- おもろいはなし -                              

何故 宗教は必要か

① 宗教と幸福の関係

② 宗教の歴史
③ 宗教の役割
④ 科学の分野からの宗教
⑤ 祈りとは
⓺ニーチェの(神は死んだ)とは


① 宗教と幸福の関係


人間は誰しも「よりよく生きたい」、そのために「何かを探している」
といえるだろう。
だが人間は自らの存在が何であるか、それすらも十分に認識しているか
疑問である。
だが、そうした根本的な問題を追究せずして真の心の安寧を保つことは
難しい。
複雑化した社会の中で、真の幸福めざして生きることは困難を極める。
しかし実際にはその確たる答えがないまま人は迷いながら努力し、
生きているのが現状ではないだろうか。人間とは何か。
人間どう生きるべきか

人間は死によって、人間は己の有限性に気づかされる事になります。
どんなに無限の『富』や『権力』を手にした人間であっても、
いつかは死ぬという定めからは、絶対に逃れることはできません。
この有限性を自覚し、死の恐怖や不安を克服するために、
人間は何らかの永遠性に参画し、動物的本能の生き方を超えて、
一個の人格となることができました。
宗教が人類史とともに古いゆえんであります
人間の有限性。人間は必ず死ぬ。そうした問題は
永遠性の認識なくしては思考し得ない、まさに人類の歴史とともに
宗教は始まったというのです。

ルソーは『社会契約論』のなかで「市民宗教」について説いている。
それはプロテスタントのキリスト教をよしとして、
宗教を個々の市民が自由に信仰できるようにすることが
必要であるとしています

またトインビーは宗教の必要性について次のように述べている。
「私は宗教こそは人間本性にとって必要であり、
不可欠な一部をなすものであると考えている」
さらに優れた宗教を選択する大切さにまで言及してトインビーは語る。
「われわれは、何らかの宗教をもたないかぎり、人間ではありえません。
そこでなされるべき選択は、宗教をもつかもたないかの選択ではなく、
優れた宗教をもつか、劣れる宗教をもつかの選択なのです
と言っています

「宗教は、使い方によっては〝悪魔〟となる。人々を結びつけるべき宗教が利用
され、かえって分断を煽っている。これほどの不幸はない。
どこまでも『人間のための宗教』が根本とならねばならない。『宗教のため
の人間』では絶対にない。『二十一世紀の宗教』の、これは根本原則です


人類は、人知の及ばない、超自然現象にたいする恐れや感謝から
その地域の象徴的存在を、神と崇めました
又、地域社会の人心の統一のためにも、統一した象徴が自然と求められたのです
そのため、地域により様々な神が出現し、自然と多神教となったのです
その神が、山だったり、聖なる川だったり、森、岩、木、等、多種多様でした

人類の宗教的行為は中期旧石器時代5~30万年前)の遺跡から想定されています
当初は、歌、踊り、儀式等だったと想像されますが
古代エジプト、メソポタミアでも、宗教史からはじまるのです

太古の人類は 
人を敬う事も親を尊敬することもなく
禽獣と同じように 本能で生活していました
 そして多神教の時代が訪れ 祭紀や呪術等により
生死に対する敬虔な思いが、道徳心が育まれてきました

 そのうち 祭紀や呪術 占いや霊 自然神等の
浅い、その地域限定の宗教から、人間的価値や創造 仁愛や慈悲等
広く人間の問題を解明しようとした 一神教や
高度な宗教哲学が生まれました

政治上の権力と対決する所から生まれたり
呪術の宗教よりも高次元の人間的価値や創造をめざした宗教や
実践する信者の行動は必然的に民衆救済に立ち上がった宗教等も生まれました

そして 人間とは 自分とは 存在とは 生死とは
価値とは そして 「何のために」等々
賢人 聖人 哲人 宗教家 歴史学者 詩人 文学者 芸術家が 
生涯をかけて追い求めるようになりました
政治経済道徳芸術、すべてが宗教から始まったのです
しかし、此の人間究極の課題は、今だ解決されてい無いように思いますが・・・



 幸福とは

「何のために生きるか」・・幸福になるためです
もちろん その日その日をただ生きるために
と言う 切羽詰まった人もいるでしょう
そのような人に 
このような議論が 何の役にも立たない事は
承知の上で語らせてください

幸福とは  神の意志に叶う事か(キリスト教)
       仏の悟りを得る事か(仏教)
       汝自身を知る事か(西洋哲学)

