-おもろいはなし-



 
 -A-
幸せの6個の条件の説明をします
 

 日本の著名な作家の言葉に
「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」(林芙美子)
とあった。花は、ぱっと咲いて、ぱっと散る。
長く残るのは苦しきことのみである──と。
人生も事実、そのとおりかもしれない。

 ある哲学者は、一生の終わりに計算してみて
、楽しいことのほうが多かったか、それとも苦しみのほうが多かったか、
その結果によって幸・不幸を決めるしかないかもしれない、と語っている。
 どんなに地位があり、財産があっても、幸福をつかめない人は多い。
どんなにすばらしい結婚をしても、いつかは愛する人と
別れなければならない。 愛別離苦は避けられない。
 どんなに有名人になっても、
病気で苦しみきって死んでいく人は、たくさんいる。
美しく生まれたために、かえって、人生を不幸にする人も少なくない。

 いったい、幸福は、どこにあるのか。どうすれば幸福になれるのか。
これが人生の根本問題であり、永遠に追求すべき課題である。

 結論的にいえば、「幸福は自分自身をどう確立するか」という問題である
立派な邸宅とか、名声といった外面的な幸せは「相対的幸福」である。
揺るぎない「絶対的幸福」ではない。

どんなに幸福そうな環境にあっても、自分自身がむなしさを感じ、
苦しみを感じていれば、不幸である。
 最高に立派な家の中で、けんかばかりしている人もいる。
皆がうらやむ有名な会社に勤めていても、いつも上司から叱られ、
仕事に疲れ、味けない思いをかみしめている人もいる。

 幸福は“見かけ”のなかにはない。“見栄”のなかにはない。
自分自身が実際に何を感じているか、その生命の実感の問題である。
それを前提に申し上げれば、
幸福の第1条件は、「充実」であろう。
「本当に張りがある」「やりがいがある」「充実がある」──毎日が、
そのように感じられる人は、幸福である。
多忙であっても充実感がある人のほうが、
暇でむなしさを感じている人より、幸福である。

幸せそうに見えても、朝から憂うつな気分で1日をスタートする人もいる。
朝、奥さんに叱られ「何で、こんな結婚をしちゃったんだろう」と、
ふさぎこんで1日を出発する──これでは不幸である。充実はない。

だれよりも立派に仕事し、生活を勝利しきって、
あまった時間を「人のため」「社会のため」に使っているのは幸福である

“根性曲がり”の人間が多い現在にあって、苦労しながら、
ただ相手の幸福のために、足を運び、語り、心をくだき、面倒をみる
まさに菩薩であり、これほど偉大な「哲学ある人生」はない。
最高の哲学を実践している事になる
それだけの価値ある哲学をもったということ──
それ自体が幸福である。
幸福の第2の条件は、「深き哲学をもつ」ことである。

幸福の第3の条件、は「信念をもつ
」ことである。何が悪か、何が善か、
わからない時代になってきた。
これは世界的傾向である。
このままでは、人類は混乱と退廃に向かう以外にない。

“日本国の支配者の地位をゆずろう”というような誘惑、
“父母の頸をはねるぞ”というような脅迫にも紛動されない
何があろうと、厳然と「信念」を貫く そういう「信念」のある人が、
必ず幸福になる。

幸福の第4の条件に、「朗らか」
に、生き生きと生きることである。
「いつも文句」「いつもグチ」──それでは自分も周囲も不幸である。
いつも前向きに、はつらつと生きている。
人にも「あの人と会うと元気が出る」「気持ちが明るくなる」
と言われる朗らかさがある。その人は幸福である。皆にも希望をあたえる。

いつ会っても、つまらなそうな顔をして、喜びも感激もない。
それでは、人生は暗い。
反対に、奥さんに叱られても、「何か浪花節が聞こえるな」。
子どもの成績が悪くても「将来、だんだんよくなる前兆だ」
たとえば、そういうふうに、全部、よい方向に、よい方向に、
とらえていく。その強さ、賢さ、明るさが幸福を生む。
 
すべてを善意で受けとめるといっても、
愚かな、お人よしになるという意味ではない。
現実をしっかり見つめつつ、よい方向に受けとめることによって、
実際にその方向にもっていくという「賢明さ」のことである。
そういう「人格」を築き上げれば、
いかなる財産よりもすばらしい人生の宝になる。
 
第5の条件は、「勇気」である。
勇気のある人は、何でも乗りきっていける。
勇気のない臆病な人は、人生を楽しめない。それでは不幸である。
 
第6の条件は、「包容力」である。
包容力のある人は、皆に安心感をあたえる。
 小さなことで人を責めたり、いちいち騒ぎ立てたり、
そういう心の狭い人は、皆を疲れさせるし、怖がらせる。

 特にリーダーは、怖がらせてはいけない。疲れさせてはならない。
あたたかく、皆が安心して親しめる包容力がなければならない。
大海のごとく広々とした心をもつ人は、自分も幸福である。周囲も幸福である。



補足

この6つの条件の中で 最も大事な条件は
「深き哲学をもつ」 と言う事だと思います

何故生きるのか と言う根本的な課題の答えがあり
汝自信を知れ と言うソクラテスの答えがあるからです
相対的幸福から絶対的幸福への道しるべに当たるのです

相対的幸福とは 自分以外の外に求める事であり
 環境により 条件により 相手により 時により
大きく変化する 不安定な幸せで 
時に一機に地獄の苦しみに遭遇する事もあります

