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イスラム

 マホメット(ムハンマド)
 アラビアのメッカに571年 キリスト教時代に生まれた
7世紀初頭「最後の預言者」とされるムハンマドによって確立
イスラムとは 平和、従順、素直、受諾、純粋、遂行、の事で
アラビア語で alーlslam 「平和である事」また「絶対に帰依する事」と言う意味です
神アッラーに任せ、他人に対して善行を施す事こそイスラムの真の意味である。との教えに
メディナでは教団は安定を確保し、順調に信者も増えていきました
しかし、これを恐れたメッカのクライシュ族は1000人の大軍を送って、ムハンマド達を
倒そうとしました
これに対し、ムハンマドは僅か300人程で応戦し、奇跡的に勝利しました
 ここから彼らの聖戦(ジハード)が始まるのです
メッカ勢力との戦いはそれ以降、何回も続きました
又、周辺に住んでいたユダヤ教徒達との戦いもありムハンマドはまさに、戦いの中生きた預言者
なのです。
「コーランか服従か剣か」と言うイスラム教の伝統の一つが、ここからはじまっています
 そして8年後、ムハンマドはとうとうメッカの奪回に成功しました
、聖戦(ジハード)開始は 実は、生活の糧を得るためのメッカの隊商掠奪が一つの目的でも
あったようです
又、ジハード本意は
自分自身を善の方向へ向かわせていく、寛容の精神を身に付けてい、と言う
内面的な努力や成長にある、とも、
ウズベキスタン文化大臣(トゥルスナリ・クジーエフ)氏は言っています
 宣戦、休戦、はムハンマドが決めていました
メッカ開城、カアバ神殿の偶像破壊。バーミヤンの大仏の破壊も、この頃から始まりました
勝利は神の証、預言者の証。敗北は真の信者を試すもの。勝利は神の支援の証
ハンダク(塹壕)の戦いの後は、ユダヤ部族(クライザ族)の男子全員
(600~900)を皆殺しにしています。
(932~1056)ブアイフ朝、 シーア派の教養、礼儀が確立
16世紀始め イランのシーア派化が進みます
1979年 イランのイスラーム革命が起きます
その背景には
イスラエルにアラブが負けたのは何故か
この問いに対し、多くの信徒は「自分達が世俗化し、イスラーム法を捨てたため
神の怒りをかった」と考えたのです
イスタームの復興はこのような自己批判、反省から始まったのです
政治をイスラーム文脈で語ることが一般化しました
服装の制約、宣教禁止、ムスリムの目に触れる場所での宗教儀礼禁止
モスクより高い教会等をモスクの近く建設する事を禁止
異教徒は政治に参加出ず、人頭税を払う
コーランこそ、正邪、善悪に関する人間のあらゆる価値判断の級強敵基準てした

ラマダン中、公衆の面前での飲食は、たとえ非ムスリムでも逮捕投獄される
ラマダン中 水分も口にしてはいけない、唾を飲み込んでもいけない
注射、採血も禁止
労働法で労働時間は一日6時間を超えてはならないとされている
心の中で信ずるだけでなく、外から分かる信仰を表現する事を重要視する
豚肉、酒、禁止、正当な手続きによらないで殺された魚以外の動物は禁止
一日5回、メッカに向かって礼拝、金曜礼拝
女性の顔を覆うヒジャーブの使用、又女性の労働禁止等


アラー
万物を創造し天地を支配し最後の審判を行う
アラーは唯一の神でその他、いかなる神もなく、並ぶものは無い超越神である
アラーは偉大であり、比較するものや類依するものはまったく無い
生まれも死にもしない
信徒よ、この神に依存する以外に救われる道はない
神は偶像や崇拝されるべきものは絶対に排斥する

コーラン第2
よく聞くがよい
現世の生活はただ束の間の遊び事、戦う事は汝らの課せられた義務である
神の道において汝らに敵対するものと戦え
繁栄は空しい。最後の審判の日を恐れよ、その日全ての人は生前の行為によって裁かれん

地球上の20%
東南アジア(アサヤン)では50%
インドネシアは世界最大のイスラム教国で2億の国民の9割以上
インドネシアで売られている食品には
戒律に適合していると言うマークが付いている
以前、味の素が、このマークを付けていたため問題になった
 しかし、インドネシアには、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教等も大きな問題なく
共存しているし、300を超える民族も共存している事から、寛容と共存の
知恵と文化があるのではないかと、思われます。

 始めの方で書いたが、イスラムとは 
「平和、従順、素直、受諾、純粋、遂行」、と言う意味の中の
平和、と言う言葉に注目していきたい
又、「他人に対して善行を施す事こそイスラムの真の意味」との教え等から
やはり、世界宗教となりうる因はあったと思います


現世(歴史)の意味についての比較
   一言では表せないのを承知の上で

キリスト教
   決定的な意味はないが、
   現世は神の国のために努力する場、人間の罪障が現れる場、としている
ヒンドゥー教
   究極的には意味が無い
   この世のすべては陰、救済はこの世の外にあると言う
マルクス
   条件付きで意味がある
   すべて、歴史の必然的な過程を前進させる行為のみ意味を持つとある
イスラーム
   決定的意味を持つ、
   しかし最終的ではない(永遠の救済は来世で)とある
仏教
   決定的な意味を持つ。
   現世は過去の結果であり、未来の因を作る場 又 現世安穏と説く

 最後に、イスラム教を散々迫害してきたのはキリスト教側である
十字軍の七度に渡る遠征に象徴されるように、直接ローマ教会が仕掛けている
日本の源平合戦の発端が、僧とか僧兵等による所が大きかったのと重なる
 ローマ法王は、そのような事実を認識し、深く謝罪しなければ、イスラムとの
対話は難しいと思う。
中世以前、文化もキリスト教国に比べて、イスラム教国の方が高かった