-おもろいはなし-

何故 宗教は必要か


①宗教と幸福

太古の人類は 
人を敬う事も親を尊敬することもなく
禽獣と同じように 本能で生活していました
 そのうち 祭紀や呪術等の原始宗教が生まれ
生死に対する敬虔な思いが育まれてきました
宗教のない民族はありません

 そのうち 祭紀や呪術 占いや霊 自然神等の
浅い宗教から人間的価値や創造 仁愛や慈悲等
人間の問題を解明しようとした 
高度な宗教哲学が生まれました

そして 人間とは 自分とは 存在とは 生死とは
価値とは そして 「何のために」
 古来より賢人 聖人 哲人 宗教家 歴史学者 
詩人 文学者 芸術家が 生涯をかけて追い求めてきた 
人間究極の課題です

「何のために生きるか」・・幸福になるためです
もちろん その日その日をただ生きるために
と言う 切羽詰まった人もいるでしょう
そのような人に 
このような議論が 何の役にも立たない事は
承知の上で語らせてください

幸福とは  神の意志に叶う事か(キリスト教)
       仏の悟りを得る事か(仏教)
       汝自身を知る事か(西洋哲学)

幸福とは どのような形・・・・大満足です
      どのような精神状態・・歓喜です

幸福は何処にあるのか
幸福を得るための条件とは
幸福への軌道から 逸脱しない方法とは
最短距離はあるのか
道標は羅針盤は何か 

先ず
幸福の6個の条件を示します
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage2.html


幸福の6個の条件の
最大の条件は 深い哲学を持つ ですが
その深い哲学こそ
幸福への軌道から逸脱しない方法こそ
幸福への最短距離こそ 
人生の羅針盤こそ
宗教なのです

日本人には悪い勘違いがあります
「宗教は何でも良い」
これは寛容の精神の逸脱であり勘違いと思います

又「人の宗教を批判するな」
これも大変な間違いです
 その宗教の教義を大いに議論し
指摘し合わなければ
聖職者は 学ぶ事を忘れ 教える事もできない
安逸を貪る無知 無学の 社会に何の利益も
もたらさない専門職となります

日本だけでも17万を超える宗教法人があります
誰もその善悪 正当性や妥当性を言わなければ
税金逃れを見逃す事にもなります

批判のための批判 嫉妬のための 枝葉の批判は
論外です
あくまで 深い教義 論理 を戦わせ無ければ
必要か不必要かさえわかりません

トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
① 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
② 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
  知ることが決してできないからである
③ ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
④ 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
⑤ 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
⑥ 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています
キリスト教には当てはまらないかもしれませんが
エセ宗教や占い 霊などは論外です

   占い  霊  手相    

宗教を否定する多くは
宗教が果たした役割より
その害の方が大きいと思っています
 また 深くは考えず 儀式や伝統があるから
形だけを容認する 消極的信者が多いです
 唯物視感に賛同し 宗教を「弱者のため息」
と 考える人もいます

それは大変な勘違いです
宗教は本来 人間のためにありました
又 弱者では保つ事ができない事は
の歴史を見ても分かります



②宗教の歴史


キリスト&仏教でも紹介しますが
キリスト教や仏教は
〇いずれも政治上の権力と対決する所から生まれた
〇また 祭紀的呪術の宗教よりも高次元の
 人間的価値や創造をめざしている
〇実践する弟子達の行動は必然的に
 民衆救済に立ち上がった
〇原始的宗教の呪術的迷信を打破しようとした
〇既成宗教の祭祀体系を否定した、これは 
 バラモンとパリサイ人を盲人に譬え
 その否定の仕方まで同じです
〇民族的に偏狭な観念を克服した、仏教は四姓平等を説き
 イエスもユダの民族主義を乗り越えました

しかし 中世以降の聖職者の堕落は
民衆を苦しめ 文化を逆戻りする程のありさまで
異端裁判や十字軍に象徴されます
 教会の遠征軍は他国へ 都合7回 送っています
更には近世 キリスト教が 植民地主義の
片棒をかついだ事はいなめません

これは 宗教が悪いのではなく
聖職者の堕落が原因なのです
 聖書は本来 無抵抗主義であり
平和主義なのです
 特に仏教も 他国から攻められた歴史はあっても
他宗教を攻撃した歴史はありません

仏教の影響は
インドアソカ文化 ボドブロール遺跡
アンコールワットの遺跡
中国 唐の文化
日本の 飛鳥 天平の文化
仏教と共に 文化が開け 平和国家が建設されたのです