幸福とは どのような形・・・・大満足です
      どのような精神状態・・充実です、歓喜です

幸福は何処にあるのか
幸福を得るための条件とは
幸福への軌道から 逸脱しない方法とは
最短距離はあるのか
道標は羅針盤はあるのか

先ず、幸福の6個の条件を示します

第1に「充実」、
第2に「深き哲学をもつ」こと、
第3に「信念をもつ」こと、
第4に「朗らか」に生き生きと生きること、
第5に「勇気」、
第6に「包容力」です


お金や名誉や権力などの表面的な事を幸福の条件に挙げる人が多いですが
相対的なもので、崩壊し易く、幸福の条件の遥か下の方に位置するものです

それらを踏まえた上で
幸福の6個の条件の
最大の条件は 深い哲学を持つ、と言う事です
その深い哲学こそ、幸福への軌道から逸脱しない方法こそ
幸福への最短距離こそ 、人生の羅針盤こそ
深い哲学こそ、多神教であれ一神教であれ、
教義、理論は別として、宗教なのです

トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
① 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
② 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
  知ることが決してできないからである
③ ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
④ 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
⑤ 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
⑥ 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています
キリスト教には当てはまらないかもしれませんが
エセ宗教や占い 霊などは論外ですが

そのためにも
宗教の取捨選択は重要な事だと思いますが
日本人には悪い勘違いがあります
「宗教は何でも良い何でも良い」
宗教は必要でも、「何でも良い」は
寛容の精神の逸脱であり勘違いと思います

又「人の宗教を批判するな」
これも大変な間違いです
 その宗教の教義を大いに議論し
指摘し合わなければ
聖職者は 学ぶ事を忘れ 教える事もできない
安逸を貪る無知 無学の 社会に何の利益も
もたらさない専門職となります

日本だけでも17万を超える宗教法人があります
誰もその善悪 正当性や妥当性を言わなければ
論理的根拠、科学的裏付け、道理、妥当性等を議論しなければ
税金逃れを見逃す事にもなります

批判のための批判 嫉妬のための 枝葉の批判は論外ですが
あくまで 深い教義 論理 を戦わせなければ
必要か不必要かさえわかりません

日本人は議論を嫌います
特に宗教の事になると、
知識はなく、先入観を元にしたイメージしかなく
逃げる隠れる避けるしかないのは、仕方ないかも知れません

宗教を否定する多くは、宗教が果たした役割より
その害の方が大きいと思っています
 また 深くは考えず 儀式や伝統があるから
形だけを容認する 消極的信者が多いです
 唯物視感に賛同し 宗教を「弱者のため息」
と 考える人もいます
そのため宗教を軽く捉えがちですが
宗教はすべての基本である事を知らねばなりません
内村鑑三は 
経済の背後に政治がある 
政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 
道徳の背後に宗教がある と述べていま


②宗教の歴史 raberu0


キリスト&仏教でも紹介しますが
キリスト教や仏教は
〇いずれも政治上の権力と対決する所から生まれた
〇また 祭紀的呪術の宗教よりも高次元の
 人間的価値や創造をめざしている
〇実践する弟子達の行動は必然的に
 民衆救済に立ち上がった
〇原始的宗教の呪術的迷信を打破しようとした
〇既成宗教の祭祀体系を否定した、これは 
 バラモンとパリサイ人を盲人に譬え
 その否定の仕方まで同じです
〇民族的に偏狭な観念を克服した、仏教は四姓平等を説き
 イエスもユダの民族主義を乗り越えました

しかし 中世以降の聖職者の堕落は
民衆を苦しめ 文化を逆戻りする程のありさまで
異端裁判や十字軍に象徴されます
 教会の遠征軍は他国へ 都合7回 送っています
更には近世 キリスト教が 植民地主義の
片棒をかついだ事はいなめません

これは 宗教が悪いのではなく
聖職者の堕落が原因なのです
 聖書は本来 無抵抗主義であり
平和主義なのです
 特に仏教も 他国から攻められた歴史はあっても
他宗教を攻撃した歴史はありません

仏教の影響は
インドアソカ文化 ボドブロール遺跡
アンコールワットの遺跡
中国 唐の文化
日本の 飛鳥 天平の文化
仏教と共に 文化が開け 平和国家が建設されたのです

