日数もかかります
 一般ユーザーはたいてい、修理工場やガスリンスタンドやカーセンターに修理を依頼します、
もちろん良心的にピンハネしない所もあるでしょうが、さあ、どうでしょうか。
 やはり直接、電気の故障は電装店に エンジンの故障は修理工場に
事故したら 板金工場に持ち込むのが一番です

「ディラーは少し高いが、やはり大手のメーカーだし、安心だ」なんて考えている方に一言。
 たとえば、ディーラーの工場をのぞいてみると分かりますが、修理工が若すぎます。
 かっこいいお兄ちゃんが目当てならそれでもいいでしょうが、間違いなく技術は未熟です
 技術力が無い修理工は悪い箇所が特定出来ず、その周辺の悪くない部品まで
取替えてしまう傾向があります。高いのは当然です。
 何故ディラーの工場にベテランがいないのか、
その一つの理由は、ベテランになると、給料が上がります。それを抑えるため、
安い給料の若手を入れるのです 
 ベテランになると 他の部署に配置替えさせられるのです、たとえば営業とかにです、
慣れない 仕事が合わない人は退社します 結果が出れば 営業に残ります
 又、町の修理工場の跡取り等は、修行のために技術をみがくためにディラーで働き、
技術を習得したころ自分の工場に戻るのです。
 その他にも理由があります、
結局、ディラーは車を売るのがメインで、修理はその後の付属でしかないのでしょうか。
 私がこう決め付けると、私の工場にはディラーからの仕事は、こなくなるでしょう
 
 それに比べ、町の小さな修理工場の、少し頭のはげた、口の悪い親父は、
多くの車種の様々な故障を直した大ベテランです
 安い一日車検の車検代行店と比べたりするから、高いと思う人が多いようですが、
その技術力からすると、おおむね安いと言い切れます。
 又、小回りが利く、直ぐ来る、ある程度の無理が通る、いつでも修理工と直接話しが出来る、
等便利です。又、さすがと感心する事もしばしばあります
 異音、車種の特徴、走行キロ等で、故障箇所を特定したり、ドライバーの性格等で 
次に起こる故障を予測します
 町の修理工場で、儲けてビルを建てたなどと言う話は最近 聞いた事ありません
あくまで彼らは職人で、商人ではありません。

 板金工場の場合は、その技術力はもっとはっきりしています
簡単に直すのは安いのですが、当然仕上がりは悪いのです
丁寧で高いのが普通です 簡単で高い所もあるでしょう。
丁寧で安い所があるとしたら、何かがあるのです
趣味でやってたり、


 先日 エルグランドのナビを修理を頼まれました
 だだメニュー操作ができない時があるだけなのです
メイン基盤の交換で直ります しかし
部品の供給がないので ディーラーにお願いしました
 何と 16万 ? ゲゲゲ これ新品より高くねえ
 見積り料金5千なんぼか払って 引き上げました
正式な見積り書を付けないで 何処をどう直すか 不明のまま
ぼったぐりのお手本みたい お客様は絶対日産車を買わない事を宣言しました





                       - おもろいはなし -                 
  




 raberu5

   
     親父の寝言    6
  ボランティアについて
ボランティアで 活動している人達に 大感謝しなければいけないと思います

何年か前 ボランティアで 活動中 拘束された 日本人女性 と男性がいたっけ
秘密の取引で 釈放されたっけ
良かった良かった 本当に?????????
やっと救い出したのに 活動を続けたい   なんて言うから
あの時の小泉首相に 冬山でやっと救助したのに また行くとは
とか言われていた

結論を急ごう
一人ボランティア  特にあのような危険な所でやるのは
単なる自己満足  わたしはやっていますと言わんばかりのただの宣伝です
成果などあまりにも小さくて 問題外です

成果を上げるには 組織に入ら無ければなりません
資金を集める係り
現地の情報を掌握する係り
必要は物資を集める係り
輸送する係り
現地で配る係り
等です 組織が大きければ 大きい程 成果は大きいのです

自分の金で 自分が創造した物資を 自分で買い集め
一人でザック詰め込んで 自分が行きたい所に出かけて行く
ザックの中の半分以上は 自分のものですよ
こう言う人は 陰険です もしくは本当の馬鹿です
捕まったって 助ける必要などない 

NGO、ユニセフ等の組織の中で 他人とコミニケーションをとりながら
いやな事でも また 日の当たらない事でも 進んでやっている人達に 申し訳ない

木を植えるボランティアに昔 参加した事がある人が言ってた
苗木を用意する人 運ぶ人 穴を掘る人 水をやる人 昼飯を用意する人
その後 管理する人 
地元からの感謝の言葉を伝える責任者
数年後 その場所を訪れた 感激した