絶対的幸福とは 自分の外ではなく 自分の中 ひいては
人間そのものを自分そのものを 強く 善く 賢く改造するしかありません
何をもって改造するのか
深い哲学をもって 自分自身の精神の大革命をおこすしかありません
これを人間革命といいます

幸福にも「相対的幸福」と「絶対的幸福」を更に分かり易く言うと
相対的幸福とは、物質的に充足したり、欲望が満ち足りた状態をいいます。
しかし、欲望には際限がないし、たとえ、一時は満ち足りたようでも永続性はありません。
外の条件が整った場合に成立する幸福なので、条件が崩れた場合には、
その幸福も消えてしまいます。

これに対して、絶対的幸福とは、どこにいても、また、何があっても、生きていること自体が幸福である、
楽しいという境涯をいいます。
それは外の条件に左右されることのない幸福なので、絶対的幸福というのです。
悟りとは、この絶対的幸福境涯の確立をいいます。

現実世界に住んでいる以上、人生にさまざまな苦難はつきものです。しかし
、山登りに譬えていえば、頑健な体の持ち主が、少々重い荷物を背負っても
悠々と山道を登ることができるように、自身の生命に絶対的幸福境涯を確立した人は、
さまざまな困難が起こったとしても、その困難をバネとして、強い生命力を湧き出させ、
逆境を悠々と乗り越えていくことができます。

そして頑健な人は、むしろ、山道が険しければ険しいほど、それを克服していく喜びを味わいます。
それと同じように、あらゆる困難を乗り越えていく生命力と智慧を身につけた人にとっては、
困難が渦巻く現実世界そのものが、充実感に満ちた価値創造の場となるのです。

また、環境に依存する相対的幸福が「死」によって途絶えるのに対し、
絶対的幸福である仏の悟りは、「自身、法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」
とある通り この大地を生死生死とめぐり行くのであると確信し、死をも超えて存続していくのです。



 -B-
革命にも、いろいろある。政治革命、経済革命、産業革命、科学革命、
芸術の革命、流通や通信の革命、その他、さまざまです。
それらはそれらなりに、意義があり、必要な場合もある。しかし、
何を変えても、一切を動かしている「人間」そのものが無慈悲で、利己主義のままでは、
世の中がよくなるわけがない。だから人間革命というのは、いちばん根本の革命であり、
人類にとって、いちばん必要な革命なのです。

 これからの世界のいちばんの焦点です。人生観・社会観・平和観等々、
すべて新しい善の方向にもっていける精神そのものが人間革命なのです。
「人間革命」は、21世紀のキーワードであると私は信じている。

 「革命」は英語で「レボリューション」。「ひっくり返す」という意味です。急激な変化を意味している。
  人間が少しずつ、年とともに成長するのは自然の流れです。
それを一歩、越えて、急速に善の方向に変わっていくのが「人間革命」です。
どんどん、よくなる。 また一生涯、永遠に、成長していける。
「ここまで」という行き詰まりがない。そのためのエンジンとなり、原動力となるのが信仰です。

 道徳の本なら何千年も昔から無数にある。自己啓発の本などもあるが、
言葉だけで人間革命でき、宿命を変えられるならば、苦労はない。
これは抽象論ではなく、一貫して現実の人間革命を追求している。
心を変革し、最高善の方向へもっていく。生きていく。行動していく。
 その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体のなかでできる。
仏と境智冥合(きょうちみょうごう)することによって、「自分を変える」力が、
自分の中からわいてくるのです。

 人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。ただ流されて生きているだけではなく
、もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができる。
 いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。
人間革命するとは、もっと深い、自分の内面のことです。
永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。

 人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。
だから「人間として」の自分を変えていくことが、いちばん大事なのです。
名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、
本体の自分自身が貧(まず)しければ、貧しく、空虚(くうきょ)な人生です。
  すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。
生命それ自体を変えていくのが人間革命です。

釈尊も王子であったが、一切を捨てて、裸一貫 の自分になって修行した。
人間革命です。日蓮大聖人も、その当時、社会的には最低の存在とされた
「施陀羅(せんだら)が子」(御書891ページ)であると堂々と宣言されている。
 20世紀は2回も世界大戦を起こしてしまった。何億という人たちが地獄の苦しみを味わった。
その原因は何なのか――それを考えた結論が
、「人間自身が慈悲の存在に変わらなければいけない」ということなのです。



補足

〇いかなる知性をもっていようが、情熱を失ってしまえば“生ける屍(しかばね)”
といっても過言ではない。
また、情熱は幸福の要件である。人生の大部分の幸・不幸というものは、
物事に対する情熱をもっているか否かによって、決まるからだ

〇人間完成をめざし、社会の常識あるリーダーに育っていくならば、
知性の輝きも増していかなくてはならない。知性を磨くことを忘れれば、
社会の敗北者となってしまう

〇人間革命とは、確たる信念の輝きといえる。
生き方の哲学をもたず、信念なき人生は、羅針盤(らしんばん)なき船に等しい
進むベき方向を見失い、ひとたび嵐が吹ふき荒れると、
難破船(なんぱせん)のような運命をたどってしまう。


     何故  宗教は必要か