しかし 仏教でも 時代と共に形骸化が進み
僧侶の堕落が始まり 民衆からに指示を失ったのです
そのため インドや中国では仏教が滅びてしまいました

日本とて同じです
日本を二つに分ける源平合戦
此の発端は 保元の乱で 堕落した坊主が仕掛けたのです
各寺は僧兵を抱え 宗教本来の使命を忘れ 戦に加担する
兵隊に成り下がったのです
仏教がもたらした平和はくずれ 死刑制度も復活しました

仏教も平和主義で 生命の尊厳を最大限に尊重しています
仏教も僧侶の堕落で 現代にいたっています


 キリスト・仏教  

キリスト教の残虐な歴史も



 ③ 宗教の役割    raberu2


日本では仏教文化が根付き
17条憲法に象徴されるように
法による支配が実現し 平和国家が築かれました
 しかし近年 国家神道が権力と結託し
多大な犠牲を払い 敗戦の憂き目を味わいました

すなわち
宗教により国家が滅びる時もあるし 繁栄もするのです
人も宗教により幸せにもなるし 不幸にもなるのです

これほど大事な宗教を 
正しく教えるはずの 聖職者 坊主は
宗教の事など語らず 金儲けの道具にしています
 そのため 誰も正しい宗教が分からないのです
だから 原始主教のような
占い 霊 お告げ お払い 等の単純な宗教に
エセ宗教に カルトに騙されるのです

宗教哲学がないと判断の基準が
好き 嫌い 損 得 感情 周りを見てになります
正しい宗教哲学があると
理性 道理 道徳 妥当性 正義 愛 慈悲 になります
自分を律する事ができるのです

西洋哲学の「自我」「存在」「生命」
仏教の「自我「「生命」「慈悲」
儒教の「仁愛」「大同」墨子の「兼愛
哲学と宗教は 同じ方向を向いていますが
いずれも 人間を強く 善く 賢くします

今 世間の 浅い 軽い 狭い道理を無視する
非科学的なカルト宗教がはびこっています

人間が強く 善く 賢くなれる宗教なら
生きる意味を見出す事もできるのです
 ソクラテスの 「汝自身を知れ」
の答えが分かるのです
生きる意味が分かれば歓喜なのです

幸福とは 歓喜です 自由です 責任です、そして充実です
不幸とは 悲観です 不自由です 無責任です

現在に必要な生きた宗教の条件は

①生命の復権。
②自由自在の主体性。
③すべてを生かす
④変化の信仰。
⑤智慧に生きる。
だと思います

結論します

宗教とは
①生命の復権を目指差ねばならない。
西洋近代の理性信仰に代わって、理性だけでなく、感情、直観、欲望等も含む
全体的生命に尊厳を見出そうとするものでなくてはなりません。

人生のあらゆる経験を幸福境涯の確立のために生かす。
「仏界が基底の人生は、過去・現在の九界の生活を全部、生かしながら、
希望の未来へと進める」。過去・現在のあらゆる苦難を未来の幸福のために
生かしていく道を示していなければなりません


②自由自在の主体性を生かす

理性よりも根本的な生命次元の主体性の回復により、何ものにも囚われない
自由自在の生き方を勧奨する宗教です。

すべての人を掛け替えのない人として尊重し、生かす。「あらゆる人を活かしていくのが、仏法」
人種、国籍、性別、社会的地位、宗教等、あらゆる外的側面を除去した生活者としての民衆を
すべて尊極と捉え、生かす。教育の根本精神にも通じます。


③すべてを生かす

根源的な主体性に基づくことにより、生死、善悪、苦楽など、
二律背反的に現れる現象のすべてを無駄なく生かしていけるかです。

あらゆる思想を生かす。「歴史上の、あらゆる偉人の英知も現代に活かし、
実生活のうえに活かし、価値創造していくことができる」。東西の万般の思想、哲学、宗教を
活用しながら、社会の繁栄のために活かすべき。


④変化の信仰でなければなりません。

人間が自身の宿命を真正面から受け止め、それを転換しゆく「人間革命」の可能性を信じ、
そこに人間生命の尊厳観を見出す事が大事です。

仏法の八万法蔵をすべて生かす。「仏法では『序分・正宗分・流通分』、また『要・略・広』等と説きます。
そのなかに、一切の知識、一切の善論を包含し、時に応じ、状況に応じて、最も価値的に表現するわけです。
大海のごとく、『すべてを生かす』のが仏法です」。あらゆる一切経が法華経を説くための準備や
法華経を広めていくための補助としての役割があって生かされるとします。


⑤智慧に生きる。
個人の幸福と社会の繁栄が両立することを目的として、そのためには
現実に即したあらゆる智慧を柔軟に生かしていくべき宗教である事です





④科学の分野からの宗教raberu3

二十世紀最大の物理学者 アインシュタイン :
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが
あるとすれば、それは仏教です