日本テレビのインチキチャリティーについて





                       - おもろいはなし -                   







  raberu6

   
   九識(くしき)論 

   先ずビクトルユゴーの言葉を引用したい 
        中略・・・ 空よりも大きな眺めがある それは魂の内部である
   又 アレキンスカレル(生理学者)ノーベル賞受賞) の言葉を引用したい
        中略・・・我々の内部世界は茫漠たる未踏の地である

   これから その未踏の地へご案内しようと思います 

 生命活動は、五識(眼・耳・鼻・舌・身体)と六識(意識)の働きで営まれています。
五識とは 見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるの五感を意味します。

第六識は意識の事で、五識からの情報に反応し、推量して働く理性「知る心」「判断する心」で、
    左脳中心の私たちの表層意識
    行動と状態には個々差異が生じます  第六感 等言いますね

第七識は末那識(まなしき)末那(manas)とは「思量するもの」意味で{思量識」とも言う「自我意識」のこと
    六識の発生場所を第七識として定義 おもに左脳を管理していて、
    一般的に言われている「潜在意識」に該当するものです。
    意識のデータバンクとも言われていて、この領域を支配しているので虚空蔵とも言います
    もともと潜在意識はオーストリアの精神分析の創始者であるフロイトが解明したものです。
    だから第七識まではフロイトの学説でおおむね説明できます(夢判断)等で有名です、
               ・・・後日又

第八識の阿頼耶識 「宿業」「貯蔵する」のことです「激しい川の流れ」に例えられるほどの巨大な力です
     第八識になるとフロイトの説明を超えてしまうのです
    ユング(スイスの精神医学者)の「集合無意識」普遍的無意識は第八識の一部分を解明したと言えます
         
    違った個性、認識の相違 右脳と通じているようです
    善業と悪業に分類 善業の顕在化は慈悲や知恵として働き「楽」の境涯をもたらす「善因楽果」
    悪業は、三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)などの煩悩となって「苦」の境涯を引き起こします「悪因苦果」
        
    もう少しご説明します
      ユングの「集合的無意識」。
      これは、私たちの無意識の深層に存在するもので共有していると言うのです、
      国や民族を超えて人類全体に共通して存在するものだと考えられています。
      今 この理論を実証するため 様々な実験が行われています
       そして 理論ではなく 現実になりつつあります
            
      これを人間の持つ情報機関である五感以外に退化した 隠れた感覚器官あるのではないか
      と言う実験です
      遠隔感応(テレパシー)予知能力 透視能力等です どの実験も その存在が明らかになっています
            
      別に地球意識の有無の実験等でも(ロジャーネルソン地球的意識プロジェクト)
      科学では説明不能な結果がでています
      その不可思議な結果を無理に倫理的に説明しようとする学者もいますが 我々にはチンプン
      結果を受け入れるしかないのです
      九識(くしき)論からすると第七識 第八識の一部が明らかになりつつある と思われます
      九識(くしき)論は地球レベルを超え宇宙にまで広がるのです
           
      例 簡単な実験
      誰でも 人の視線を感じる事があります それを実験した科学者(多数)がいます
      その人を強くを思い 背中に視線を送ると 確率は50パ-セントを超えるのです
      何度繰り返してもです 同じように実験の結果 透視能力も予知能力もあるのです 
      人の脳と脳はつながっているのです 影響を及ぼし続けているのです
      思考が空間を伝わる
      科学的に説明がつかないのです その通信手段がメカニズムが現在の科学では
      ありえないのです
      (だからといってインチキ霊能者や預言者にだまされないで)
          
      分かり易い一例を
      イワシの群れは見事です(その他多くの群れを成す魚 鳥 動物もいます) 
      集団が大きな生き物のように一斉に泳ぐのです
      イワシの群れは指揮官も司令官もいません
      では何故 集団が一つのように動くのでしょうか
      多くの学者の研究で様々な仮説を立てて説明していますが
      決定的な説はありません 今だ謎が多いのです

      すべてのイワシが同時に情報をやりとりし、コミュニケーションを取り、
      瞬時に決断を下しているのです
      意識が一つになっているのです
      これは 集団の場(フィールド)は意識を共有し まとめようとする力です
      形態形成場とも言われています

      集団’(フィールド)では 理想への方向性を示します
      人類と言う集団も同じではないでしょうか
 

 人類も同一の方向に動いている(イワシと同じ??)・・・・私の話は勝手に広がるので あしからず 
      西洋哲学の起源はギリシャにあるとされているが、仏教 ギリシャ哲学とも「自我」「存在」「生命」
      に関して共通の関心を持っています
      ソクラテスの「汝自身を知れ」は釈迦の「汝自身を省み訪ねるが良い」と同じ意味です

