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 古来インドでは東洋とか西洋の違いについて 意識はしていなかったようです
西南アジアの諸国を中洋とするなら、仏教もキリスト教も、同じ世界から生まれた、
としてもおかしくないのです。

〇いずれも政治上の権力と対決する所から生まれた
〇また 祭紀的呪術の宗教よりも高次元の人間的価値や創造をめざしている
〇実践する弟子達の行動は必然的に民衆救済に立ち上がった
 
 キリスト教の興起以前、ユダヤ教の一分派(異端とされているクムラン教団)
であるとされている、エッセネ派が西暦紀元ごろ 死海の沿岸で約4千人の会員からなる、
修道団体を形成し、仏教の出家修行僧団と、同じような簡素な生活を送っていました
(これに関係したヘブル聖書、ラビの書物 死海文書 等は後日機会があったら)
 一人の奴隷もおらず 武器は持たず 戦争に関係する仕事は一切しない 
禁欲的で 共同生活 独身 菜食主義

 本来ユダヤ教は、ユダヤ人の社会生活の中に 体制宗教として伝えられてきたものであって
社会から離れて 独自の修道生活を営むことは考えられないことから
このエッセネ派と言うのは ユダヤ教の一派と言うより 
〇----仏教の僧伽から影響を受けたものではないか 
〇----イエスは このエッセネ派から何らかのつながりがあったのではないか
 と言う予測をもとに 様々の角度から話をさせていただきます
 この予測は専門家の多くものべています 
 そして洗礼者ヨハネはこのクムラン教団の出身とされています
 更に、キリスト自身もクムラン教団に属していたのではないか、と言う
専門家の多くの予測もあります

 北欧で仏教寺院の遺跡が発見されています
スエーデンは550年7月 小さな仏像が発見されています
 イギリスではオリゲネースがユゼキエル書註解において
「紀元230年頃 その島(イギリス)ではすでにドウルド僧達と仏教徒とが
神の唯一性の教えを広めてくれていたのいで そのずっと以前から それ(キリスト教)
への傾向をもっていた」と記されています


 このドウルド僧というのは 西洋としては異例な「輪廻」の理念をもっていた等など
紀元前3世紀のアショーカ大王による仏教西漸が、当時のヨーロッパの辺境地域である
イギリスのケルン族の間にまで及んでいたのです
 又イギリスの南ウエールスの古代都市の遺跡から ローマ貨幣と一緒にミリンダ王の貨幣が
一枚発見されました、ミリンダ王は前2世紀に西北インドを支配した帝王ですから 
インドからローマを経てイギリスに渡ったのです

 1956年 アフガニスタンでフランスの学術調査団が アショーカ王の詔勅を発見しました
 仏教上の伝説の王とされていたアショーカは、実存した王である事が証明されたのです。
そして その碑文の解読に成功 それはアラム語とギリシャ語で書かれていました 
 そしてそのアラム後こそ アーリア民族の打ち立てた最古の大帝国 東はインダス河流域から 
南はエジプトのヌビアに至る ダウリス大王のペルシャ帝国の公用語なのです、そしてそれは 
イエスの時代の日常用語だったのです
 その事から イエスはこのアラム語を通して仏教に接触し 汲みこんだのではないかと創造できます

 当時 中央アジア(インド西北)は世界文明の十字路と言われる程 南東西を結ぶ文化の要衝だったのです
 中国の長安 西のローマと並ぶ100万都市もこの中央アジアにはあり ペルシャからこの地にかけて
広大な文明圏を形成していたのです。
 東の中国 南のインド 西のローマの間に 国際色豊かな先進的文明圏があり
この中東文明圏の西端であるパレスチナと 東端である大乗仏教の地 西北インドの間に 
交流がなかったとする方が不思議なのです
 今日のような荒廃した後進地帯になったのは、チンギスハーンの征服と徹底的な破壊によるものです