日本初のノーベル賞 湯川秀樹
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた」


アインシュタインは、こうも語っています。
「科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、これは、
愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」
更に
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものがある
とすれば、それは仏教です」
と言っています。

ハイゼンベルグ
「過去数十年の間に、日本の物理学者たちが物理学の発展
に対して大きな貢献をしてきたのは、東洋の哲学的伝統と、
「量子力学」が、根本的に似ているからなのかもしれ
ません」  と

量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式や
シュレーディンガーの猫などにより一般にも広く知られている。
シュレーディンガーは
「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。」  と

量子力学の育ての親と言われる
ニールス・ボーアは
「原子物理学論との類似性を認識するためには、
われわれはブッダや老子といた思索家がかつて直面した
認識上の問題にたち帰り、
大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でも
ある我々の位置を調和あるものとするように努めねば
ならない。」 と

少し哲学の分野から
二十世紀最大の哲学者 ハイデガー
もし、十年前に、こんな素晴しい聖者が東洋にあったことを 知ったなら、
私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。 だが、遅かった
……。 (晩年の日記)

ドイツの有名な哲学者 ニーチェ
仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。 仏教は
歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。

ドイツのノーベル賞作家 ヘルマン・ヘッセ
「仏陀は小指の動きに至るまで真実だった」   と。

真の科学者は、哲学者は「宗教は科学と矛盾 する」とは決して言わない
仏教は、とても知性的な宗教です。
若手の理論物理学者の間で盛んに仏典が読まれているのも、
「諸行無常」「諸法無我」の仏説が、現代科学と
少しも矛盾しないばかりか、科学のめざす真理を
先取りしている感すらあると、気づいているからです。

人工知能の研究で知られるマサチューセッツ工科大学でも、
やはり仏典が研究されていますが、
「人間の心のしくみを探るのに、仏教以上の教えはありません」
と、研究をリードするマーヴィン・ミンスキー教授は語っています。

量子論における量子の概念と仏教の不二の概念、三諦論
天文の空間の概念と仏教の空の概念
物理の時空の概念と 久遠の概念 同じです
宇宙 物質 生命科学 等
はるかに 仏教の理論が優れています
深層心理学のユングやフロイト等 仏教の一部分を説いた
と言える程です

九識論
http://sannkuto66.3zoku.com/newpage51.html

古典力学はアインシュタインの相対性理論で破折されました
引力などないのです
空間の歪みで引き寄せられるのです

しかし そのアインシュタインの相対性理論は
ボーワの論争で 破折されました
光より早いものがあったのです
アインシュタインは認めざるをえなかったのです
彼は 得体のしれない遠隔感応 と言いました

ホーキンスは極小物質にエイリアンがいるといいます
又 生命物理学者は 生命の誕生はあり得ない と言い
何らかの手が加わった と言います
地球の誕生もあり得ないのです

今 生命 宇宙 ミクロの世界 量子の世界では 
分かるという人がいたら 詐欺師だ
と言われるくらい 分からないのです

ニュートン力学は 科学者達に 錯覚を与えました
この世で 解明できない 数式で表せないものはない
と言う思い込みです
今 それが間違いであることに科学者は気が付いております

だから 科学者は宗教を否定しません

不思議なことに 科学を知らない人達の方が 科学を信じ
宗教を否定する人が多いのです

宗教の分野での生死に対する問題は 
多く語られていますが
科学の分野でも 最近 多く語られます
不思議なことに 
それが 仏教で説く生死観や存在感があまりにも似ているのです

  死とは‥参考 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage21.html
  存在とは・縁起の法、参考 http://rokusann.sakura.ne.jp/sub4.htm


麻酔学者の研究で
麻酔をかけると意識がない 夢を見ない
脳自体は活動しているにもかかわらず
この 何故夢を見ないのかの研究をしました

意識は何処からくるのか
脳はニューロンの集合体と考えられ
一つのニューロンの活動が次々に伝達される
従来型コンピューターと言える働きがわかっています
 しかし 麻酔をかけると夢を見ない と言う現象から
次の事を想定しました
 脳細胞の中にはマイクロチューブルと言う極小のものが
脳細胞の中にあり管みたいなもので
量子コンピューターの役目を果たしている