      仏教 キリスト教が発展した要因に共通する3点をあげます
      〇原始的宗教の呪術的迷信を打破しようとした
      〇既成宗教の祭祀体系を否定した、これは バラモンとパリサイ人を盲人に譬え
       その否定の仕方まで同じです
      〇民族的に偏狭な観念を克服した、仏教は四姓平等を説き、イエスもユダの民族主義を乗り越えました

      もし 直接的なつながりが無いとしても 本当に深く人間生命を探求していけば、角度は違っても
      やがて、同一の方向に到達すると言う事が 考えられないでしょうか(イワシと同じ??)
      仏教にしてもキリスト教にしても 世界宗教に発展した理由に、普遍的な心理を含むものがあり、
      人間の捉え方にしても、事物の本質の掘り下げ方にしても、万人が納得いくものがあった、と言えます
      もし 人類文明にこの二つの宗教が無かったら、人間の知恵はいかにも底の浅いものに
      なっていただろうと思います

      イギリスではオリゲネースがユゼキエル書註解において
      「それ(キリスト教)への傾向をもっていた」と記されていたと書かれています
      中国の孔子の存在も(仏教へのつながりは無いが)仏教への傾向をもっていた事は確かです
      儒教の「仁愛」「大同」墨子の「兼愛」「非攻」又道教等もです(イワシと同じ??)

      この意識の共有はイワシに限らず すべて(宇宙にも 島宇宙)に当てはめられます
      が まだまだ分からない事だらけです
      しかし 一瞬で離れた相手にどのような手段で??
 
      ありのままを受け入れるしかないのです
      明らかに人間にはない感覚器官があるように思われます

      有力な結論を申し上げます
      イワシの脳と脳はつながっているのです
      すなわち群れは一つの意思を共有して動くのです
     
      私の勝手な話
      ソクラテス イエス 釈迦 人類が切望したから出現したのではないか
      ヤスパース(ドイツの哲学者)が 同じような事をいっています
      引用が長くなるので カットしますが
      世界大戦 未曾有の殺戮 何を切望し死んでいったのか 
      人類共通の一つの意思(集団的意識)(地球意識)
      それは 悲惨と言う言葉をこの世から削除する事ではないでしょうか
      そして 人類が切望する その方向へ向かっていると信じたいのです



     さてさて 人類の生命科学は 心理学者は 3000年の時を経て この第八識の入り口までやっとたどり着いたのです
     以下の第九識は フロイトやユングが創造さえできなかった未知の領域なのです
     仏教で明かされる宇宙の姿は 十方(四方八方に上下)に広がる小千世界 中千世界 大千世界は
     現在の天文学と基本は同じで(太陽系 銀河系 島宇宙) 創造される星の数は 現在の天文学を超えているのです 倶舎論等にもあります
                                 
     私の勝手な話              
     華厳経等の研究に没頭する学者先生の著書をチラ見しました
     その壮大な宇宙観 一生かかっても研究し尽くす事はないでしょう
     何経に限らず 迷路に迷い込むのではないでしょうか
     西洋哲学 神学 論語等とは 比べものにならないほ程 奥が深いからです
     学ぶなら 迷路に迷わない羅針盤を手に入れてからにしましょう
                                 
     昔 ある学生が超大な仏教書の中から 超難しい書を学ぶと言うのです            
     やる気満々の学生に対しては説得力がありませんでした


第九識は阿摩羅識(あまらしき)といい。意訳すると根本淨識(こんぽんじょうしき)とあります、
         この第九識が一番大事なのですが説明が容易ではないのです 
         宇宙の根本の法則とでも言えます、
         清浄そのものの、何ものにも汚されない法則、生命そのもので「九識心王真如の都」と言います
         「無量義(森羅万象)は一法より生ず」の究極の一法で 妙法とも言います 
         理(理論)の一念三千に対して事(事実)の一念三千です   十界論の最後の仏界の命です
 
            ここは 我見 偏見を交えず・・・・後日に続く  

 







  九識(くしき)論 簡単過ぎますかね

  ちょっと待って  難しい専門用語を羅列するのは簡単なんですが
  分かり易くとなると 難しい 本意を逸脱する恐れがあるんですね
 
又 宗派により 解釈の相違があります 又 どの(教)から いつの時代の誰の(釈)(論)で 
研究者の説が違ってきます それらを調べつくす事は不可能だと思われます
それらを議論していたら はてしない議論で終わる気がします