しかし 仏教でも 時代と共に形骸化が進み
僧侶の堕落が始まり 民衆からに指示を失ったのです
そのため インドや中国では仏教が滅びてしまいました

日本とて同じです
日本を二つに分ける源平合戦
此の発端は 保元の乱で 堕落した坊主が仕掛けたのです
各寺は僧兵を抱え 宗教本来の使命を忘れ 戦に加担する
兵隊に成り下がったのです
仏教がもたらした平和はくずれ 死刑制度も復活しました

仏教も平和主義で 生命の尊厳を最大限に尊重しています
仏教も僧侶の堕落で 現代にいたっています


   キリスト・仏教  




③ 宗教の役割


日本では仏教文化が根付き
17条憲法に象徴されるように
法による支配が実現し 平和国家が築かれました
 しかし近年 国家神道が権力と結託し
多大な犠牲を払い 敗戦の憂き目を味わいました

すなわち
宗教により国家が滅びる時もあるし 繁栄もするのです
人も宗教により幸せにもなるし 不幸にもなるのです

これほど大事な宗教を 
正しく教えるはずの 聖職者 坊主は
宗教の事など語らず 金儲けの道具にしています
 そのため 誰も正しい宗教が分からないのです
だから 原始主教のような
占い 霊 お告げ お払い 等の単純な宗教に
エセ宗教に カルトに騙されるのです

宗教哲学がないと判断の基準が
好き 嫌い 損 得 感情 周りを見てになります
正しい宗教哲学があると
理性 道理 道徳 妥当性 正義 愛 慈悲 になります
自分を律する事ができるのです

西洋哲学の「自我」「存在」「生命」
仏教の「自我「「生命」「慈悲」
儒教の「仁愛」「大同」墨子の「兼愛
哲学と宗教は 同じ方向を向いていますが
いずれも 人間を強く 善く 賢くします

今 世間の 浅い 軽い 道理を無視する
非科学的なカルト宗教がはびこっています

人間が強く 善く 賢くなれる宗教なら
生きる意味を見出す事もできるのです
 ソクラテスの 「汝自身を知れ」
の答えが分かるのです
生きる意味が分かれば歓喜なのです

幸福とは 歓喜です 自由です 責任です
不幸とは 悲観です 不自由です 無責任です

歓喜は 勇気を呼び覚ます力だからです
歓喜は 苦悩を突き抜ける力だからです
歓喜は 生命を蘇生させる力だからです

大歓喜とは  究極の法則です

内村鑑三は
 経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べています

今の世間
初詣は神社 結婚式は教会 葬式は仏教
クリスマスのバカ騒ぎ ミソクソごちゃまぜ
無宗教の奴等の そのだらしなさは あきれる
今の日本社会を見て 内村鑑三は嘆いている事でしょう






④科学の分野からの宗教

二十世紀最大の物理学者 アインシュタイン :
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが
あるとすれば、それは仏教です

日本初のノーベル賞 湯川秀樹
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた」

ドイツのノーベル賞作家 ヘルマン・ヘッセ
仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。

アインシュタインは、こうも語っています。
「科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、これは、
愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」

真の科学者は、「宗教は科学と矛盾 する」とは決して言わない
仏教は、とても知性的な宗教です。
若手の理論物理学者の間で盛んに仏典が読まれているのも、
「諸行無常」「諸法無我」の仏説が、現代科学と
少しも矛盾しないばかりか、科学のめざす真理を
先取りしている感すらあると、気づいているからです。

人工知能の研究で知られるマサチューセッツ工科大学でも、
やはり仏典が研究されていますが、
「人間の心のしくみを探るのに、仏教以上の教えはありません」
と、研究をリードするマーヴィン・ミンスキー教授は語っています。

量子論における量子の概念と仏教の不二の概念
天文の空間の概念と仏教の空の概念
物理の時空の概念と 久遠の概念 同じです
宇宙 物質 生命科学 等
はるかに 仏教の理論が優れています
深層心理学のユングやフロイト等 仏教の一部分を説いた
と言える程です

九識論
http://sannkuto66.3zoku.com/newpage51.html

古典力学はアインシュタインの相対性理論で破折されました
引力などないのです
空間の歪みで引き寄せられるのです

しかし そのアインシュタインの相対性理論は
ボーワの論争で 破折されました
光より早いものがあったのです
アインシュタインは認めざるをえなかったのです
彼は 得体のしれない遠隔感応 と言いました

