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友情とは

古今東西の友情について、これ大事な話だと思うよ

ドイツの詩人シルレルは
 (友情は喜びを二倍いし、悲しみを半分にする)と
ロマンロランは
(世界の不幸はただ一人の仲間もいないことである)と言っています  

ロッシとブルーノ、  永遠の都から
黒田如水と竹中半兵
以下は 司馬遷の史記とか、十八史略を参考にしています
ケイカとコウセン‥‥ 漢字が思い出せない
 林少女と連歩将軍  砲叔雅と管中
等 書く予定です 
     

愛情の話はあふれています 

愛情が長続きする方法は 友情がポイント 
いいかな 愛情は 向き合っている
      友情は 同じ方向を向いている  です

欧陽修の朋党論のはじめに
 臣聞く、朋党の説は古よりこれあり ただ人君のその君子、
小人を弁ぜん事をこい願うのみ
 おおよそ君子と君子とは道おなじゅうするをもって朋を為し
小人と小人とは利をおなじゅうするをもって朋を為す、
これ自然の利なり。
と、あります

「利害関係に動かされて、まとわり付く、
名前ばかりの友人のなんと多い事か
誠実な真の友人は少ないものだ」
サンマルチン(ペルーの英雄)の魂の声である
確かに、利害の友人はいくらでもできる。
互いに利用し、利用されるだけである。

このあたりから出発しますが、超長くなるから、考え中
世の中に、愛情の話はあふれていますが、
友情の話は少ないのでは

 友と会い、語る。一緒に悩み、考える。
すると心中には、限りない慈しみと知恵が湧く。
それが、思い切った実践となっていく。
いつしか生命は、ダイナミックに回転を始める。
「友情」が、生命にみずみずしい触発を与えているのだ。

 トルストイは
「人間は他人との交流がなくては、
また他人からの働きかけと他人への
働きかけがなくては自己を完成することはできない」と言っている。
 友への断ち難い熱情。会って確かめ合う信頼と誓い。
苦しみを分かち合う心の強さ、潔さ。「友情」は心を強くし、
人生の行き詰まりを破り、越えてゆく大いなる力となる

「名誉や利害で付いてきた戦友は最期は皆だめだった。
理想と純愛とをもって
引き付けた人々のみ、最後の見方たりえた」   
ナポレオン

文豪ゲーテは
 「わが身のことばかり心にかけて 他人と一緒に苦しんだり 
楽しんだりするすべを知らず、又しようと言う気をおこさないでは 
立派な人といわれない」と、言っている。

白楽天
賢に交わって 方に汲汲たり、直を友として 毎に偲偲たり
(互いに賢者として交わって正に熱心に相手を学び、
心の正直な友としていつも互いにはげましあった)



 釈迦の弟子の一人に阿難と言う男がいる、
彼はある時、釈迦に尋ねた
「私が考えますに、私どもが善き友を持ち、善き友と一緒に進むことは、
すでに仏道の半ばを成就したに等しいと思われます。
この考えは正しいでしょうか」
 阿難は、おおげさかもしれないと思い、遠慮がちに聞いたのです。
しかし釈迦はこう答えた
「阿難よ、その考えは正しくない。
善き友をもち、善き友と一緒に進むと言う事は
仏道の半ばではなく、仏道のすべてなのである」と


アレクサンドロスの決断から

友とは
鏡の中に写ったもう一人の自分なのです
貴方がほほ笑めば鏡の中の貴方もほほ笑む
貴方の友人が誠実であれば、貴方が友人に誠実であった証拠
貴方が友を信ずれば、友も又貴方の信頼に答えようとするはず

貴方は心底からほほ笑んではいない、と言っても
鏡に向かってほほ笑んでいるようにしているだけと言っても
鏡の中の自分がほほ笑んでいるのなら
貴方はほほ笑んでいるのです
人は自分の欠点に気が付かないものだが
同時に自分の価値にも無頓着なものです

ある日
友を疑う心が芽生えたら、その時こそ
括弧して邪悪な心を抑え込みなさい
信頼される以上に相手信じて見なさい


砲叔雅と管中

 私、若く貧乏な頃、飽君と共同で商売をした事があるが、その時
利益の分け前を、彼より多く取った。
 だが彼は私の事を、欲張りだとはおもわなかった。
私が貧乏だと言う事を知っていてくれたからだ。

 又私が飽君のためと思ってした事で、彼がかえって苦しむような
結果になった事があったが、彼は私の事を愚か者とはおもわなかった。
時機が悪かった事を理解してくれたからだ。

 私は何度も人に使えて、そのたびに辞めさせられたが、
彼は私の事を無能だとは思わなかった。
まだ私に運が向いてきていない事を知っていてくれたのだ。

 わたしは何度も戦に出て、その度に逃げたが、彼は私の事を
卑怯者だとは思わなかった。私に年老いた母がいる事を知っていたのだ。

孔子糾が敗れた時、召忽は主君に殉じたのに、私は網目の恥を受けた、
それでも彼は私の事を、恥知らずだとは思わなかった。
 私が小さな節義を問題にするのではなく、天下の事を立派に成し遂げられぬ事を
恥だと思っている事を知っていてくれたからだ。

まことに、私を生んでくれたのは父母だが
私を理解してくれたのは、飽君である

 斉の国の宰相となった管仲は、飽叔牙の眼に狂い無く、大手腕を発揮
国の財政危機を救った。
 その政策は「管子七十六篇」として、現在にまで伝えられている。

ちょっと簡略過ぎたかな




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