    十 界 論         



                       - おもろいはなし -                   

raberu7

   幸福の科学、豆知識
   精神の不安定化
エル・カンターレを信仰し仏法真理に従って実践しないと
地獄へ堕ちると言って精神の不安定化をしている。
法外な金銭的要求
本尊300万円,植福菩薩1000万円など、法外な金銭要求をしている
住み慣れた生活環境からの断絶
子供の囲い込み
全寮制の幸福の科学学園で行っている可能性がある。
反社会的な言説
北朝鮮に対してミサイルで先制攻撃をするべきだ。
多少の放射能は、体に良い。
エル・カンターレ・ファイトやエル・
カンターレ・ヒーリングで病気が治る。など。

指導者に対する崇拝
聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美
大川隆法氏をエル・カンターレや再誕した仏陀として
信仰し崇拝されている
指導者の無謬(むびゅう)性
指導者は絶対に間違いを犯さないという確信
大川隆法氏の説く仏法真理に間違いは無いと信じられている。
過去には、すでに既婚している男性に対して離婚させてまで
大川隆法氏が決めた相手と結婚させるということがあった。
指導者の知識の広さ
哲学的な事柄から日常の些細なことまで、
指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受け入れる。
大川隆法氏の著書は700冊を超えており、
知識は広い。幸福の科学の職員や会員は、
大川隆法氏の説く仏法真理を無条件に受け入れるように
教え込まれている。
説得のテクニック
新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、
寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。
一般人に対して「伝道」が日常的に行われている。
一度、個人情報が知られると、自宅に訪れるなど
してしつこく勧誘される。映画などにより、
幸福の科学の教えを広めようとしている。
秘密の計画
信仰の真の目的と計画が曖昧としている、
あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に
提示されていない。
会員や信者から多額のお布施が集められているが、
何に使われているかは不明
欺瞞
入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の
中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、
また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、
あるいは状況は隠蔽されている。
実態は不明
金融面および性的な利用
入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を
差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との
性的関係が許されている。
大川隆法氏は、前妻であるきょう子氏と既婚中に職員の女性と
性的な関係があった可能性がある。教祖のお気に入りの女性職員は、
高い役職に就き高額給与が支払われている。
絶対的な真理
さまざまなテーマにおいて、指導者、
あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。
大川隆法氏の著書に書かれていることは、
科学的な事実と合わなくても絶対的な真理とされている。
絶対的な道徳観
指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず
等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。
その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、
そうでない者は破門されるか罰せられる。
大川隆法氏の意に沿わない職員の転属や還俗がよくある。