量子もつれは意識と深い関係にあり
直接接触してなくても 何も無い空間にも伝わる
 あるマイクロチューブルで起きた変化が 
離れた全く違うマイクロチューブルに変化を及ぼし
脳の外の広大な空間に広がる     

量子論では
脳内の意識が宇宙全体に散らばる 伝達する
マイクロチューブルで起きた変化が 
外にある広大な空間に伝わる 
宇宙の原意識と言えるのではないか

量子情報は
現意識がビッバン以来宇宙に存在し
死を迎えるとマイクロチューブルの量子コンピューターが止まる
 しかし その情報は宇宙全体に散らばります
すなわち 麻酔から覚めるとは 散らばった情報が集まり
再生し意識が戻る と言う事なのです

脳に血液が流れていないとき脳死の患者の 
脳のニュウロンが爆発的に活動することから 
推測されると言う事です

アリゾナ大 意識研究センター所長 スチワート・ハメロフ
イギリスの有名な物理学者ロジャーペンローズ
魂とは宇宙とつながる 量子コンピューターである
と主張しています


量子脳理論

意識は 量子情報 素粒子でできている
脳内の意識が 素粒子となって 宇宙につながる
 すべて原始の集まり 原始は素粒子のあつまり
素粒子は不思議な性質があり 粒子と波動の
二つの性質を持つ 二重性なのです
 観測する事で粒子であり 観測しないと波動となって
行方不明になるのです
 観測しないと 不明になるとは
死後宇宙空間に飛んでいく と考えられます

量子もつれは 遠隔作用で 一億光年はなれていても 
Aと観測すればBと確定される事が分かっています

粒子と波動の二重性とは どちらにも変身し
観測すると粒 観測しないと波となって
距離 時間 関係なく繋がる と言うのです
 量子もつれは 意識により変わる事も分かっています

目に見えない形で影響し合う 
観測すると 距離や時間に関係なく繋がる

観測とは見ると言う行為であり 意識の働き
見ようと決めると 波動から物質に確定
私達の意識により何億光年先の素粒子が確定する

私達の意識はとんでもない 何かがある可能性があるようです

万物は  未確定~意識~確定 となります
脳は  内部表現~意識~認知 となります

宇宙の原意識 は 神か仏か究極の法則か 
私達の原意識は 魂か
いずれにしても 宗教 哲学の領域に突入せざるを得ません

私達には 顕在意識  潜在意識  原意識があります
顕在意識  潜在意識 は現世を体験するためのツール
と見て良いのではないでしょうか

死ぬと  宇宙の原意識と 私達の原意識が観測され
量子もつれ によって 原意識とつながる

このような研究が 行われていますが 更に進めば
宗教を理解し易くなる 入門書の一部となるかもしれません





⑤祈りとはraberu4

科学で 人間の意識が大きくかかわる事がお分かりだと思いますが
祈りの研究が ここ大きくクローズアップされています

ハーバード、コロンビア大学等で祈りの研究
を紹介します
2009/07/29 Wed
最近、米医学界では東洋医学などの伝統医学をはじめ、
漢方薬、鍼灸、瞑想、音楽、信仰などの医療に及ぼす効果についての研究が、
非常に活発化しているそうです。

特筆すべきは祈りの効果を、ハーバード大学、コロンビア大学などの
権威ある大学が、競って研究に乗り出し、全米120に及ぶ医大のうち、
「信仰と医療」問題を取り上げる大学は、10年前までは3校どまりだったのが、
2004年には70校を超えるようになったそうです。

心の持ち方が身体の状態に強い影響を与えることは、
人類は古来より経験上知っていたましたが、それが今、
科学的に実証されようとしているのです。
そして、祈っている人の場合、
無宗教者と比べて2割以上も寿命が延びるという調査が発表される等、
その研究発表は1200例を超えているといわれます。

心臓病患者393人による祈りの実験結果
とくに有名なのは、心臓病患者393人による実験で、
他人に祈られた患者はそうでない患者より、
はっきり治療効果が上がるということが分かったのです。

以下、ラリー・ドッシー「魂の再発見」(春秋社)によります。

元カリフォルニア大学の心臓学教授ランドルフ・ビルドは、
厳密な実験によって、祈りによって大変な治療効果があることを証明しました。 
 
実験はサンフランシスコ総合病院のCCU(心臓病集中治療室)に
入院中の患者393人を対象に、10ヶ月にわたり行われた。

393人の患者はコンピュータにより無作為に分けられ、
祈られるグループ192人と祈ってもらわないグループ201人に分け、
臨床実験で行われる厳密な基準を適用して行われた。