 キリスト教の「来るべき者」としてのメシヤは 仏教の「当来仏」としての弥勒 すなわち
パーリ語の「メッティーヤ」サンスクリット語の「マイトレーヤ」から来ているのではないか
発音が非常に似ているからです
 「天にいます我らの父」は大乗仏教の「久遠実乗の本仏」ではないか
イエスに儀式をほどこした 「ヨハネ」は漢訳仏教の「浄飯王」(釈迦の父)がなまったのではないか
イエスの母「マリヤ」は釈迦の母「摩耶(マヤ)」からきているのではないか

 聖書の中の逸話で 法華経で有名な「長者窮子」の譬えと殆どおなじものがあります
 又 地獄の落ちた罪人を生前助けた蜘蛛の糸で、地獄から引き上げようとする話と
一本のネギで地獄から救おう、と言う話等、いずれも再び地獄へ落ちる様子といい、同じなのです 
 私自身 どちらが仏教でどちらがキリスト教だったか もう一度調べないとわからなくなりました

キリスト教では 神は一つではあるが 「父」と「子」と「精霊」と三つに現れると解きます
仏教では三身即一身」「一身即三身」と解きます
ただしキリスト教の神は一つだが 仏教の仏には普通の人間がなれると解く ここは違う
キリスト教では 神の子であるイエスをこの世に送った
仏教でも「分身三体」と言って 民衆救済のため 自分の身を分けち 様々な国に現れると解く
キリスト教では 殺人 盗み等を戒めた 「十戒」がある
仏教でも 父母のへの殺人を含めた「五虐罪」等で戒め 更に僧が多くの戒律を保つ事が 当たり前えです
今の日本の坊主はいいかげんだが  仏教の衰退は この坊主の特権意識 堕落にある

 又 キリスト教は「愛」を解き、仏教は「慈悲」を解きます、その違いがわかりますか。もちろん違いますが。 
 又 西洋のお伽話の中に 仏教やインドの説話から取り入れたものが かなり多いのです
 ラフカディオハーン(小泉八雲)氏の東西文学評論」のなかで
「今日では旧世界の伝説の大部分はその根元を仏教に辿ることができると信じられている」
と述べている通りです

 仏教はキリスチ教ばかりでなく ギリシャ哲学との交流も考えられます。
 西洋哲学の起源はギリシャにあるとされているが、仏教 ギリシャ哲学とも「自我」「存在」「生命」
に関して共通の関心を持っています
 ソクラテスの「汝自身を知れ」は釈迦の「汝自身を省み訪ねるが良い」と同じ意味です

 仏教 キリスト教が発展した要因に共通する3点をあげます
〇原始的宗教の呪術的迷信を打破しようとした
〇既成宗教の祭祀体系を否定した、これは バラモンとパリサイ人を盲人に譬え
 その否定の仕方まで同じです
〇民族的に偏狭な観念を克服した、仏教は四姓平等を説き、イエスもユダの民族主義を乗り越えました

 もし 直接的なつながりが無いとしても 本当に深く人間生命を探求していけば、角度は違っても
やがて、同一の方向に到達すると言う事が 考えられないでしょうか
 仏教にしてもキリスト教にしても 世界宗教に発展した理由に、普遍的な心理を含むものがあり、
人間の捉え方にしても、事物の本質の掘り下げ方にしても、万人が納得いくものがあった、と言えます
 もし 人類文明にこの二つの宗教が無かったら、人間の知恵はいかにも底の浅いものに
なっていただろうと思いますも

始め方で 「それ(キリスト教)への傾向をもっていた」と記されていたと書きましたが
中国の孔子の存在も(仏教へのつながりは無いが)仏教への傾向をもっていた事は確かです
儒教の「仁愛」「大同」墨子の「兼愛」「非攻」又道教等もです

最後に
トインビーが晩年残した 重大な予告を紹介します
「今から千年後の歴史家が21世紀について書くとすれば
彼は資本主義と共産主義と言う政治論争や科学技術の著しい発展と言う事ではなく
歴史上初めてキリスト教と仏教の対話が深く浸透し合うと言う問題であろう 」  


                           後日、又

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