ホーキンスは極小物質にエイリアンがいるといいます
又 生命物理学者は 生命の誕生はあり得ない と言い
何らかの手が加わった と言います
地球の誕生もあり得ないのです

今 生命 宇宙 ミクロの世界 量子の世界では 
分かるという人がいたら 詐欺師だ
と言われるくらい 分からないのです

ニュートン力学は 科学者達に 錯覚を与えました
この世で 解明できない 数式で表せないものはない
と言う思い込みです
今 それが間違いであることに科学者は気が付いております

だから 科学者は宗教を否定しません

不思議なことに 科学を知らない人達の方が 科学を信じ
宗教を否定する人が多いのです

宗教の分野での生死に対する問題は 
多く語られていますが
科学の分野でも 最近 多く語られます
不思議なことに 
それが 仏教で説く生死観とあまりにも似ているのです

仏教では
因果応報 自業自得 と言って 実に化学的にとらえています
死んでも その業は引き継がれ 次に再生した時
その業を背負って生きなければなりません
 大宇宙を含めた この世のすべてに死があり
大海に溶け込み その波のようなものが一つの生命
と例えたり 宇宙に溶け込み 又 再生する と例えたりします

麻酔学者の研究で
麻酔をかけると意識がない 夢を見ない
脳自体は活動しているにもかかわらず
この 何故夢を見ないのかの研究をしました

意識は何処からくるのか
脳はニューロンの集合体と考えられ
一つのニューロンの活動が次々に伝達される
従来型コンピューターと言える働きがわかっています
 しかし 麻酔をかけると夢を見ない と言う現象から
次の事を想定しました
 脳細胞の中にはマイクロチューブルと言う極小のものが
脳細胞の中にあり管みたいなもので
量子コンピューターの役目を果たしている

量子もつれは意識と深い関係にあり
直接接触してなくても 何も無い空間にも伝わる
 あるマイクロチューブルで起きた変化が 
離れた全く違うマイクロチューブルに変化を及ぼし
脳の外の広大な空間に広がる     

量子論では
脳内の意識が宇宙全体に散らばる 伝達する
マイクロチューブルで起きた変化が 
外にある広大な空間に伝わる 
宇宙の原意識と言えるのではないか

量子情報は
現意識がビッバン以来宇宙に存在し
死を迎えるとマイクロチューブルの量子コンピューターが止まる
 しかし その情報は宇宙全体に散らばります
すなわち 麻酔から覚めるとは 散らばった情報が集まり
再生し意識が戻る と言う事なのです

脳に血液が流れていないとき脳死の患者の 
脳のニュウロンが爆発的に活動することから 
推測されると言う事です

アリゾナ大 意識研究センター所長 スチワート・ハメロフ
イギリスの有名な物理学者ロジャーペンローズ
魂とは宇宙とつながる 量子コンピューターである
と主張しています


量子脳理論

意識は 量子情報 素粒子でできている
脳内の意識が 素粒子となって 宇宙につながる
 すべて原始の集まり 原始は素粒子のあつまり
素粒子は不思議な性質があり 粒子と波動の
二つの性質を持つ 二重性なのです
 観測する事で粒子であり 観測しないと波動となって
行方不明になるのです
 観測しないと 不明になるとは
死後宇宙空間に飛んでいく と考えられます

量子もつれは 遠隔作用で 一億光年はなれていても 
Aと観測すればBと確定される事が分かっています

粒子と波動の二重性とは どちらにも変身し
観測すると粒 観測しないと波となって
距離 時間 関係なく繋がる と言うのです
 量子もつれは 意識により変わる事も分かっています

目に見えない形で影響し合う 
観測すると 距離や時間に関係なく繋がる

観測とは見ると言う行為であり 意識の働き
見ようと決めると 波動から物質に確定
私達の意識により何億光年先の素粒子が確定する

私達の意識はとんでもない 何かがある可能性があるようです

万物は  未確定~意識~確定 となります
脳は  内部表現~意識~認知 となります

宇宙の原意識 は 神か仏か究極の法則か 
私達の原意識は 魂か
いずれにしても 宗教 哲学の領域に突入せざるを得ません

私達には 顕在意識  潜在意識  原意識があります
顕在意識  潜在意識 は現世を体験するためのツール
と見て良いのではないでしょうか

死ぬと  宇宙の原意識と 私達の原意識が観測され
量子もつれ によって 原意識とつながる

このような研究が 行われていますが 更に進めば
宗教を理解し易くなる 入門書の一部となるかもしれません





⑤祈りとは

科学で 人間の意識が大きくかかわる事がお分かりだと思いますが
祈りの研究が ここ大きくクローズアップされています

ハーバード、コロンビア大学等で祈りの研究
を紹介します
2009/07/29 Wed
最近、米医学界では東洋医学などの伝統医学をはじめ、
漢方薬、鍼灸、瞑想、音楽、信仰などの医療に及ぼす効果についての研究が、
非常に活発化しているそうです。