                       - おもろいはなし -                   
raberu8

   極楽浄土へ行きましょう
  面白くてコピペしました

極楽浄土はどんな世界かといいますと、
まず土地は「七宝」といって、金、銀、瑠璃(青い宝石)、水晶、
白いつやのある貝、赤い真珠、めのうなどでできています。
そして宝の池があります。
池の四方には水の中から岸に向かって、
金、銀、瑠璃、水晶でできた階段があって、
岸の上には、七宝でできた御殿が建っています。
仏教を聞く道場や講堂もあり、
やはり七宝でできています。
そして宝の樹木がたくさん生えています。
極楽浄土の宝の樹木
極楽浄土の宝の樹木は、やはり七宝でできていて、
金の樹木や、銀の樹木、瑠璃の樹木、水晶の樹木、つややかな白い貝の樹木、
赤い真珠の樹木、めのうの樹木や、
それらの組み合わせでできている樹木もあります。
それらにはやはり七宝の葉がしげり、宝の実がなります。
それらの宝の樹が並木となって、至るところに
「羅網」という宝石であまれたきれいな網がかかっています。
それらが極楽の至るところをめぐったり囲まれたりしています。
極楽浄土の美しい音楽
極楽浄土では、どこからともなくすぐれた音楽が聞こえます。
そよそよと風が吹いていて、
宝石で編まれた網や宝の並木を動かすと、
妙なる音が聞こえます。
それは、百千の音楽を同時に聞いたようなすばらしさです。
その音を聞くと、みな仏と法と僧の三宝のご恩を念ぜずにおれないのです。
極楽浄土の宝の池
極楽浄土にある宝の池を「七宝の池」といいます。
池の底には砂金や、その他の宝の砂が敷かれ、
「八功徳水」という、八つの功徳のある水が満ちています。
「八つの功徳」とは、『観無量寿経』の解説書である『定善義』によれば、
きよらかでつやがあり、塩素などの匂いがなく、
軽くて、冷たくて、軟らかく、美味しく、後味のよい究極の水です。
池の水面には、車輪くらい大きな蓮華の花が咲いています。
青い花は青く輝き、黄色の花は黄色く輝き、
赤い花は赤く輝き、白い花は白く輝き、
美しく、香り高く咲き誇っています。
極楽浄土の蓮華の秘密
極楽浄土には至るところに宝の蓮華の花が咲いています。
一つ一つの蓮華の花には、百千億の花びらがあり、
白や黒はもちろん、黄色や朱色、紫など、
限りない色の輝きを放っています。
その一つ一つの宝の蓮華の花は、三十六百千億の光を放っています。
その一つ一つの光から、三十六百千億の紫金の仏さまが現れます。
その一仏一仏が、それぞれ百千の光明を放って、
大宇宙の限りない人々のために、
妙なる法を説きに行かれます。
それが、大日如来や薬師如来、
地球の私たちのもとに来られたのは、
お釈迦さまです。
極楽浄土ではどんな生活をするの?
極楽に生まれた人も
極楽浄土のありさまと同じく、
言葉で言い表せない人間の想像を超えた姿で
「自然虚無(じねんきょむ)の身」を受けていると
説かれていますが、お釈迦さまは、
少しでも私たちに分かるように教えられています。
それによれば、極楽浄土に生まれた人は、
みなまったく差別なく競争もなく、姿形も違いはありません。
清らかな身体で、智慧が高く明らかで、神通力もえられます。
端正な顔立ちは、人間界最高の美男美女どころか、
その何億倍も美しい天人や天女さえもはるかに超え、
さらにその百千万億倍の美しさです。
そして美しい服を来て宮殿に住み、
美味しい食べ物を食べています。
極楽浄土の朝
朝が来ると、極楽にいつも花吹雪のように空から降っている
白蓮華の花びらを入れ物に入れて
大宇宙の十万億の仏方にお供えしに行きます。
(他にも好きなものを何でもお供えできます)
そして、どこからともなく流れる美しい音楽に合わせて
仏の徳をほめたたえたり、仏の教えを聞いて、
限りない喜びを感じます。
極楽浄土の食事
食事の時間には戻ってきて、食事をしようと思うと、
面倒な食事準備はしなくても、自然に目の前に七宝の食器が現れて、
「百味の飲食(ひゃくみのおんじき)」が満たされます。
ところが実際に食べる人はなく、
それを見たり、かぐわしい香りを味わったりすると
食べる前にすっかりお腹いっぱいになります。
すると食事は、手間のかかる食事片付けはしなくても、
ひとりでに消えてしまい、極楽浄土を散歩しにいきます。
極楽浄土で仏教を聞ける
阿弥陀仏が極楽浄土の講堂で、妙なる法を説法なされるときには、
みんな集まって聴聞し、心に喜びとさとりを生じない人はありません。
どこからともなく風が吹いて、宝の樹木がそよいで、
ファンファーレのように美しい音楽をかなで、
美しい花吹雪が限りなく散り乱れます。
そうでなくても極楽浄土には、
鶴やクジャク、オウム、かりょうびんがなどの鳥がいて、
いつも仏法を説いています。
もちろん極楽浄土には、地獄、餓鬼、畜生はないので、
これらの鳥は、過去世の悪業の報いで畜生界に生まれたものではなく、
法を説くために生まれたものです。
極楽浄土に生まれた人は、これらの鳥の声によっても仏法を聞くことができ、
仏法僧の三宝のご恩を念ぜずにおれないのです。
苦しむ人を助けることができる
そして「恩を知るは大悲の本なり」と説かれるように、
極楽浄土に生まれた人は、
大慈悲の心がありますから、まだ苦しみ悩む人がいるのに、
「自分だけ助かったからもういいや」とは思えません。
いつでも好きなときに、苦しみ悩みの穢土に戻ってきて、
仏教を説いて、縁のある人から救うことができます。
それがまた、極楽に往って仏に生まれた人の喜びなのです。
このような極楽浄土や、浄土に生まれた人の様子は、
あまりに素晴らしすぎて、お釈迦さまの大雄弁をもってしても、
「百千万劫かけても説き尽くすことはできない」
と言われています。
では、この極楽浄土にどうすれば生まれられるのでしょうか?
お釈迦さまは、
「極楽浄土は非常に往き易いが、往っている人が少ない」
と説かれています。
どうしたら極楽に行けるのか
お釈迦さまが往っている人が少ないと説かれるように、
極楽浄土へは、死にさえすれば誰でも往けるのではありません。
修行や学問で行ける世界でもありません。
極楽浄土への行き方は2通りあります。
1つは、以下の3つの条件を満たすことです。
1.一日数万回念仏を称える
2.臨終に心を乱さない
3.臨終に阿弥陀仏にお迎えに来て頂く
しかしながらこの3つの条件は、毎日数万回念仏を称えることは
実際には非常に難しいことですし、
臨終に心が乱れたり、阿弥陀仏にお迎えに来て頂けなければ、
因果の道理にしたがって火車来現して次の世界に沈むので、
死ぬまで極楽に往けるかどうか分からず、
死ぬまで不安はなくなりません。
もう一つは、仏教を聞いて、生きている元気なときに
六道輪廻の根本原因を絶ちきられることです。
それは煩悩ではないので、それさえ絶ちきられれば、
煩悩あるがままで、いつ死んでも極楽往き間違いなしの身になります。
ですから生きているときに仏教を聞くだけで
極楽浄土には簡単に往けるのに、
みんなそれをしないので、
お釈迦さまは、「極楽浄土には往き易くして人なし」
と説かれているのです。
では、煩悩ではない迷いの根本原因とは何かについては、
分かりやすいように以下のメール講座と、小冊子にまとめてあります。
ぜひこれを知って、極楽浄土へ往ける身になりましょう