患者、看護婦、医師も、どのグループにどの患者が入るかを、
知らないという厳格さであった。

患者のために祈る人たちを全国のカトリックとプロテスタント教会、
さまざまな宗教グループに呼びかけ、患者のために祈ってもらった。

祈る人には患者のファーストネーム、病名、現在の状況を簡単に知らせ、
毎日その患者のために祈るように依頼した。
しかし、祈り方については、なんら指示はなかった。

患者1人につき祈る人は5人から7人の割合であった。

結果は衝撃的であった。祈られた患者グループは、
祈られないグループに対して、驚くほど良い治療効果を示したのだ。

○抗生物質を必要とした患者の数は、祈られないグループの6分の1であった。

○祈られたグループでは心臓疾患の結果、肺気腫になった人が、
祈られないグループの3分の1であった。

○祈られたグループでは人工気道を確保する気管内挿管を必要とする人は
いなかった。一方、そうでないグループでは12人が人工気道を必要とした。

この結果を見て、ウィリャム・ノーラン博士は、
「この研究は精査に耐えうるものだ。・・・・・・・ おそらく、われわれ医師は
『一日3回祈ること』と処方箋に書くべきなのだろう。
祈りは効くのである」と述べたといいます。

そして実験が「祈り」でなく、新薬や新しい外科の手術の方式であれば、
「医学界の快挙」とか、「治療に突破口が開かれた」と
華々しく宣伝されたはずだと言われました。

また、この実験から、祈りの効果は距離と関係しないこともわかりました。
サンフランシスコ総合病院の心臓病患者に対する祈りに関して、
病院から遠い東海岸側からの祈りも、西海岸にあるこの病院に近いグループからの祈りも
、距離に関係なく、同様の効果があった、ということです。
つまり、病院のすぐ側で祈るのも、何百キロ離れたところから祈るのも、
効果は全く同じだということです。

従って、病人のすぐ側にいることができなくても、遠くから祈ってあげるだけでも、
病状の進行を防いだり、傷みを和らげることができるのです。
遠く離れた両親の無事を祈ることも、はっきり効果があるといえます。


これは キリスト教における実験ですが



raberu5

ニーチェの(神は死んだ)とは

十九世紀の思想の山脈に聳そびえ立つ高峰で
文学を含む現代思想の全般に多大な影響を与えた、
思想の″巨人″といえましょう。

彼がめざしたものは、伝統的な古い価値体系の転換でり。
思想上の使命として、形骸化したキリスト教と戦うとともに、
「生」への否定へと進むヨーロッパ近代文明の退廃を指摘し、
精神の空白とともに″卑小化した人間″″群畜″と化した
大衆社会を鋭く批判しながら、近代超克の道をさぐった。

 ニーチェの代表作は「ツァラトゥストラ」で「神は死んだ」という
衝撃的な言葉でも有名ですね

 この「ツァラトゥストラ」とは、古代ペルシャの宗教改革者
ゾロアスターのことであり、そのドイツ語読みの発音である。
この書は、そのツァラトゥストラの説教という形をとっております、
  ツァラトゥストラは、いわばニーチェの分身であるとともに、
ニーチェが志向する理想的存在として登場していますね。
ここでは、
「神が死んだために、その空白を埋めるものとして、
超人は要請されるのである」と指摘されているように、
伝統的な価値観が崩壊したなかで″人間の卑小さを克服し、
新たな価値を創造しゆく「超人」″の理想が述べた、
さらに
「神」の存在を否定したうえで、「生」は永遠に繰り返されるとの
「永遠回帰」の思想に到達するのです。
そして、
未来永劫にわたって回帰する「生」を積極的に肯定し、そのために
「価値創造への道をひらく」自由で力強い境地が示されていきます。
それは、キリスト教の限られた世界観を超えています
まさに、仏法と相通ずる志向性をもっていたといってよいと思います。

 ニーチェの著作には、他に『人間的な、あまりに人間的な』『善悪の彼岸』
『道徳の系譜』『この人を見よ』『よろこばしい知識』などがある。
 ″思想による戦闘の人″といわれた彼がめざしたものは、
″伝統的な古い価値体系の転換″であった。そして、思想上の使命として
″形骸化したキリスト教″と戦うとともに、「生」への否定へと進む
ヨーロッパ近代文明の退廃を指摘し、精神の空白とともに
″卑小化した人間″″群畜″と化した大衆社会を鋭く批判しながら、
近代超克の道をさぐったのです。


以上






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    究極の法則