特筆すべきは祈りの効果を、ハーバード大学、コロンビア大学などの
権威ある大学が、競って研究に乗り出し、全米120に及ぶ医大のうち、
「信仰と医療」問題を取り上げる大学は、10年前までは3校どまりだったのが、
2004年には70校を超えるようになったそうです。

心の持ち方が身体の状態に強い影響を与えることは、
人類は古来より経験上知っていたましたが、それが今、
科学的に実証されようとしているのです。
そして、祈っている人の場合、
無宗教者と比べて2割以上も寿命が延びるという調査が発表される等、
その研究発表は1200例を超えているといわれます。

心臓病患者393人による祈りの実験結果
とくに有名なのは、心臓病患者393人による実験で、
他人に祈られた患者はそうでない患者より、
はっきり治療効果が上がるということが分かったのです。

以下、ラリー・ドッシー「魂の再発見」(春秋社)によります。

元カリフォルニア大学の心臓学教授ランドルフ・ビルドは、
厳密な実験によって、祈りによって大変な治療効果があることを証明しました。 
 
実験はサンフランシスコ総合病院のCCU(心臓病集中治療室)に
入院中の患者393人を対象に、10ヶ月にわたり行われた。

393人の患者はコンピュータにより無作為に分けられ、
祈られるグループ192人と祈ってもらわないグループ201人に分け、
臨床実験で行われる厳密な基準を適用して行われた。

患者、看護婦、医師も、どのグループにどの患者が入るかを、
知らないという厳格さであった。

患者のために祈る人たちを全国のカトリックとプロテスタント教会、
さまざまな宗教グループに呼びかけ、患者のために祈ってもらった。

祈る人には患者のファーストネーム、病名、現在の状況を簡単に知らせ、
毎日その患者のために祈るように依頼した。
しかし、祈り方については、なんら指示はなかった。

患者1人につき祈る人は5人から7人の割合であった。

結果は衝撃的であった。祈られた患者グループは、
祈られないグループに対して、驚くほど良い治療効果を示したのだ。

○抗生物質を必要とした患者の数は、祈られないグループの6分の1であった。

○祈られたグループでは心臓疾患の結果、肺気腫になった人が、
祈られないグループの3分の1であった。

○祈られたグループでは人工気道を確保する気管内挿管を必要とする人は
いなかった。一方、そうでないグループでは12人が人工気道を必要とした。

この結果を見て、ウィリャム・ノーラン博士は、
「この研究は精査に耐えうるものだ。・・・・・・・ おそらく、われわれ医師は
『一日3回祈ること』と処方箋に書くべきなのだろう。
祈りは効くのである」と述べたといいます。

そして実験が「祈り」でなく、新薬や新しい外科の手術の方式であれば、
「医学界の快挙」とか、「治療に突破口が開かれた」と
華々しく宣伝されたはずだと言われました。

また、この実験から、祈りの効果は距離と関係しないこともわかりました。
サンフランシスコ総合病院の心臓病患者に対する祈りに関して、
病院から遠い東海岸側からの祈りも、西海岸にあるこの病院に近いグループからの祈りも
、距離に関係なく、同様の効果があった、ということです。
つまり、病院のすぐ側で祈るのも、何百キロ離れたところから祈るのも、
効果は全く同じだということです。

従って、病人のすぐ側にいることができなくても、遠くから祈ってあげるだけでも、
病状の進行を防いだり、傷みを和らげることができるのです。
遠く離れた両親の無事を祈ることも、はっきり効果があるといえます。


これは キリスト教における実験ですが
正しい仏教における祈りは おそらく
この比ではないと思います

創価学会で 願いが叶う 祈りは通ずる
と言う 確信有る言葉に 耳を傾けるべきだと思います 

ことわざにもありますが
朱に交われば赤くなる  とあります
間違った 危険な 邪悪な いい加減な物に
祈れば 結果は逆に出る事を 知らなければなりません

何に祈るかが 最重要になる訳です


続く   

    究極の法則