だって・・・・・(笑)(笑)(笑))。






鎌倉時代、地震や飢饉・悪疫で多くの人々が亡くなる惨状を見て
親鸞は「驚くことではありません」と言った
「今生では幸せになれなけれど、死してのち、西方浄土で幸せになれる」
と、ふざけた事を言うのです
親鸞の経典に「希望」と言う文字はない

「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」・・嘘つき
阿弥陀如来は無量・無礙の光であり、形がない仏だ・・大嘘

法然の門弟たちが後鳥羽上皇の寵愛する女官たちと密通したうえ、
上皇の留守中に彼女たちが出家してしまったため
親鸞は流罪です、女性問題か、有罪じゃん

最期は妻にも子供にも見捨てられ
我が子の善鸞を勘当しました、地獄じゃん

『歎異抄』では、弟子の唯円が親鸞に
「浄土というのは、死んでから行くことのできる安楽ないいところだと聞きますが。
しかし、私はちっとも浄土へ行きたいと思わない。どうしてでしょうか」と質問した。
すると、親鸞は「実は俺もそうなんだ」
更に
「どんなに念仏を唱えても歓喜がない」と弟子に言われると、
「実はおれもそうなんだ」と、また開き直る、(歎異抄)






                       - おもろいはなし -            

raberu9

   幼児教育について
  一生に一度しかない、幼児期の教育環境と幼児教育の方向性とは?
人間形成の基礎が培われる重要な時期が「幼児期」
幼児期に多くの経験を積んで人生が豊かになる
一生に一度しかない「幼児期」に、人間形成の基礎は培われます。つまり、幼児期に適切な教育を受けることによって、人間として生きていくうえで重要な基礎を手に入れられるのです。

幼児教育も兼ねた託児サービスの資料請求はこちら

人生を豊かにするには幼児期の教育が重要
幼児期は、基本的な生活習慣や、意欲、態度など一生に渡る人間形成の基礎を培う、とても重要な時期です。子どもというのは、遊びや日常生活で毎日さまざまな体験をしており、その体験を通して知的かつ情緒的に発達をしていきます。また、人間として一生をよりよく豊かに生きていくための基礎を身につけます。

幼児期にたくさんの経験をさせることが重要
幼児期は常に成長している時期なので、この大切な時期にさまざまな経験をしておく必要があります。たくさんの経験を積み重ねた子どもは、将来的に人間としてよりよい生活、充実した生活を送れるようになります。親は幼児教育の重要性をしっかりと把握して、子どもに関心を示す必要があるでしょう。

地域社会や家庭環境で幼児期の教育環境が変わる
幼児期とは、小学校に入る前の子どものことをいいます。一般的に、小学校に入る前の子どもが生活している場所で行われる教育全般のことを「幼児教育」と呼んでいます。

幼稚園、保育園、家庭、地域社会など、幼児が生活している場所は1つではありません。これらの場所でバランスよく子どもがさまざまな体験をすることにより、豊かな教育と健やかな成長が手に入ります。では、それぞれの場所で、どのような体験ができるのか、教育環境による子どもへの影響をご紹介します。

地域社会で自然やたくさんの人と交流して学ぶ
地域社会での教育とは、たくさんの人と交流をする、自然と触れ合う、家族以外の人と新しい関係を築くなど、家庭や幼稚園では体験できないことを行う場所です。

家庭で愛情などを通して基礎を作る
家庭というのは子どもにとって、成長中の基礎を作る場所です。親からの愛情、しつけなどにより、子どもの心身の基礎を形成できます。これは家庭内で、親だからこそできる子どもへの教育です。

幼稚園や保育園で集団活動を覚える
幼稚園や保育園というのは、家庭とは異なり「集団活動」をする場所です。家庭では体験できないような、文化や習慣、社会や自然などに子どもが触れる機会が、幼稚園や保育園です。幼児期にしか体験できない豊かなものが手に入る場所です。

日本の幼児教育の課題は認知度が低いこと!海外との違いは明らか
海外と日本の幼児教育の違い
生活習慣、意欲、態度などの基礎を養い、子どもに創造力を身につけてあげられるのが幼児教育です。

日本ではまだまだ幼児教育の重要度が広く認知されていないことが課題であり、その点で海外と大きく意識が異なっています。

海外では幼児教育に対して意識が高い国が多い
日本も加入する「OECD(経済協力開発機構)」に加入している国々を見てみると、幼児教育への意識が高まっている国が多くなっています。

日本の幼児教育とは異なり、「自分の意見を主張する」「自分の考えをまとめる」などの能力を、意識的に高めるような教育に力を注いでいる国も多いです。幼児教育の重要性に早くから気づいている国がたくさんあります。

日本の幼児教育は基本的に幼稚園や保育園で済ませることが多い
一方、日本では多くの子どもは、幼稚園や保育園に通って幼児教育を受けています。そんな親達のなかには、教育は小学校に入ってからすればいいと考える人もたくさんいます。幼稚園や保育園だけではなく、そのほかにも体験するべきことがたくさんあるのに、そのきっかけを子どもに与えていないケースが多いのも現実です。

ただ、これまでお話したように、幼児教育というのは、一生に渡ってついて回る「人格形成」の基礎を得る時期でもありますので、とても重要です。

最近では子どもの人格形成の基礎を培うようなメソッドを取り入れている教育の場も増えてきているので、そういった場所で幼児教育を受けるのも効果的です。

まだ幼児教育の優先度が低い日本では、親が幼児教育を受けられるようにサポートしてあげる必要があります。子どもの豊かな人格形成の基礎を培うためにも、親ができることを見つけ出して、子どもに与えてあげましょう。

効率よく脳を成長させられる幼児教育は小学校や中学校の受験にも役立つ
人間は、生後4ヶ月くらいから脳細胞がどんどん増え続けていきます。この時期に教育を受けさせることが重要なポイントです。6歳になると「リンクスワン」という物質により、脳細胞の成長が止まることが分かっています。

リンクスワンが分泌されるまでの間に、基礎となる幼児教育を受けさせると、子どもの将来によい影響を与えられます。目先にある小学校の受験だけではなく、その後待っている中学校受験や高校受験などにも、よい影響が出てくるでしょう。

実際に、小学校や中学校の受験をする場合、幼児教育を受けられる「教室」に通いながら効率的に脳を成長させるのが基本という風潮があります。

なかには、あまり過度な幼児教育は子どものためにならないという声もありますが、文部科学省でも幼児教育が教育改革の優先事項として挙げられています。[注1]

今こそ、幼児教育を知り、多くの場所で子どもがよりよい教育を受けられる社会を作るべきときです。

[注1]文部科学省:第1章 子どもを取り巻く環境の変化を踏まえた今後の幼児教育の方向性

親が幼児教育を知り子どもに教育の場を与えてともに成長していくことが大切
子どもの人格形成の基礎を培うために、幼児教育が重要な役割を担っていることがわかりました。親は子どもが幼児教育を受けられる環境を整え、さまざまな体験を地域、家庭、幼稚園や保育園でさせてあげましょう。そうすることで、子どもはよりよい社会生活を送ることができる人間に成長します。親も幼児教育について学び、ぜひ子どもと一緒に成長していってください。
 




raberu10

   座禅
  日本では古くから禅宗等で行われる座禅等の瞑想体験が
流行だそうですが・・・危険です

宗教も歴史も教義も何も知らない無智無学での実践は
エセ聖職者の都合の良い、猿回しのサルになります

菩提達磨[ぼだいだるま]が祖で
ダルマがその象徴です
九年間、座禅を行ったことによって
手足が腐ってしまったといいます・・これが模範ですよ
手足のない不気味な、は縁起の悪い置物ですが
エセ宗教は金儲けのためなら何でも利用します

他力本願を否定し、自力での成仏を目指すという事ですか
禅の悟りは、一人よがりに過ぎないものです。

禅は「不立文字」で、悟りの境地は言葉では表現できないとしています。
弟子が悟ったかどうかを決めるのは、師僧の主観です。客観性ゼロです。

つまり、師僧が悟りの境地を少しでも誤解していたなら、
間違った悟りが代々伝わっていくことになります。

そして、それを修正する方法は存在しないのです。

そもそも、禅の始祖は達磨とされますが、
達磨が正しい悟りを開いたことを、誰が証明できるのでしょうか?

達磨の悟りが偽りであれば、歴代禅師の悟りも、
全て偽りだったことになります。

あなたがまだ悟りを開いていないのであれば、
当然、達磨が悟っていたかどうかは判定できないはずです。

「私には悟りの境地がどのようなものかまだ分からない。
しかし達磨が悟っていたことはわかる」

…これは、完全な自己矛盾

あなたが悟りを開いていると思っていても、
それが正しい悟りなのか、偽りなのか、誰にも分らないのです。
したがってやはり、達磨が正しく悟ったかどうかを判定することはできません。

「私は正しい悟りを開いている。なぜなら達磨の弟子だからである。
だから達磨は正しく悟っている」


・・・・(笑)(笑) 


                       - おもろいはなし -                   


raberu11

   龍樹
 

龍樹

 龍樹は西暦150~250年頃の人で、ナーガールジュナ(Nagarjuna)といいます。デカン高原のクリシュナ川流域にナーガルジュナコンダ Nagarjunakonda(ナーガルジュナサーガル Nagarjuna Sagar)という地名があり、そこに有名な仏教遺跡がありますが、そこの出身ともいわれます。(筆者による旅行記あり
 インドのバラモン(婆羅門)の学問をすべて習得したのち仏教に転向して、当時の上座部仏教と初期大乗仏教とを学んで大乗仏教に傾倒し、あまたの諸経典に通暁し、初期般若経典の空をもって大乗仏教の地位を確立した大論師です。

龍樹出現の意義

 龍樹の功績はなんといっても、大乗仏教を体系づけ、理論武装して伝統的な部派仏教(小乗)に比肩するに値するものとならしめたことにあります。龍樹の出現がなければ、大乗仏教はただの異端な在俗信徒による俗信に留まっていたかもしれません。

龍樹の教学

 龍樹は、仏教の原初からあった「空」の考えかたを、般若経の「空」の解釈により深め体系化しました。その「空」の思想は中観派として後に多大な影響を及ぼします。龍樹以後の大乗仏教は多かれ少なかれ彼の影響下にあり、龍樹は八宗の祖とたたえられます。
 ただし、その仏教は在俗信徒をも含めた在家仏教的な初期大乗を、出家仏教にならしめてしまったという面があります。さらには、上座部仏教の煩瑣な教理に対峙していた大衆的で平易な初期大乗を、煩瑣で難解なものにしてしまったかも知れません。

 「空」のサンスクリットの原語は sunya であり、欠如という意味です。また、インド人が発見した0(ゼロ)という数字を表します。当初の仏教経典では単に「空虚」や「欠如」という意味に用いられていたようです。紀元前後に『般若経』が成立する以前には、「空」が仏教の中心思想であるような主張はないそうです。

 初期大乗の『般若経』が成立しだすと、『般若経』は部派仏教(小乗)を批判します。上座部仏教の固定化した型に対して、「空」の立場から批判するのです。また、『般若経』では何ものにもとらわれない「空」の立場に立ち、またその境地に至るための菩の行(六波羅蜜)の実践を説きます。その中でも般若波羅蜜の体得が強調されます。

 龍樹はこれを受けて、
空の思想を論理的・哲学的に整理し、それまでの部派仏教の思想がその原理を固定化・実体化すると矛盾に陥ることを示して論破しています。すべてのものは実体がなく空である(無自性)という立場を表明しています。

龍樹の著作

 主著は『中論』(『中頌』 大正新脩大藏經 30巻1頁)です。また、『大智度論』『十住毘婆沙論』『十二門論』などは有名で、中国や日本に重要な影響を与えました。しかし『大智度論』『十住毘婆沙論』『十二門論』は、漢訳のみしか存在せず、真作であるかどうか疑われています。
 なお、真作としては、『廻諍論』(大正新脩大藏經 32巻13頁)『空七十論』『広破論』があります。

龍樹の逸話

 龍樹について面白い伝承があります。龍樹が出家する前に、隠身の術により仲間とともに宮中の美女のいる後宮(こうきゅう)に忍び込んで快楽を尽くしました。しかし、対策を講じた王により、忍び込んだ4人のうち龍樹を除く3人が即死する結果となり、欲望は苦の原因であると悟って出家したということが、鳩摩羅什訳の『龍樹菩薩傳』(大正新脩大藏經50巻184頁)の前半にあります。

龍樹と中国仏教

 龍樹の中観仏教を中国にもたらしたのは、訳経者として著名な鳩摩羅什(350-409頃)です。この系統から三論宗が成立しました。この鳩摩羅什は、『坐禅三昧経』『阿弥陀経』『大品般若経』『法華経』『維摩経』『大智度論』『中論』などを訳している名訳者です。ただ、その訳経には般若経典に関わりのない『法華経』にすら中観派の思想が混入しているという指摘もあります。※2

 



                       - おもろいはなし -